一森山地区は、塩釜市役所の北西約1kmのところ
JR仙石線ほんしおがま駅前から西へ県道3号塩釜吉岡線を進むと右手の丘の上に鹽竈神社が南向きに鎮座します
県道側が表参道ですが、無量駐車場が東参道側丘の中腹に有るので少し戻って県道から入った宮町信号を西に入り坂道を登ります
広い
駐車場が有ります
境内案内板です
裏参道へ行きましょう
博物館脇の「鋳銭釜」です
説明板です
甑炉型 鋳銭釜
仙台藩の鋳銭事業は、幕府の許可を得て、寛永14年(1637)に、栗原郡三迫で始まりましたが詳細は不明です。
その後も藩は、再三に渉り幕府に、鋳銭願いを出し、享保11年(1726)4月に領内産、銅のみで鋳造することを条件に許可されました。
この時、北上川河口の水上交通の至便な石巻に鋳銭場を設置し、享保13年(1727)より鋳造を開始し、明和以降は、鉄銭も作るようになり、明治維新まで続きました。
この鋳銭釜は、この石巻鋳銭場で使用されたものです。
使用法が重ね合わせて米を蒸す甑に似ていることから、甑炉型と呼ばれています。
日本に現存する鋳銭釜甑炉で、上・中・下三段共揃って保存されているのはこれだけで、貴重な産業遺産となっています。
東参道を進みます、石鳥居です
狛犬です
更に東参道を進みます、少しずつ石段を登って高くなっていきます
また狛犬です
更に狛犬です、それぞれ個性豊かです
手水舎です
陸奥国一之宮 鹽竈神社の石柱です
東神門です
境内図面です
説明板です
陸奥国一之宮 旧国幣中社
鹽竈神社(例祭日7月10日)
祭神 別宮 鹽土老翁神(いおつちおおぢのかみ)
左宮 武甕槌神(たけみかづちのかみ)
右宮 経津主神(ふつぬしのかみ)
<由緒>
当神社は、武甕槌神と経津主神の二神が鹽土老翁神の案内により陸奥国を鎮定して当地に祀られたのが始まりとされる。
鹽土老翁神は、当地に留まって人々に塩づくりを教え広めたと伝えられる。平安時代編集の「弘仁式」並び「延喜式」に「鹽竈神を祭る料壱萬束」と記されていることから、当時すでに重要な神社であったと考えられる。
その後も武家による崇敬を集め、特に江戸時代には、仙台藩主伊達家は厚い崇敬を寄せ、歴代の仙台藩主は、社領などをきしんするとともに、自ら祭事を司った。
<社殿>
現在の社殿は、宝永元年(1704)に竣工したもので、江戸時代中期の優れた神社建築として、平成14年(2002)、国の重要文化財に指定された。
国指定重要文化財の説明板です
国重要文化財指定 鹽竈神社
古来、陸奥国一宮と称されている。その創建年は不明であるが、弘仁式主税帳(820)の記録から、9世紀前半には朝廷より祭祀料をいただく揄数の神社として存在していたことがうかがわれる。
古代においては、この地が陸奥国府・多賀城の国府津であったこと、陸奥国内の製塩の中心地であったことなどが、鹽竈神社の創建や社名に関連していると考えられている。
その後、平泉の藤原氏、陸奥国留守職の伊澤氏、仙台藩主の伊達氏などの庇護を受け、今日に至っている。これらに関係する人々や神社と縁のある人々の寄進した文物等が境内及び鹽竈神社博物館に多くみられる。
現在の社殿は、第4代仙台藩主・伊達綱村が元禄8年(1695)に塩竈の町づくりと共に神社造営の工事に着手し、宝永元年((1704)題代藩主・吉村の時に完成したものである。
「三本殿二拝殿という全国でも類例がほとんどない社殿構成で、整然とした配置計画も優れていること。本殿・幣殿・廻廊は、正統で装飾を抑えた意匠で、拝殿の古風な細部様式や門等の華やかな様式と絶妙な諧調を創り出していること。」
これが江戸中期の神社建築として価値が高いと評価され、平成14年(2002)12月、国の重要文化財に指定された。
平成15年3月
塩竈市教育委員会
舞殿です
またまた狛犬です
伊達綱宗公の石碑です
報恩の石碑です
南側の馬場に戻ります
表参道の石段の中ほどから随身門を見上げました
随身門を入ると手水舎です
拝殿手前の廻廊の有る門です
こちら側の狛犬は鬼のような角が表現されています
拝殿です
銅鐡合製燈籠です
説明板です、塩釜市指定文化財です
文治の燈籠です
案内板です、松尾芭蕉もこの燈籠を見たのですね
左右両宮本殿の屋根を見ることが出来ました
別宮拝殿です
別宮本殿の屋根を見ることが出来ました
撫で牛です
では、次へ行きましょう