ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県石巻市、高木「吉祥寺のイチョウ」(市指定)です!!

2021-04-09 06:55:00 | 巨樹・大木
高木地区は、石巻市役所の北東約7kmのところ

国道398号線を東へ、旧北上川の内海橋を渡って県道192号石巻雄勝線を北へ進みます

道なりに進んでJR石巻線を過ぎて、田圃の広がる県道を進みます、雄勝峠への道です、左手奥の山際が高木地区です

地区へ入ると南東向参道で、曹洞宗 蓬莱山 吉祥寺が有ります


参道入口に大きなイチョウが二本見えて来ました

参道への入口から見ました

駐車場は参道右手に有りますので利用させて頂きました



参道右手に目的のイチョウの巨木です

左手のイチョウも大木です

参道を進みましょう

参道右手の石仏です

参道左手のお地蔵様や石仏が並んでいます、倒れたままになっているものが多くあります

南西側から、目通り幹囲6.2mの巨木です

参道奥側(西側)から

北東側駐車場から見ました、市指定天然記念物のはずですが案内板等は有りませんでした


本堂です

本堂前から見ました

本堂西側の歴代住職の碑です、開山は慶長16年(1611年)ということは・・・410年前です、イチョウも開山時に植えられた物なのでしょうか

では、次へ行きましょう
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宮城県美里町、木間塚「十王山の槻ノ木」(町指定)です!!

2021-04-08 06:14:00 | 巨樹・大木
木間塚地区は、美里町役場の南東10kmのところ

県道152号線から県道150号線と鳴瀬川左岸を進みます国道346号線を過ぎて更に南下すると、


JA新みやぎ南郷営農センターです、センター入口に車を止めさせて頂きました

営農センターの向かい側に十王山公園の入口です



階段状になって土塁状の上に登ります

十王山遺跡の標柱です


土塁状の台の先に目的のケヤキが見えて来ました

主幹が無くなっています

こちらが正面(東側)です

天然記念物標柱です

説明版です
 美里町指定天然記念物
「十王山の槻ノ木」
  平成30年7月3日指定
指定文化財概要
 名称 十王山の槻ノ木(じゅうおうざんのきのき)
 区分 天然記念物 員数:1 科名:ニレ科
 樹種:ケヤキ(「槻」はケヤキの古名)樹齢750年あまり
 樹高:12m、胸高直径1.9m(幹囲5.97m)、根元直径2.2m
 所在地 美里町木間塚字十王山15番地
 所有者 宮城県遠田郡美里町
 管理者 宮城県遠田郡美里町木間塚区
 十王山の槻ノ木は、大崎平野の東端部に位置し、島状に残る低丘陵の西斜面に所在します。樹齢750年といわれ、古来、旅人の目印として重宝されたと伝えられています。なお「槻(ツキ)」はケヤキの古名であり、同種の樹木です。
 ケヤキは、ニレ科の落葉高木で本州に広く分布し、肥沃地や渓畔によく生えます。材は木目が美しく重硬で狂いが少ない重要な建材で、特に社寺の建築に多く用いられます。この樹木は伐採されることなく、長い間地域を見守り続けてきた歴史の生き証人です。しかい、長い年月による痛みや、自然環境や社会環境の変化により、存在が危ぶまれている樹木が増えている現状があります。この樹木も例外ではありません、そのような中で、樹木が所在する十王山公園が地域住民により維持管理がなされ、また、樹木の治療にあたっても地域住民が寄付を募るなど積極的な保存活動がなされてきたことは、地域の象徴としての重要性を示しています。
 樹木本体の特徴は、欠損した主幹上部と発達した根系です。主幹上部は落雷や積雪により損傷したため、平成12年~19年に宮城県緑化委員会の補助を得た地元有志の手による治療を受け、樹勢を取り戻しています。主幹上部は失われたものの、残された幹や根の表面は非常に綺麗であり樹勢が非常に良く、枝の張具合も見事です。現状としてはその治療痕が目につくものの、しっかりと大地に根を下ろしした根張り、幹の力強さ、枝張り、樹皮の風合い等は、今なお見る者を圧倒させる偉容をたもっているといえます。
 十王山の槻ノ木は町内最古、最大の樹木であり、十王山が公園化された由来とともに地域に根差した文化遺産であることから、町民の宝として長く後世に残していく必要があります。また呼び名が違えども、宮城県の県木でもあるケヤキでもあることから、県内外に誇れるケヤキとしても非常に重要です。平成30年7月3日付けで、美里町天然記念物に指定されました。
 令和元年9月 美里町教育委員会

南東側から

西側に下りて見あげました


では、次へ行きましょう
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宮城県松島町、根廻「蒜沢阿弥陀堂境内のイチョウ」(町指定)です!!

2021-04-07 06:21:00 | 巨樹・大木
根廻地区は、松島町役場の北約3kmのところ

国道346号線を北へ、三陸自動車道松下北インターチェンジ入口を過ぎ、間もなく高城川沿いに左へ入る道路が有ります、道路は国道の下を潜ってJR東北本線を左に見ながら進みます、間もなく元禄潜穴駐車場が有りますので利用させて頂きました




目的のイチョウが見えて来ました

おまん地蔵前の道標です

町営バスのバス停が有ります、根廻児童公園前です

根廻地区防災マップです、現在地点は真中上の小さな赤い丸のところです

すぐ脇のJR地東北本線の踏切りを電車が通過します


児童公園入口が阿弥陀堂入口です

阿弥陀堂です

祠が並びます

おまん地蔵です

かわいい地蔵様です

案内板です
  おまんさんの伝説
 元禄11年(1698)の元禄潜穴完成後
 享保11年(1731)第1回目の元禄潜穴の穴払いの工事で、人夫頭の計算ちがいから大損をしてしまい、人夫賃が支払えなくなりました。
 そこで人夫頭は、工事が終わった日、潜穴の中で人夫に酒を飲ませ、酔っぱらった時、穴の中に水を流して死なせてしまいました。その中には歌の上手な「おまん」という16才の少女も呼ばれていましたが一緒に犠牲になって死んでしまったのでした。
 これを哀れんで建てられたのが「おまん地蔵」だと言われています。
町制施行八十周年記念事業
 根廻分館

おまん地蔵堂碑です

目的のイチョウです

後におまん地蔵です

説明板です
 松島町指定文化財
蒜沢阿弥陀堂境内銀杏
 幹周り6.1m、樹高40m、推定樹齢は400年とされ、昭和45年(1970)12月1日に町の天然記念物に指定されました。イチョウは中国原産の落葉樹で、日本には平安時代後期から鎌倉時代頃に移入されたと考えられています。加工性に優れる特徴から、建材、家具材、に多く用いられています。
 蒜沢阿弥陀堂は八幡神を合祀し五穀豊穣と馬の安全を祈願する場として地域の人々に親しまれています。またこの境内は元禄潜穴のずり穴の一つでしたが、昭和48年児童公園敷地となりました。付近には「おまん伝説」にちなむ地蔵も祀られています・
平成23年4月
 松島町教育委員会

阿弥陀堂が見えます

では、次へ・・・・おまん地蔵はトンネル工事ですね、と言う事で国道346号線沿いにある、明治潜穴公園に行きます


公園のモニュメントです


説明版です


鎌田三之助と品井沼干拓の石碑です

では、次へ行きましょう
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宮城県大郷町、石原「石原のケヤキ」です!!

2021-04-06 07:16:00 | 巨樹・大木
石原地区は、大郷町役場の北西約4kmのところ

県道40号利府松山線を北へ、吉田川を渡って左(西)へ竹谷大和線です、道なりに進み北向きから北東向きに変わる所を左の町道に入ります、道なりに進むと上道集落です、道路左手に石原公民館が有ります

公民館前の道路脇に車を止めさせて頂きました

公民館です

向かい側の山際にケヤキが在ります

北側から目通り幹囲6.0mの巨木です

根元には水路があります、欅は水の豊富な所によく育ちますね

西側から

では、次へ行きましょう
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宮城県大郷町、大松沢 「鹿島神社のウラジロガシ」です!!

2021-04-05 06:09:35 | 巨樹・大木
 大松沢は、大郷町役場の北約5kmのところ

 県道40号利府松山線を北へ、吉田川、鶴田川と越えてコンビニの有る信号を左(西)へ県道16号石巻鹿島台色麻線を進みます

 県道に面して南向の参道を開いて鹿島神社が鎮座します、入り口の赤い鳥居が目印です

 鳥居前の道路脇に車を止める事が出来ました



鹿島神社参道入口です


文化財標柱です、鹿島神社は大郷町指定文化財です

参道を進みます

竹林に囲まれた石段を登ります


狛犬です

水盤です

拝殿です

拝殿のすぐ右(東)側に目的のウラジロガシです

根際が持ち上がっているようで特異な形をしています、幹の大きな傷が根元で向う側へ抜けている南東側から見ました
.
東側から、目通り幹囲6.3mの巨木です


本殿を屋根の下に見る事が出来ます

東側には金華山などの石塔が並びます

西側には湯殿山などの石塔が並んでいました

では、次へ行きましょう
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宮城県大衝村、大森「法幢寺の榧の木」(村指定)です!!

2021-04-04 06:41:25 | 巨樹・大木
大森地区は、大衝村役場の東約6kmのところ

県道57号線を東へ、東北自動車道大衝インターチェンジを過ぎて工業団地の中の信号を左へ、また工業団地の中の㈱JCI前の交差点を北へ入ります、道なりに進むと法幢寺前に出ました

境内入口脇に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

法幢寺参境内入口です


曹洞宗 大森山 法幢寺です

説明版です
  大森山法幢寺
所在 大衝村大森字寺前地内
 曹洞宗通幻派。本尊 阿弥陀如来
 元応年間(1319~1320)吉全和尚が住職していたが後に荒廃したという。
 天正元年(1573)志田郡師山村広禅寺の僧、仲庵佑的和尚が中興した。
 境内には大正5年に合併された阿弥陀堂があり、御堂の中には元応2年に吉全和尚彫刻の阿弥陀仏如来尊像の石碑がある。
 また裏の榧の木は、高さ約20m、幹廻り5.5mで、樹令700年以上と言われ村内有数の古木である。
平成7年3月
 大衡村教育委員会
 大衡村文化財保護審議会



目的のカヤは本堂裏側です

本堂背面南側から見ました

西側墓地から

近付いて見ました

説明版です
 法幢寺の榧の木
所在 大衡村大森字寺前地内
樹令 700年以上(推定)
 本堂裏の緩斜面の立つこのカヤの木は、樹高約22m、直径1.8m、幹太さ5.5mの県内でも有数の大木である。
 幹は条痕が顕著で枝の基部も含め凸凹が激しい。幹腐れが8mまで見られ、根元は空洞になっている。
 主幹は10m付近で5~6本に分岐してやや扁平な20mのもなる樹冠を作っている。
 枝葉の着生が多く、中段から下の枝は垂れ下り、地面を覆っている。
 カヤはイチイ科の針葉樹で古くから将棋盤や碁盤として珍重されている。
平成26年3月
 大衡村教育委員会
 大衡村文化財保護審議会


北側から太い幹を見ました、目通り幹囲5.5mの巨木です

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宮城県富谷市、大亀 「鹿島天足別神社のアカガシ」(県指定)です!!

2021-04-03 06:19:00 | 巨樹・大木
 大亀地区は、富谷市役所の南東約5kmのところ

 大亀山(標高122m)の山頂近くに鹿島天足別神社(大亀神社)が鎮座します、大亀山森林公園のなかです

 県道256号西成田宮床線を東へ、県道56号仙台三本木線に合流して南へ、約1kmで左へ道なりに進み仙台北部道路を過ぎると間も無く大亀山森林公園入口です、道路は大亀山に登って行きます、展望台入口を過ぎて左カーブの内側に石鳥居が見えて来ます、鹿島天足別神社表参道入口です

 鳥居前に車を止めさせて頂きました




.参道入口です

鹿島天足別神社表参道です


.説明版です
   鹿島天足別神社・亀石
 この神社は延喜式内社で、陸奥国百座の内の一社で、常陸国の鹿島の神、武𤭖槌命、下総の国の香取の神、経津主命を祀っている。
 この二柱の神は武勇をもって知られ、蝦夷征伐に出兵した人々の武運長久や旅の安全、さらに東国からきた兵士や、農民の守護神として、尊敬を集め祀られた神社で、勧請年月日は不明である。
 この神社の傍らに亀の形に似た大石があり、里人は大亀と呼び大明神の地にあるので、神社名(大亀明神)となり、さらに村名(大亀)となったといわれる。
 亀石は平成24年8月23日、町の史跡として指定された。
 平成28年3月 富谷市


急な石段の参道を進みます


あと少しで石段を登り切ります、社殿の屋根が見えています


登り切った左に水盤です

狛犬ですが、片方しかいませんでした、散歩中かな

拝殿です

西側の本殿と境内社です

亀石と本殿です

延喜式内社です

拝殿前に大きな樫の木が在ります

目的のアカガシです

説明版です
   榊流永代神楽javascript:void(0);

   アカガシ
 このアカガシは高さ約20m、幹周約5.8mで、樹齢は500~600年と推定される。
 当地方ではまれにみる古木で、昭和38年8月1日、町の天然記念物として、その後、平成18年4月28日、県の天然記念物に指定された。
 平成28年10月 富谷市


拝殿脇から

西側から

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宮城県富谷市、富谷「北雲台の織部杉」です!!

2021-04-02 06:46:00 | 巨樹・大木
富谷市役所のすぐ西に富谷小学校が有ります、小学校のすぐ北側に墓地の点在する丘が「北雲台」です

入口の駐車スペースを利用させて頂きました


富谷小学校校舎です

北雲台入口です

説明版です
  北雲台
 北雲台は、初代内ヶ崎織部夫妻をはじめ、歴代内ヶ崎一族の墓所である。
 織部は前名で筑後といい黒川氏に仕える家老職だったが、天正18年(1590年)に、主家が除かれたあとは仕官せず帰農した。元和4年(1618年)正宗公に召し出されて宿場づくりに励み、のち検断として強度の発展に尽くした。
 墓の傍らには樹齢三百有余年といわれる老杉が立つ。




北雲臺の東屋状の拝殿です、正面右手に織部夫妻の墓が見えています

織部夫妻墓に傍らに、目的の織部杉です


北側から

北東側から、目通り幹囲5.2mの巨木です


南東側から見ました




左手のスギも大木です


東側丘の墓地から見ました

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宮城県富谷市、鷹乃社「鷹乃社の亀杉」(市指定)です!!

2021-04-01 06:25:00 | 巨樹・大木
鷹乃社地区は、富谷市役所の南南西約4kmのところ

国道4号線西側の丘の上、住宅地の西端に「亀杉」の在る「2丁目公園」が有ります

国道4号線の富谷町富ケ丘信号から西に入ってコンビニの手前を北へ登て行きます、住宅地の中を迷いながら進むと


南側の住宅街の道路から丘の上に大きな樹が見えます

公園下の道路脇に車を止めさせて頂きました

町内会の防災案内板です、2丁目公園の文字の下に亀杉の文字が見えます


2丁目公園入口から見ました

根元へ行きましょう

階段を登ります

東側から、残念ながらフェンスに囲まれてしまっています

亀杉の由来の石碑です
  亀杉の由来
 今から約300年前藩祖伊達正宗公がこの地に一日鷹狩を催したところ、日頃ちょう愛の鷹を放ったところ何故か日頃の元気さを失い急に落下その場で死んでしまいました。正宗公はひどく悲しまれ近所の農家から素焼きの瓶をもらいうけて鷹を土中に手厚く葬いその傍に杉を植えました。その後杉は大木に育ち四方に枝を張り広げて見事な枝ぶりの杉の大木になりました。このように鷹を瓶に入れて葬ったところから、この杉を「瓶杉」転じて「亀杉」と呼ぶようになりました。
昭和44年 富谷町天然記念物
 鷹の社長生会 山路アイヲ書
昭和55年8月

北東側から、目通り幹囲6.2mの巨木です

では、次へ行きましょう


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