ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県柴田町、船岡西「麹やコレクションのケヤキ」(町指定)です!!

2021-04-23 18:09:37 | 巨樹・大木
柴田町役場のすぐ南側に麹やコレクションと言う施設があります

先代藩の御用商人の蔵だった建物がレンタルスペースとなっている施設です

敷地の西端にケヤキの巨木が在ります

麹やコレクションの西側に白鳥神社があります、駐車場を利用させて頂きました


ケヤキは西側の白鳥神社側から見る事が出来ます

南西側から見ました

西側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

*天然記念物標柱等は確認できませんでした

では、次へ行きましょう
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宮城県仙台市、宮城野区岡田「照徳寺のイチョウ」(保存樹木)です!!

2021-04-23 06:33:52 | 巨樹・大木
仙台市役所の東南東約12kmのところ

この地区も、仙台東部道路の東側で東日本大震災による津波の被害を受けているところです

国道45線を東へ、高砂八谷信号を過ぎた福室跨線橋の立体交差を南へ

県道141号線です、道路はそのまま県道10号線となり更に蒲生二本木信号を南へ

蒲生前通信号を東に入って、すぐを南へバス通りを進むと右手に照徳寺が有ります

境内に車を止める事が出来ます

東向きに参道入口です、本堂前参道左手にイチョウの巨木が見えています

浄土宗 照徳寺です


参道南側目的のイチョウを北東側から見ました

保存樹木指定されています、表記は樹齢約350年ですがそろそろ400年になりますね


参道脇には東日本大震災慰霊之碑です

本堂です

出羽三山の石碑です


本堂前から


西側から



北側から

九州朝日放送の水と緑のキャンペーンで、津波による浸水被害を受けていますので樹木医の治療が行なわれました

では、次へ行きましょう
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宮城県多賀城市、市川「陸奥総社宮の老杉と白木蓮」(保存樹)です!!

2021-04-22 08:47:00 | 巨樹・大木
市川地区は、多賀城市役所の北西約2kmのところ

JR東北本線こくふたがじょう駅の北側を東西に走る県道35号塩釜海道の北側に多賀城跡が有ります、その北東側(鬼門)に陸奥総社宮が鎮座します

県道35号線の砂押川に架かる新市川橋西詰め信号から北側に市川橋で砂押川を渡り直して三叉路を左へ、多賀城跡の北側に登って行きます、道路の左手に参道入口が見えて来ました、手前に駐車場が有りますので利用させて頂きました


参道入口です



陸奥総社宮です


狛犬です


手水舎です


延喜式神名帳に載る神社名が記載されてる、由緒書です。
 醍醐天皇の延喜年中勅して全国より由緒正しき社、3132座を神明帳に載せらる、内188座を大社とし、他を小社とす、之を延喜式内社と称し国司に命じて幣帛を供進せしめしが後に参進の便を図り之を各国府の地に合祀して総社という、当社は即ち陸奥国一百座を、合祀する陸奥総社なり、奥州留守職伊沢氏三千刈田の斎田を寄せ、後村上天皇の未だ陸奥の大守として多賀の国府に、在せし時、神護祈念を当社に懸け給う、伊達氏亦正宗公以来歴世祈願の事あれば藩主自ら社参するを例とせり、当社は此の如く多賀国府と不可分の史跡にして東奥鎮護の大社なり。(三原良吉誌す)
 

拝殿です

玉垣の中に本殿の屋根が見えます

本殿西側には狛犬に祠が並びます



拝殿の東側の藪の中に目的のスギが在ります

南側から見ました、目通り幹囲5.0mの巨木です


近付いて南側から、西に出ている大枝が折れてしまっています

保存樹案内板です、指定第5号 樹齢約630年です





すぐ東側にハクモクレンの大木です

保存樹木案内板です、指定第4号 樹齢250年です


説明板です
総社宮御神樹のこと
  杉      南北朝時代より樹齢620年
  ハクモクレン 江戸時代より樹齢240年
 老杉(おおすぎ)に白木蓮の花化粧・・・・・昔より誰からともなく愛され、詠まれ、語り継がれてきたこの杉の巨木と白木蓮を対称して、人々は長寿で仲のよい「うるわしい夫婦に見立て、家族円満、幸せの神樹とて慈しみ尊敬されて参りました。
 東北では古くから木蓮の白い花を農作業のめやすとして「種蒔桜」とも呼んでいました。
 又の説に陸奥国府の長官が赴任の際に京より移し植えられたとも伝えられてます。
 ご参拝においでの方々が、この両木に長寿と美しさにあやかるよう、そっと手を触れてお帰りになられます。あなた様もどうぞこの両神樹の永い歴史と年月に耐えて来たたゆまざる強さ、そして花満開期の豊かな美しさにあなた様の限りなき幸福を祈願して下さい。(宮司)
  献詠
平成6年8月 板橋清風作
 老杉木蓮 是れ精霊 双樹天に聳えて 神庭を瞰す 枯淡延命 豊麗の姿 神樹低頭して懇願銘すべし



では、次へ行きましょう


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宮城県塩釜市、一森山「鹽竈神社の御神木杉とタラヨウ」(市・県指定)です!!

2021-04-21 06:29:19 | 巨樹・大木
一森山地区は、塩釜市役所の北西約1kmのところ

JR仙石線ほんしおがま駅前から西へ県道3号塩釜吉岡線を進むと右手の丘の上に鹽竈神社が南向きに鎮座します

県道側が表参道ですが、無量駐車場が東参道側丘の中腹に有るので少し戻って県道から入った宮町信号を西に入り坂道を登ります

広い駐車場が有ります



境内案内板です

東参道へ行きましょう

東参道を進みます、石鳥居です


狛犬です

更に東参道を進みます、少しずつ石段を登って高くなっていきます

手水舎です

陸奥国一之宮 鹽竈神社の石柱です

馬場を通って表参道の石段の中ほどから随身門を見上げました

随身門を入ると表参道の手水舎です

随身門の西側に市指定天然記念物の御神木の杉が目的のスギです目通り幹囲6.6mの巨木です

拝殿手前の廻廊の有る門です

拝殿です



拝殿前左手にもう一つの目的、県指定天然記念物のタラヨウです

西側から見ました、目通り幹囲3.7mの大木です


案内板です
宮城県天然記念物
 鹽竈神社の多羅葉
樹齢500年
樹高22m

わたしの名刺
  多羅葉(タラヨウ)
 日本・中国の暖地に分布するモチノキ科の常緑樹。葉に固い物で字が書け長く残るので経文を記したり、炙ると出る環紋を占いに用いた為に社寺に多い。「葉書」の語源とされており、別称ハガキノキ。名前は古代インドで経文を書くのに用いた多羅樹が由来とされる。この付近が北限とされ、境内のものは貴重な老大木。晩春に淡黄色の花、秋二赤い実を付ける。

では、次へ行きましょう




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宮城県塩釜市、一森山「鹽竈神社」(国指定重要文化財)です!!

2021-04-20 06:18:47 | 文化財・寺社
一森山地区は、塩釜市役所の北西約1kmのところ

JR仙石線ほんしおがま駅前から西へ県道3号塩釜吉岡線を進むと右手の丘の上に鹽竈神社が南向きに鎮座します

県道側が表参道ですが、無量駐車場が東参道側丘の中腹に有るので少し戻って県道から入った宮町信号を西に入り坂道を登ります

広い駐車場が有ります


境内案内板です

裏参道へ行きましょう

博物館脇の「鋳銭釜」です

説明板です
  甑炉型 鋳銭釜
 仙台藩の鋳銭事業は、幕府の許可を得て、寛永14年(1637)に、栗原郡三迫で始まりましたが詳細は不明です。
 その後も藩は、再三に渉り幕府に、鋳銭願いを出し、享保11年(1726)4月に領内産、銅のみで鋳造することを条件に許可されました。
 この時、北上川河口の水上交通の至便な石巻に鋳銭場を設置し、享保13年(1727)より鋳造を開始し、明和以降は、鉄銭も作るようになり、明治維新まで続きました。
 この鋳銭釜は、この石巻鋳銭場で使用されたものです。
 使用法が重ね合わせて米を蒸す甑に似ていることから、甑炉型と呼ばれています。
 日本に現存する鋳銭釜甑炉で、上・中・下三段共揃って保存されているのはこれだけで、貴重な産業遺産となっています。

東参道を進みます、石鳥居です


狛犬です

更に東参道を進みます、少しずつ石段を登って高くなっていきます


また狛犬です


更に狛犬です、それぞれ個性豊かです

手水舎です

陸奥国一之宮 鹽竈神社の石柱です

東神門です

境内図面です

説明板です
 陸奥国一之宮 旧国幣中社
鹽竈神社(例祭日7月10日)
祭神 別宮 鹽土老翁神(いおつちおおぢのかみ)
   左宮 武甕槌神(たけみかづちのかみ)
   右宮 経津主神(ふつぬしのかみ)
<由緒>
 当神社は、武甕槌神と経津主神の二神が鹽土老翁神の案内により陸奥国を鎮定して当地に祀られたのが始まりとされる。
 鹽土老翁神は、当地に留まって人々に塩づくりを教え広めたと伝えられる。平安時代編集の「弘仁式」並び「延喜式」に「鹽竈神を祭る料壱萬束」と記されていることから、当時すでに重要な神社であったと考えられる。
 その後も武家による崇敬を集め、特に江戸時代には、仙台藩主伊達家は厚い崇敬を寄せ、歴代の仙台藩主は、社領などをきしんするとともに、自ら祭事を司った。
<社殿>
 現在の社殿は、宝永元年(1704)に竣工したもので、江戸時代中期の優れた神社建築として、平成14年(2002)、国の重要文化財に指定された。

国指定重要文化財の説明板です
  国重要文化財指定 鹽竈神社
 古来、陸奥国一宮と称されている。その創建年は不明であるが、弘仁式主税帳(820)の記録から、9世紀前半には朝廷より祭祀料をいただく揄数の神社として存在していたことがうかがわれる。
 古代においては、この地が陸奥国府・多賀城の国府津であったこと、陸奥国内の製塩の中心地であったことなどが、鹽竈神社の創建や社名に関連していると考えられている。
 その後、平泉の藤原氏、陸奥国留守職の伊澤氏、仙台藩主の伊達氏などの庇護を受け、今日に至っている。これらに関係する人々や神社と縁のある人々の寄進した文物等が境内及び鹽竈神社博物館に多くみられる。
 現在の社殿は、第4代仙台藩主・伊達綱村が元禄8年(1695)に塩竈の町づくりと共に神社造営の工事に着手し、宝永元年((1704)題代藩主・吉村の時に完成したものである。
 「三本殿二拝殿という全国でも類例がほとんどない社殿構成で、整然とした配置計画も優れていること。本殿・幣殿・廻廊は、正統で装飾を抑えた意匠で、拝殿の古風な細部様式や門等の華やかな様式と絶妙な諧調を創り出していること。」
 これが江戸中期の神社建築として価値が高いと評価され、平成14年(2002)12月、国の重要文化財に指定された。
 平成15年3月
塩竈市教育委員会


舞殿です


またまた狛犬です

伊達綱宗公の石碑です

報恩の石碑です

南側の馬場に戻ります

表参道の石段の中ほどから随身門を見上げました

随身門を入ると手水舎です

拝殿手前の廻廊の有る門です


こちら側の狛犬は鬼のような角が表現されています

拝殿です

銅鐡合製燈籠です

説明板です、塩釜市指定文化財です




文治の燈籠です

案内板です、松尾芭蕉もこの燈籠を見たのですね



左右両宮本殿の屋根を見ることが出来ました


別宮拝殿です


別宮本殿の屋根を見ることが出来ました

撫で牛です

では、次へ行きましょう
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宮城県塩釜市、一森山「志波彦神社とメタセコイア」です!!

2021-04-19 06:10:22 | 巨樹・大木
一森山地区は、塩釜市役所の北西約1kmのところ

JR仙石線ほんしおがま駅前から西へ県道3号塩釜吉岡線を進むと右手の丘の上に鹽竃神社が南向きに鎮座します、志波彦神社は鹽竈神社のすぐ東側に鎮座します

県道側が表参道ですが、無量駐車場が東参道北側丘の中腹に有るので少し戻って県道から入った宮町信号を西に入り坂道を登ります

道路左手に塩竈神社の参拝用駐車場が有ります

目的のメタセコイアは、駐車場の北側の斜面上に5本程が並んで植えられています


駐車場脇の道路から西側のメタセコイア2本です

梅とケヤキの後に中程の2本です

東端に目的のメタセコイアの大木です




南東側から見上げました


西側から、目通り幹囲4.0mの大木です

では、志波彦神社へ行って見ましょう

広い駐車場の一番奥から坂道を登って塩竈神社東参道に出ます

右の赤い鳥居が志波彦神社の鳥居です


延喜式内 志波彦神社です

手水舎です

神門です

説明板です
  志波彦神社(しわひこじんじゃ)
 志波彦神社は鹽竈の神に協力された神と伝えられ、国土開発・産業振興・農耕守護の神として信仰されている。
 当神社はもと、仙台市岩切冠川(七北田川)の畔に鎮座され、陸奥国延喜式内社百座のうち名神大社として、朝廷の厚い信仰があった。
 明治4年5月国幣中社に列格されたが、境内も狭く満足な祭典を行うことが不可能な為に、明治天皇の御思召により、明治7年12月24日に鹽竈神社の別宮に遷し祀られた。さらに、昭和9年現在地に工事を起し、明治・大正・昭和三代にわたる神社建築の粋を集め竣工し、昭和13年9月に遷座した。本殿・拝殿何れも朱塗り、彫刻部分は極彩色漆塗りで、昭和38年塩竈市の文化財に指定された。
 平成6年 塩竈市教育委員会



拝殿です

本殿の屋根を見る事が出来ました

では、塩釜神社へ行って見ましょう
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宮城県東松島市、大塩「新山神社の老杉」(県指定)です!!

2021-04-18 06:57:38 | 巨樹・大木
大塩地区は、東松島市役所の西北西約4kmのところ

県道204号線沿いに参道を南に開いて新山神社が鎮座します

参道入口の鳥居脇に車を止めさせて頂きました



参道入口鳥居です

茅の輪の潜り方の説明書きです、説明書きの通りに茅の輪を潜りました

神社の絵図と由緒書きが有りますが金網でよく分かりませんね(拝殿前にも由緒書が有りますので後ほど)

説明板です
  新山神社
 寛治5年(1091)後三年の役、源義家に従軍して来た鎌倉権五郎平影政が、この地を通り、新山大権現に戦勝を祈願し、後に戦功によって義家より深谷郷((矢本、河南、鳴瀬)を賜った。平影政は戦勝の報告と奉賛の意をもって、社殿の造営をし、社領等を寄進し、文治年中に長江氏が社殿を再造営したと伝えられている。
 明治2年(1869)新山神社と改められ、祭神に桓武天皇の第五皇女大宅内親王を奉斎している。
平成6年3月1日
 矢本町教育委員会


参道を進みましょう

楼門が見えて来ました

楼門を潜ると石段の先に新しい拝殿が見えています

手水舎です

拝殿です

本殿は覆屋の中です

由緒書きです
  新山神社由緒
 御祭神は、激動の人生を送るも、この地で人々の優しさに触れ、鎮守神となった桓武天皇(在位781~806年)の第五皇女(大宅内親王)である。内親王を祀る神社は数少なく、その神紋は皇室に由来する十六葉菊花紋とする。
 内親王(姫宮)とその兄宮は、平安京の政争から逃れ、途中で免れる憂き目に遭うが、姫宮だけはこの地にたどり着いた。大窪や塩入、矢本などを巡り、小野村の名主に宿を頼んだ、臼の上に戸板を敷いて眠りにつくと、不思議にも身体が光り輝いている。名主はすぐに国司に上申し、館を用意してもてなした。姫宮はたいそう喜び、兄を思慕しつつ、短い生涯を終えたのだった。兄宮は妹を探し続け、この地を訪れるが、すでに天に昇っていることを知り、出家を決意。今の澗洞院を開いたと伝えられている。
 その後、小野村の名主に「姫宮が大窪山へ飛んでいき、そこにお座りになった」とお告げがあった。名主が見に行くと、大木の上がこうこうと光り輝いている。この大木の地に、姫宮を新山大権現としてお祀りするようになった。
 長い歴史の中で社殿の再建や修理が、人々の協力を得て絶えず続いている。平安時代の後期、後三年の役では、武勇の誉れ高い鎌倉権五郎・平影政が戦勝を祈願。見事勝利を収め、寛治5年(1091年)に社殿を再建し、領地を寄進した。
 慶安5年(1652年)の修理では、仙台藩二代藩主の伊達忠宗より材木が下された。また平成28年(2016年)の火災で社殿が全焼した時は、地域の篤信により、早くも翌年に再建された。
祭日 1月 1日 元旦祭
   4月17日 春季例大祭
  10月17日 宵祭り(湯立神事)
     18日 秋季例大祭
  11月23日 新嘗祭
末社 秋葉社
   愛宕社 

平成の再建記念碑です、火災の原因は不審火とありますので不明の様です

社殿周りのスギも焼けてしまったのか、切株が並んでいました


境内参道西側に目的の老杉です

北側拝殿脇から

北西側から、目通り幹囲5.6mの巨木です、姫宮が飛んでいって座ったのがこの木でしょうか、だとすると樹齢1200年以上でしょうか、なんて考えて見ました

境内東側から


天然記念物標柱です

御堂です

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宮城県東松島市、矢本「大明王院のケヤキ」(市指定)です!!

2021-04-17 06:22:17 | 巨樹・大木
矢本地区は、東松島市役所のところですが、西南西約3kmのところに滝山公園が有ります、県道243号東浜街道に東側の入口にあたる道路を入ってすぐ北側に、お不動様を祀った大明王院が有ります

前の道路脇に車を止めさせて頂きました



滝山公園への道路です


境内入口です

大明王院です


道路からケヤキを見ました


境内へ入りました、目通り幹囲5.2mの巨木です

見上げます

御堂です

大きなお不動様が立っています

御堂前から見ました

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宮城県東松島市、大曲「月観の松」(市指定)です!!

2021-04-16 06:28:26 | 巨樹・大木
大曲地区は、東松島市役所の北北東約2kmのところ

三陸自動車道と県道16号線の間を平行に走る市道の脇、南側に玉垣に囲まれて綺麗な傘状のクロマツ「月観の松」が在ります

東側の農道脇に車を止めさせて頂きました



南側農道から見ました、綺麗な傘状に枝を広げています

東側から幹を見ました


天然記念物標柱です

説明板です
町指定天然記念物
  月観の松
昭和48年1月30日指定
 矢本町大曲字宮前(五味倉)地内にある黒松で、主幹は地上より8m、四方に向け大枝を分岐している。
 枝葉は繁茂垂下し、地上に達する。傘状樹冠を呈し樹形すこぶる優雅。地際周囲4m、樹高15mで樹齢は約1000年。
 往古、金売吉次がこのあたりに滞在し、月を鑑賞したと伝えられのでこう言われている。
 金売吉次の長者伝説は各地に残されており、この月観の松もその一つであろう。
平成6年3月1日
 矢本町教育委員会

*金売吉次とは、平安時代末期に奥州で産出される金を京都で商う仕事をし、源義経が奥州藤原氏を頼って平泉へ下行するのを手伝ったと言う伝説の人物です。(金売とは、金を売っていたことから付いた字名でしょうか)
*矢本町と鳴瀬町が2005年(平成17年)に平成の大合併で東松島市になりました

根元に祠が南向きで有ります

南西側の幹です

南側から

月観松記念碑です

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宮城県石巻市、桃生町太田「日高見神社のケヤキ」(市指定)です!!

2021-04-15 06:24:20 | 巨樹・大木
桃井町太田地区は、石巻市役所の北約13kmのところ

国道45号線を北へ、北上川が見えて飯野川橋の手前で県道30号河北桃井線へ、北上川右岸堤防道から道なりに進みます、左手に愛宕山(標高132.3m)が見えてくると、間もなく地区に入って県道が大きく右にカーブする所の三叉路を左に入ると直ぐ右に日高見神社への参道が南向きに開いています、参道入口脇にまず車を止めさせて頂き、目的のケヤキを取材させて頂いてから、参道を車で進んで社務所前の駐車場に入りました



注連縄の懸けられた石鳥居が有ります、参道入口です

延喜式内 日高見神社です

説明板です
 日高見神社
(1)社格・・・郷社
(2)祭神・・・天照大神・日本武尊・武内宿禰
(3)所在地・・太田拾貫
(4)祭日・・・4月19日・9月19日
 「続日本紀」によれば、宝亀11年(780)「百済王俊哲等が賊に囲まれ桃生・白河等の郡神11の社に祈る」がこの神社の初見で、桓武天皇の延暦21年(802)正五位上勲五等に叙し、続いて三代実録の貞観元年(859)の「陸奥国日高見水神に従四位下に授く」とあるので往古は北上川の河神ではなかったかと旧「桃生村誌」は記している。
 後冷泉天皇の康平歴年中(1058~1069)



参道入口のケヤキです

狛犬です

ケヤキの根元に立派な”御神体”です

参道を進みましょう

参道に入って間もなく左手に目的のケヤキです

東側から見上げました、目通り幹囲5.9mの巨木です

説明板です
 御神木とされるこの欅は、推定樹齢900~1000年と言われ、後冷泉天皇の御代、源義家が安部貞任討伐の際、義家が身を隠して敵の追撃をのがれたと伝えられるもので、身隠しの木、除難の木、厄除の木と言われている。
 又、平成16年宮中歌会始 御題「幸」の預選歌「一本の樹となりて あれ幸せは 春の大地を 濡らしゆく雨」宮司大和昭彦作 の一本の樹とは、この御神木を基に詠まれたものである。
 平成16年3月30日


参道奥側から、大きな洞に隠れたのでしょうか



参道を進みましょう

社殿が見えて来ます

手水舎です

拝殿です

本殿です



境内社が建ちます

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宮城県石巻市、北村「箱泉寺のイチョウとスギ」です!!

2021-04-14 06:38:48 | 巨樹・大木
北村地区は、石巻市役所の北西約12kmのところ

国道108号線石巻別街道を進みます、旭山(標高173.8m)の東斜面に参道を東に開いて箱泉寺が有ります

参道入口側の県道脇の広い所に車を止めさせて頂きました



県立自然公園旭山の案内板です


参道入口です

参道石段を進みます

山門が見えて来ます


真言宗 智山派 深谷山 一心院 箱泉寺です

説明板です


山門っを潜ると参道の先に左手に目的のイチョウ、右手に杉が見えました

北東側から

西側から、目通り幹囲6.3mの巨木です

南側から

南東側から



本堂です

弘法大師飯様です

南東側から

南側から、太い注連縄が巻かれた御神木ですね

南西側から

西側から、目通り幹囲4.5m程の大木です

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宮城県石巻市、北村「高福寺のイチョウ」です!!

2021-04-13 06:42:35 | 巨樹・大木
北村地区は、石巻市役所の北西約13kmのところ

国道108号線石巻別街道を進みます、河南町広淵信号で右(北)へ国道を進み、約1.5kmの交差点を西へ県道151号河南南郷線を約1.5km進んで、次の信号を南に入り道なりに進むと左手に高福寺が南向きに有ります、旭山(標高173.8m)の南側の丘の上です。

本堂西側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました

南側からの境内入口です

曹洞宗 高福寺です

本堂です

西側に広い墓地が有りますが本堂脇の駐車場からは、それらしいイチョウの大木は見られません

坂道を下って北側に墓地への入り口が有ります

入って行くと正面に目的のイチョウが見えて来ます

南東側から

南側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

西側から

北側から

垂下する乳が切られて、また伸び始めています



大きな観音様が有ります

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宮城県石巻市、北上町十三浜「吉浜熊野神社のイチョウ」です!!

2021-04-12 07:19:00 | 巨樹・大木
北上町十三浜地区は、石巻市役所の北東約24kmのところ

県道33号線を北へ、北上川が見えると県道30号線を東へ、北上川右岸堤防上の道路を進みます

賀茂小鋭神社を右に見て更に東へ、東日本大震災で多くの生徒と教職員が犠牲になった大川小学校跡傍で国道398号線の新北上大橋で北上川左岸へ渡ります

橋を渡って右(北東側へ)、国道398号線で北上川左岸堤防上えお進みます、左から山が迫ってくるところで左手を見ると山裾に鳥居と目的のイチョウが見えて来ました

参道脇の草原に車を止めさせて頂きました



参道入口から参道の鳥居を見ました、目的のイチョウは鳥居後右側です

熊野神社です
.
銅鳥居と門杉ならぬ門イチョウですね

鳥居下から見あげました

石段を登りましょう


石段を登ってイチョウを見ました、目通り幹囲5.5mの巨木です

石段中段からイチョウを見ました

石段を登り切ると狛犬です

拝殿です

本殿は覆屋のなかです

拝殿東側の境内社です

祠が並びます


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宮城県石巻市、福地「賀茂小鋭神社のケヤキとヒノキ」(地区指定)です!!

2021-04-11 08:07:00 | 巨樹・大木
福地地区は、石巻市役所の北東約13kmのところ

県道33号線を北へ、北上川が見えたら県道30号線を東へ北上川右岸の堤防上を進みます

約6kmで右手に福地山(標高257.4m)が近づいてくると道路右手に鳥居rの頭が見えて来ます

参道は南向きに賀茂小鋭神社が鎮座します(社殿は西向きです)、手前のバス停脇に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました



福地閘門バス停です


神社入口です、目的のケヤキは鳥居の後、参道石段の左側に在ります

郷社 賀茂小鋭神社です

説明版です
延喜式内社 賀茂小鋭神社(かもおとのじんじゃ)
 桃井六座の一つで、延喜式神名帳に「小鋭神社」の名がみえる。祭神は、小田神、賀茂別雷命、玉依姫命、賀茂建角見命を祀る。
 古くは小田神ととなえ、小鋭神社と称された。後、京都賀茂別雷神社の分霊を得て合祀され、賀茂小鋭と称されるようになった。
 奥ノ院には御神像七躯が安置されているが、そのうち五躯が昭和31年に宮城県指定有形文化財(彫刻)に指定を受けた。指定された賀茂建角見命・賀茂別雷命・随身三躯の彫刻は、いずれも冠・狩衣・指貫をつけ、浅沓を履き、笏を持った立像で、顔は怒りをあらわした表情をしている。大きい立像は50cm程度あり、カヤ材の一木造りで、鎌倉時代初期の作と推定される。当該期の神像彫刻として貴重な作例といえる。
令和2年3月
 石巻市教育委員会

駐車場から見ました

道路からケヤキを見ました

参道石段前から見あげました、目通り幹囲5.0mの巨木です

説明板です
 河北地区選定天然記念物
ニレ科 ケヤキ
 樹高 35m
 目通周囲 5m
 樹齢推定 350年
 所有者 賀茂小鋭神社
河北地区教育委員会
宮城県文化財保護協会

石段を上がります

石段中段から見ました

石段中段右のケヤキの大木です、根が露わになって印象的です

石段を登り切ると石塔が並びます

参道は直角に右へ曲がっています

杉並木の石段を登ります

参道石段の中段右にヒノキの大木です

説明板です
河北地区選定天然記念物
  ヒノキ科 ヒノキ
 樹高 30m
 胸高周囲 3.6m
 樹齢推定 350年
 所有者 賀茂小鋭神社
河北地区教育委員会

石段上側から見ました、綺麗なヒノキの大木です



参道石段右の御堂です

もう一つ御堂です

参道石段左の祠です

石段を登り切ると直ぐ拝殿です

手水舎です

本殿です

では、次へ行きましょう
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宮城県石巻市、水沼「龍泉院のイチョウ」(市指定)です!!

2021-04-10 06:17:00 | 巨樹・大木
水沼地区は、石巻市役所の北東約10kmのところ

国道398号線を東へ、旧北上川の内海橋を渡って県道192号石巻雄勝線を北へ進みます

道なりに進んでJR石巻線を過ぎて、田圃の広がる県道を進みます、雄勝峠への道です

山が近くなって左に見える集落の後側の丘の上に龍泉院が有ります

案内板に従って坂道を登って進むと山門前に出ました、駐車場は先に進んだ墓地の駐車場を利用させて頂きました



参道入口です、山門の先に目的のイチョウが見えています

石巻牡鹿三十三番札所霊場 第三十一番 曹洞宗 亀向山 龍泉院です

六地蔵様ですね

山門下から参道左手の土手上に目的のイチョウです(南東側から)

参道(北東側)から見ました、目通り幹囲5.1mの巨木です

参道奥側(北側)から見ました

お寺さんなのに狛犬が有ります

手水舎です

本堂前のお地蔵様です

本堂です

本堂前から見ました

東側墓地前に鐘楼が有ります

では、次へ行きましょう
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