ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県磐田市、中泉「天御子神社のヤマモモの木」(市指定)です!!

2021-12-16 06:22:02 | 巨樹・大木
天御子神社は、磐田市役所のすぐ東側のところです

丘の上から東側に下りかえたところにワークピア磐田が有ります

そのすぐ東に天御子神社が南向きに鎮座します

ワークピア磐田の駐車場に車を止めさせて頂きました

建物はワークピア磐田(職業安定所)です

すぐ東側に天御子神社参道入口鳥居です

御子神社です

手水舎です

ヤマモモの木ですがまだまだ若い木です

社務所は中央町自治会館です

社殿です

説明版です
  天御子神社社記
【御祭神】須佐之男命・櫛稲田姫命
【御神徳】五穀豊穣・縁結び・災難除・病難除・他
【祭典】祇園祭(例祭)7月15日直前の金土日
  歳旦祭      1月1日
【由緒】創立年月日は不詳ですが、延喜式神名帳(西暦927年成立)に「遠江国磐田郡天御子神社二座」と記載されています。
 社伝によれば、一条天皇の正暦2年に「天下泰平五穀豊穣の為舞車の神事を執行す」とあり、故に舞車神社とも称します。往古は「祇園舞車の義」という特殊神事が行われていました。
 中世には牛頭天王とも称され、明治12年7月には郷社に列せられました。
 毎年7月の祇園祭には、天御子神社の御神輿が、遠江国総社である淡海國玉神社へ渡御し、両神社の大祭が斎行され、謡曲「舞車」が奉納されています。
 当天御子神社は、矢祭比賣神社(見付天神)、淡海國玉神社(総社)とあわせて見付三社と呼ばれています。
*三つの神社の位置が解かる地図が有ります

社殿を右側から回り込みました、本殿裏に目的のヤマモモの木です(東側から)

社殿に背を向けて南側から

南東側から

東北東側から

説明版です
  市指定文化財
   天御子神社のヤマモモの木
 天御子神社は、現在祇園社と一体となっているが、「延喜式神名帳」にみられる由緒ある神社で、起源は平安時代までさかのぼる。淡海國玉神社と深いゆかりがあり(摂社)、矢祭比売神社や淡海国玉神社とともに見付を代表する神社の一つ。
 ヤマモモの木は、樹勢が良く、常緑を茂らせている。幹は地上2mあたりで二股に分かれ、うち1本は空高く伸び、さらにいくつかの幹に分かれる。胸高周囲、樹高とも県下9番目の大きさを測り、市内では最も大きい。ヤマモモは雌雄異株の常緑樹で、実は食用となるが、このヤマモモは雄株である。
 胸高周囲:4.4m、樹高:15.5m、推定樹齢:200~300年
 平成17年11月21日指定 天然記念物
  磐田市教育委員会文化財課

西側から

南東側から見ました

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静岡県磐田市、見付「西光寺の大樟とナギ・イヌマキ」(市指定)です!!

2021-12-15 06:33:06 | 巨樹・大木
西光寺は、磐田市役所の北東約1.5kmのところ

県道58号線(旧東海道)を北へ、加茂信号の次の信号を右(東)へ、見付宿場通り(旧東海道)を進みます


参道入口の表門です

説明版です
  西光寺の表門
 加茂川を渡り、まず目を引くのがこの表門です。これは徳川家康公が”別荘”として中泉村(現在の磐田駅南側、御殿・二之宮周辺)に築かせた中泉御殿(のち中泉代官所)の表門を移築したものと伝えられています。
 薬医門(桃山時代「1580年~1590年代」に始まった、もともとは城門の一種)といわれる総ケヤキ造で、素朴な建築美をたたえ、市内に残る代表的な江戸時代(1603年~1867年)の門として、昭和57年11月、市の文化財に指定されました。
  平成21年6月建之
   鴨川道場 東福山 西光寺

石段を上ると鐘楼門です

門前の右手には、時宗の宗祖一遍上人像です




正面に本堂です

境内左手(南側)に説明版です
  東福山西光寺由来略縁起
 このお寺は、鴨川道場東福山西光寺といい、阿弥陀如来をご本尊とする時宗の古刹であります


境内右手(北側)に目的のクスノキです、参道のすぐそばに聳えています

西側の本堂前からあ見ました

説明版です
  西光寺の大樟(磐田市指定天然記念物)
 寛政元年(1789)建立の鐘楼堂(山門)をくぐると、右側にクスノキの巨木が見えます。樹高18m、根回り13.7m、胴回り7.5m、推定樹齢500年という老大樹です。隣り合っているナギの大樹と一緒に昭和57年(1982)11月、磐田市の天然記念物に指定されました。
 生命力あふれる力強いその姿はもちろんのこと、そっと手をふれて見つめていると、訪れる人達に、深い歴史を声もなく語りかけているようです。
 最近は縁結びのパワースポットの木として有名になり、たくさんの人達に参拝されています。
 尚、境内南側墓地入口より西に向かって登って行くと、本堂裏手にひっそりと樹齢250年、マキの木(磐田市指定天然記念物)の大樹があります。こちらも見事な生命力と枝ぶりで、一見の価値、御覧になることをお奨めします。
  平成23年12月建之  東福山 西光寺 



見付の名木 楠 クスノキの標石です、こちらは樟ではなく楠の字になっています

南東側から見上げました

境内社の祠は熊野瞪誠殿です

縁結びのパワースポット説明版です


説明版です
  梛の木(磐田市指定天然記念物)
 ナギの木は、マキ科の常緑高木で、葉は楕円形、縦の方向だけ多数の葉脈があり、横には切れにくくなっていることから、縁結びのしるしとされています。
 静岡県下には、昔、婦人がこの葉を鏡の裏に入れておき、男性と縁が切れないおまじないにしたとか、弁慶が力自慢に、この葉を千枚重ねて横に切ろうとして失敗したとか、北条政子が若き日、伊豆山に配流されていた源頼朝とナギの木の下で愛を誓った・・・という話も残っています。
 最近は、縁結びのパワースポットの木として有名になり、たくさんの人達に参拝されています。
 自然に落葉したナギの木の葉っぱからがありがたい縁結び、良縁、開運のお守りになります。
 樹齢250年の生命力、できるだけ新しく、青々としたキズのない、きれいなナギの木の落ち葉をさがして、ご自由にお持ち帰りください。
  平成23年12月建之 東福山 西光寺

見付の名木 梛 ナギの標石です

南西側から

墓地入口に六地蔵様です

説明版に有ったマキの木です

墓石の影に真直ぐに立っています

天然記念物標柱と見付の名木の標石です

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静岡県磐田市、見付「省光寺のイチョウ」(市指定)です!!

2021-12-14 06:23:55 | 巨樹・大木
省光寺は、磐田市役所の北東約2kmのところ

県道56号天平通り(旧東海道)を北へ、加茂川信号を過ぎると県道44号線です、次の信号を右(東)へ見付宿場通り(旧東海道)です
見付宿脇本陣大三河屋門を左に見てつぎの信号を左(北)へ、県道86号磐田インター線に成って北へ進みます

間も無く左手(西側)に省光寺の鐘楼門が東向きに有ります、門前に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

県道からも目的のイチョウを見る事が出来ました


参道鐘楼門です

時宗 嶺松山 省光寺です

説明版です
  省光寺
・宗派 時宗
・本尊 阿弥陀如来
 創立年代は不明ですが、鎌倉時代中頃(約750年前)に時宗へ改宗したと伝えられます。6代住職が足利氏出身で、室町幕府2代将軍義詮の庇護を受けて栄え、御所道場の称号を受けたと伝えられています。
 本尊の阿弥陀如来像(像高97cm)は、鎌倉時代の作と言われ、向かって右に観世音菩薩像(像高65cm)、左に勢至菩薩像(像高62cm)を従えています。
 境内には、足利尊氏の守り本尊と伝えられる延命地蔵尊が安置されている天満地蔵堂や、市指定天然記念物のイチョウがあります。
*省光寺のイチョウ
  磐田市指定天然記念物 平成23年5月9日指定
 推定樹齢240年。市内に残るイチョウの古木は少なく、イチョウとしては市内最高齢です。優美な樹姿で、季節によってさまざまな変化を見せてくれます。
 胸高直径1.78m(幹囲5.59m)、根回り周囲18.7m、樹高15.4mです。

平成29年10月 磐田市教育委員会文化財課
 


境内に入ると右に本堂です

正面には天満地蔵殿です


西側から目的のイチョウを見ました


近付いて見上げました

北側から、目通り幹囲5.59mの巨木です

根元に 見付の名木 銀杏 イチョウの標石です

東側から見ました

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静岡県磐田市、見付「見付天神のスギとクスノキの切株」です!!

2021-12-13 06:21:08 | 巨樹・大木
 見付地区は、磐田市役所の北東約2kmのところ

 県道56号旧東海道を北へ、加茂川信号を過ぎると県道44号線になります次の信号を右(東)へ、やはり旧東海道です

 中川橋を過ぎて、見付宿場通りを東へ進み次の信号を左(北)へ入ると右に見付天神への参道が出ています

 見付天神は丘の上です道なりに進むと、白鳥居を過ぎた境内に駐車場が有りますので利用させて頂きました


参道入口です

見付天神は通称でしょうか、矢祭比賣神社
 1、祭神 矢祭比賣命
      菅原道真公
 1、由緒 創立年月日不詳なるも、延喜式内社 続日本後記、承和7年6月戌辰(840年)奉受。
      三代実録 貞観2年正月戌寅(860年)記授 神階を授けらる。
      菅原大神は一条天皇正暦4年(993年)勧請奉杞す。
 1、大祭 旧暦8月10日・11日
      (現在は旧暦8月10日前土日曜日に執行、奇祭・裸祭り神輿渡御nお神事を行う。) 

白鳥居です

右脇に大きな切株があります、2011年9月の台風15号で倒壊し伐られてしまったそうです、目通り幹囲10mを超える巨木だったそうです

見付の名木 楠 クスノキの標石です

忠犬悉平太郎(しっぺいたろう)像です、人身御供を要求する怪物を退治したそうです

赤鳥居です

裸祭りの説明版です

境内社の住吉神社です


駐車場の前参道右側に、境内社の山神社です


境内案内図です


ご縁木です

和歌ですね
.
参道を進みます

手水舎です

御神木の杉です

拝殿前から、目通り幹囲4m程の大木です

北側から

御神木認定証です


拝殿です

拝殿軒下の額です

本殿です

神社の説明版です
  見付天神
  矢奈比賣神社
御祭神 矢奈比賣命(やなひめのみこと)
    菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
例祭日 旧暦8月10日・11日前の土・日曜日
由緒 ※延喜式内社・※国史現在社として磐田の里々をはじめ、京の都にも名が知られ崇敬されていた相殿の御祭神(菅原道真公)は一条天皇の正暦4年(993年)に筑前国太宰府天満宮より勧請される。慶長8年(1603年)徳川家康公より神領50石を寄進される。明治6年社格が県社に列せられる。
 ※延喜式内社とは、平安時代の延喜年間(10世紀前半)に著わされた延喜式神名帳に載せられている。古い格式のある神社。
 ※国史現在社とは、六国史(日本記・日本後記・続日本後記・文徳実録・三代実録)に記載のある神社。
 当社は、続日本後記と三代実録に記載されている。
御神徳 古より学業成就・安産・子育て・縁結び・諸産業振興の神として「見付のお天神様」と崇敬され、天下の奇祭(裸祭り)しっぺい太郎の伝説(人身御供伝説)とともに世に知られている。




拝殿前の梅です


願かけ牛です、右側に雄牛

左側には牝牛です



氷室神社です

裸祭りの案内板です 

伊勢神宮遥拝所です


梅之湯御霊水之井戸です

本殿東側の印塚です

筆塚です


本殿を東北東側から

御神木スギを南から見ました

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静岡県御前崎市、白羽字郷「紅雲寺のタブノキ」です

2021-12-12 06:23:15 | 巨樹・大木
 白羽字郷地区は、御前崎市役所の東南東約5kmのところ

 国道150号線を東へ、上ノ原信号から二つ目の信号を右は入ります

 ゆるく左にカーブしながら東へ進むと白羽簡易郵便局が有ります

 二つ目の交差点を左(北)へ「西宮八幡神社」の入り口を過ぎて間もなく道路右手に紅雲寺が有ります

 墓地前の駐車場を利用させて頂きました


紅雲寺入口です

説明版です
  紅雲寺
名称 曹洞宗江湖山紅雲寺
位置 御前崎市白羽 字郷(ごう)963番地
本尊 十一面観世音菩薩
創立 天長5年(828)
由来 当山開創は遠く平安時代初期の天長年間にあり、旧町内で一番古いお寺として知られている。薬師に如来立像は空海(弘法大師)の作と伝えられ、往古は堂領三十石余を有していた。
 元亀3年(1572)武田氏の兵乱にあい堂寺が破壊されたが、家康公浜松在城のとき上村出羽守が祈念の為、六間四面の御堂及び十二神将を造立したと記されている。
 薬師如来立像、日光菩薩立像、月光菩薩立像は秘仏として知られ、大医王仏とも呼ばれ現世・来世の福徳を願うものとして昔は祈願者が列をなし、門前市をなすほどにぎわったいわれている。境内のタブの木は、旧町内一番の古木、樹齢220年と推定されている。
  参考文献 白羽村村史 志留波の史友(昭和43年発行) おまえざきの文化財 ふるさとの碑等
 平成29年夏 新神子区 伝



石段を上がると正面に目的のタブノキです

西側から

南東側から

 上に伸びている枝は、タブノキの朽ちた部分に生えたモチノキだそうです、以前は町の天然記念物だったものを大枝が折れて落ちた時に指定解除してもらって枝を切りそろえたそうです(再びの巨木巡礼22紅雲寺たまのきーかさぶた日録より)


本堂の様です

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静岡県御前崎市、白羽字郷「西宮八幡神社のシイの木」です!!

2021-12-11 06:31:18 | 巨樹・大木
 白羽字郷地区は、御前崎市役所の東南東約5kmのところ

 国道150号線を東へ、上ノ原信号から二つ目の信号を右は入ります

 ゆるく左にカーブしながら東へ進むと白羽簡易郵便局が有ります

 二つ目の交差点を左(北)へ、間もなく道路右手に「西宮八幡神社」の案内板が出ています

 神社前は道路が狭くに車を止める事が出来ないので、案内板の前の道路脇に止めさせて頂きました




案内板です、ここを左ですね

神社の鳥居が見えました

境内入口です、鳥居の後に目的のシイのキの太い幹が見えています

説明版です
  神の子の発祥地(八幡神社)
 鎮座地 榛原郡御前崎町(御前崎市)白羽字郷920番地
 祭神 品陀和気命(ほんだわけのみこと)
    帯中日子命(たらしなかひこのみこと)
    息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
 由緒 勧請年月不詳ではあるが伝説によれば本社白羽神社勧請と同じく、承和年中(834年~848年)といわれている。
    通称、地域の人達からは西の宮様または西の八幡様と呼ばれ、例祭は10月の9日に行われている。
    境内には樹齢数百年に及ぶ町内一の古木、シイ(椎)と切り干しいも普及の先覚者加藤圓十翁(1876~1920)の供養塔がある。


鳥居下(南東側)から見上げました

東側から、目通り幹囲8.8mの巨木です


参道左の石碑が並びます、一番左が加藤圓十翁の供養塔です

説明版です
  青葉藷伝播の先覚者
    加藤圓十翁
 明治9年、仲間一行10人と金毘羅神宮を参詣した加藤圓十翁は、風待ちのため寄港した紀州三呂津港で、青葉藷が多産系で切り干し加工に適種であるということを聞き込み、これを若干買い求め試作肥培の末、当地に普及させた。こうして青葉藷は明治、大正、昭和の初めにかけて産額最大を占め、東遠一帯の畑は全てこれでおおわれていたという。
 塔の表面には「紀州茸藷率先者供養塔」と刻まれている。台座上段に「神子酒屋舟」と同行者十人の名前が列記されている。又側面には明治二十年建立と下の台座側面には世話人十二人、大世話人四人の名前が記されている。
  平成29年夏 新神子区 伝


参道奥側(北側)から

社殿です

説明版です
  西之宮八幡神社.
 新神子郷地区の鎮守。言い伝えによると承和元年中、本社白羽神社を勧請した頃、同時に建設された。
 御祭神は品陀和気命(応神天皇)帯中日子命(仲哀天皇)息長帯子命(神功皇后)をお祀りしている。
 白羽神社の境外社で、平安時代初期の創立と伝えられている。白羽神社の西にあるので、西ノ宮様と呼ばれ、明治時代には境内で奉納相撲が行なわれた。御神木のしいの木は、旧御前崎町一番の古木で樹齢数百年といわれ、静岡県の巨木41位にランクされている。
 境内の西にある小さなお社(祠)は津島さまといわれ、古くから地元の人達がお祀りしている。又明治9年、紀州より切り干しに適した青葉藷を導入、普及させた加藤圓十翁の供養塔がある。
  平成29年夏 新神子区 伝


西側の境内社「津島さま」です

社殿前からシイの木を見ました

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静岡県御前崎市、白羽「白羽神社のマキの木」(市指定)です!!

2021-12-10 06:24:54 | 巨樹・大木
白羽神社は、御前崎市役所の東南東約7kmのところ

国道150号線から県道240号線へと御前崎灯台への道を進むと

県道左手に白羽神社が南向参道で鎮座します

県道の南側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました



神社は嘗ての横須賀街道に面しています、案内図です

説明版です
  通称横須賀街道旧跡
 横須賀街道の名は元和元年(1615)駿遠合せて五十万石の領主となった徳川家康の第十一子頼宜が、慶長十四年(1609)駿府から横須賀に移封が決まったが、在府のまま横須賀領を治める為に駿府、横須賀間の街道を整備し、駿府、相良間に馬次場を開いたことに始まると言われています。
 この旧跡はその支道の一部であり、相良町堀野新田了見寺前で本道と接続しており横須賀は東の相良と共に、城下町として栄え、この地方の政治、経済の中心でした。
 明治22年東海道本線が開通し、堀之内(現菊川駅)に駅が開設され、それに通ずる県道が整備されにつれて横須賀街道の名は次第に薄れていきました。
  御前崎市教育委員会


参道入口です

縣社 白羽神社です

鳥居です

手水舎です

境内は「ふるさとの自然100選」選定の森です

拝殿前右手に、目的のマキの木です
.
拝殿前(北西側)から見ました

御神木石碑と認定証です

説明版です
  御前崎市指定天然記念物
   マキの木
    平成6年1月31日指定
 このマキの木の樹種はイヌマキで、昭和63年に実施された巨樹・巨木林の調査によると、目通り283cm、樹高14mで、市内のイヌマキとしては一番の大木であり、平成元年3月1日に静岡県神社庁より、白羽神社の御神木に指定されている。
 樹齢は不詳であるが、長年の風雨に耐え、悠久の時を刻んできた老木であり、その姿は訪れる参拝者に深い感動をあたえてくれる。
  御前崎市指定有形文化財(古文書)
   武田家朱印状
    昭和45年10月15日指定

北側から

参道左手には馬の像が有ります、戦時中に供出されたものを再建したそうです

拝殿です

本殿覆い屋です

説明版です
 御前崎市指定有形文化財(建造物)
   白羽神社本殿
  昭和44年6月25日指定
 白羽神社は、社伝によると平安時代の承和4年(837)2月現在の社地に鎮座したと伝えられる。
 本殿は間口三間、奥行二間お入母屋流造で、様式上から江戸中期から後期前半あたりの時代的傾向が認められる。屋根は杮葺で、地棰と飛檐棰の二軒で、いずれも繁棰で構成されている。流れ屋根は四本の向拝柱(方形)で受け、柱をつなぐ頭貫は三梁の化粧虹梁を使用している。頭貫の中備は蟇股となっており、構造上の役は無く、表裏の彫刻が異なった特殊な装飾であり珍しい。木鼻は象形の丸彫の掛鼻で飾られている。
 母屋(本殿)は台輪建てであり、台輪の上に大斗をのせ出三斗で丸桁をささえる構造で、母屋柱は縁上の切目長押・その上に重なる戸口下の半長押・戸口上の冠木長押をもって柱を内外から挟み、横揺れを止める耐震的な構造をなしており、これは平安時代の意匠であたいへん珍しい造りになっている。母屋柱は方形より格の高い丸柱であり、いずれも亀甲形の彩色が施されたことが見て取れる。
 柱間装置は、板唐戸(板扉)の上下に端喰を入れ、扉の合わせ部の定規縁の面取りも大きく、古来の意匠を継承したものである。板壁に蓮花と欄間部分には花鳥の彩描gあ施され、神仏習合の思想が如実に表れている歴史的に見て大変貴重なmおのである。
  御前崎市教育委員会


境内社です


北西側から離れて見ました

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静岡県吉田町、片岡「小山城跡」(町指定文化財)です!!

2021-12-09 06:39:55 | 城跡・館跡・陣屋跡
片岡地区は、吉田町役場の北北西約1kmのところ

国道150号線の片岡信号を北へ

間も無く左手に「怪しい天守閣」丘の上に見えて来ます、小山城展望台です

小山城展望台駐車場に車を止めさせて頂きました



小山城駐車場です、怪しい天守閣の小山城展望台が見えています


能満寺山案内図です

説明版です
 小山城跡
  所在地 片岡2519-1
   町指定文化財第4号
  指定日 昭和39年4月1日
 小山城は、戦国末期の平山城である。
 遠州進出を企てた武田信玄は、その重要拠点である小山の砦を攻略し、元亀二年(1571)砦を修築して、小山城と命名し、大熊備前守長秀を城主とした。
 徳川軍は、これを攻め取ろうとして、十余年のわたり激しい戦いが繰り返されたが天正十年(1582)二月遂に落城した。
 城跡には三日月堀、三重掘、井戸跡が残り,落城の悲しい物語もある。
  吉田町教育委員会


案内図です



大手口へ行きましょう、駐車場の反対側(北側)なので、県道に戻って南東側から展望台を見ました

太平洋岸自転車道です

北側に回り込んで来ました、用水路(かつての水堀かも)を渡って

右に上がって行きます

大手門あたおだそうです

井戸跡だそうです

右手に三重掘りが有ります

展望台への道を通って先に西側の入口へ行って見ます

郷土資料館です

直先に空堀が有ります


三重掘の南端です

堀に掛けられて橋を渡ります


左右の堀です

展望台が見えて来ました

立派な石垣です

東側の堀です、すぐ先には虚空蔵尊が在ります

三日月堀に馬出です

左右の空堀です

虚空蔵尊前から能満寺境内を通って駐車場に戻りました

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静岡県吉田町、片岡「能満寺のソテツ」(国指定)です!!

2021-12-08 06:25:33 | 巨樹・大木
片岡地区は、吉田町役場の北北西約1kmのところ

国道150号線の片岡信号を北へ

間も無く左手に「怪しい天守閣」丘の上に見えて来ます、小山城展望台です

小山城展望台駐車場に車を止めさせて頂きました




参道です、両側にソテツの並木?になっています

山門です

多重塔ですね

鐘楼です

本堂前にも門があります、本堂前に大きなソテツの樹冠が見えています

門を潜ると正面に本堂です

右手に巨大なソテツです

天然記念物標柱です



太い幹を見上げました


本堂前から



説明版です
  国指定天然記念物
   能満寺のソテツ
  所在地 吉田町片岡2517-1
  指定日 大正13年12月9日
 日本三大ソテツの一つといわれる代表的巨樹です。
 高さ約6m、根元の周囲約5m、5本の大枝に分れ最も太い枝は周囲約2mで、東西約8m、南北11mで約50㎡の面積に広がっている雄株である。
 寺伝によると平安時代にの陰陽学者安倍晴明が中国から長徳元年(995)持ち帰って植えたといわれている。また、徳川家康の所望により駿府城に移植されたが能満寺に帰りたいと夜な夜な泣いたので哀れに思った家康は再び能満寺にもどしたという伝説もある。
 吉田町教育委員会



薬師堂ですね

虚空蔵尊に行って見ます

左側に不動尊です

右に大日堂です

説明版です・・・長いのでアップにして見てくださいね


更に石段を上ります

虚空蔵尊です

では、小山城へ行って見ましょう
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静岡県牧之原市、西萩間「福一萬神社のスダジイ」です!!

2021-12-07 06:33:19 | 巨樹・大木
 西萩間地区は、牧之原市役所の西約6kmのところ

 県道235号菊川榛原線を西へ、県道が北に向きを変えた所の信号を左(西)へ

 相良白井工業団地の中の市道を道なりに進みます

 工業団地を貫けると国道473号線を北へ

 萩間川を越えて間もなく左の山裾の福一萬神社が南向きに鎮座します


福一萬神社の東側に西萩間公民館です、駐車スペースを利用させて頂きました


隣に神社境内です

南側に鳥居です

福一萬神社です

手水舎です

社殿です

軒下に由緒書です
  福一萬神社由緒
 祭神 蛭児命
    大国主命
    息長帯比売命



南側から、入口に見えていたスダジイが御神木で目的のスダジイでした

拝殿前(北西側)から

北側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

南側へ離れてみました

境内南西側の境内社です

では、次へ行きましょう
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兵庫県神戸市、垂水区東舞子「舞子公園」です!!

2021-12-06 06:36:56 | 遺跡・史跡
淡路ジェノバラインで淡路島から明石港に戻って来ました

次は、JR山陽本線(神戸線)あかし駅から神戸方面の電車で、まいこ駅まで行きます

新快速で一駅でした、平行する山陽電鉄(山陽電気鉄道)の舞子公園駅でも行くことが出来ます

まいこ駅は、明石海峡大橋の北側の起点です

駅の屋上には、タクシーや高速バスの乗り場があります

南側の国道2号線を超える高架道路を下ります

舞子公園です


明石海峡大橋です

左の建物が旧武藤山治邸(旧鐘紡舞子倶楽部)です

明石海峡大橋を真下から見上げました、舞子海上プロムナードは時間切れでした

橋の科学館も閉館時間を過ぎていました

舞子駅から次へ行きましょう
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兵庫県淡路市、岩屋「ジェノバライン帰り便」です!!

2021-12-05 06:32:33 | 遺跡・史跡
淡路島の北の端から、岩屋港に戻るのにバスを利用しました

岩屋から高速道路のサービスエリアや観光スポットを回て、一回の乗降り500円、乗降り自由では1000円だそうです


大谷川バス停(ここからだと東行き・右回り)です

バスに乗って、岩屋港ポートビルに戻って来ました

出航まで時間が有るので、ビル2Fの「お食事処 浜ちどり」で食事を摂ることにしました

メニューは「たこしらすご飯」です明石蛸?のから揚げと味付けしらすが、お茶漬けで美味しかったです


帰りの船が入って来ました

 まりん・あわじ(平成27年8月2日就航)
 ■船型:減揺装置付高速双胴船(アルミ合金製9
 ■総トン数:118トン
 ■航海速力:24ノット(最大速力27ノット)
 ■最大搭載人員:旅客180名(1F室内150名・2Fデッキ30名)、船員3名、自転車20台、小型バイク(125cc以下)8台
 ■主機関:ヤンマー製高速ディーゼル1080kw×2基(1468馬力×2)
 ■寸法:長さ32.7m、幅8m
 ■製造会社:ツネイシクラフト&ファシリティーズ株式会社(広島)

 出航時間には、西風は更に強くなっていました、双胴船で揺れ低減装置が付いているため、揺れが「行き」で乗った「まりーんふらわあ2」より少なかったようです

行きで乗った「まりーんふらわあ2」です

では、次へ行きましょう


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兵庫県淡路市、岩屋「藤原定家和歌の題材・松帆の浦と台場跡」です!!

2021-12-04 06:16:45 | 遺跡・史跡
 淡路島の北端に位置する「松帆の浦」です

 「鳥の山展望台」から北へ県道31号線淡路サンセットラインの歩道を緩く下って行きます


 途中で、明石海峡大橋が段々近くなって


 橋の下からさらに県道31号線を北西へ歩きました

道端に大きなリュウゼツランです

ヤギが草刈?をしています

「松帆の浦」への入り口です、「望楼 青海波」現在はパソナグループの保有施設となっています

中へ入らせて頂きました

松帆の浦台場跡です
  海面をにらむ13砲門
 文久3年7月(1863年)阿波藩領主蜂須賀候は、徳川幕府将軍家茂の命で、この地に明石海峡を通る外国艦隊を迎撃するため大砲を据え、一大砲塁とした。
 砲塁は真北の明石天文台の方向にむきΛΛ型に土塁が築かれている。海に面した土塁の基礎部分は高さ約2mの花崗岩の切石で築かれており、その上部は・・の急傾斜で粘土が盛られていて土塁・・・は・・・土塁の最上部は巾4mある。土塁の内側・・上部から1~2mが切り取られ・・防・壁となっている。さらに二段低くなって・・・上部と大砲を据え付ける場所となっていた。
 ・・・阿波藩中老職の寺沢男也以下70名の藩士と付近の村から260名を保・口中・を・・・し台場の中央部の広場で連日練兵訓練がおこなわれた。また台場の中には合拮所・兵・・・が棟を連ねていた・・・・(読めなくなっています)

砲台の上はベンチが有り公園化されています
 

砲台の上から明石海峡大橋を見ました


明石海峡を進む客船が見られました


少し西側の海辺の様子です



松帆の浦プレートです(岩屋ポートビル前に有ります)
 島の最北端で、激しい潮流で全身が潮騒にとりつつまれる。
 古来、松帆は製塩が盛んな地で、塩を作るための朝の「藻刈り」や夕刻の「藻焼き」の風景は高貴な人々が関心をもち、藤原定家・柿本人麻呂・笠朝臣金村らがその思いを和歌に託した。
  来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ
   藤原定家(新勅撰集)
 藤原定家・・・応保2(1162)~仁治2(1241)
  藤原俊成の子で「小倉百人一首」「新古今集」「新勅撰集」の選者。
  歌論書「近代秀歌」「毎月抄」、日記「名月記」、歌集「拾遺愚草」がある。
  正二位・権中納言まで進み、和歌所寄人となった。
  和歌史上最高の歌人といわれるほど名が高く「松帆の浦」はこの歌をきっかけとして歌枕となった。

では、バスで岩屋港へ戻ります
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兵庫県淡路市、岩屋「寂蓮法師和歌の題材、鳥の山展望台」です!!

2021-12-03 06:24:36 | 遺跡・史跡
 鳥の山展望台へは、近畿自然歩道の一部を通り

 観音寺の裏山(南側)の上の高台へ向かいます


高雄山観音寺前から道標を西へ向かいます

道路脇の擁壁に「鳥ノ山展望台」の案内板です

コンクリート舗装された急な道路を登って行きます、次の交差点も左です

ようやく峠状の所が見えて来ました

近畿自然歩道の案内板です

ここから近畿自然歩道をはずれて「鳥ノ山展望台」へ向かいます

イノシシ出没!!通行注意です、イノシシが歩道脇を掘り起こしていた跡が見られます

東屋が見えて来ます

淡路和歌の路の石碑です
  鳥の山
 あはぢ島 かよふしるべも 立つけぶり かすみにまがふ  すまの明ぼの
   寂蓮法師(百治百首)
 淡路島に渡る舟をよぶ合図を送るため 火を焚くと その煙が須磨の夜明けの日に紛れて見分けがつかないことだま
   寂蓮法師・・・
 俗名を藤原定長といい、幼い頃に藤原俊成の養子となり、32歳で出家し


鳥の山のプレートです(ポートビル前に有ります)
 その昔、海を渡るとき、迎え舟をよぶために「しるしの煙」という合図の火をこの付近で焚き、対岸の船頭に知らせた。
 舟を出すことができる場合、須磨から火を焚いて返事をしたが、霞や霧で煙が見えないことがよくあったと言われている。
   淡路島 かよふしるべも たつけむり 霞にまかふ 須磨のあけぼの
     寂蓮法師(百治百首)

足元に岩屋港と明石海峡対岸の神戸市垂水区から須磨区を見ました



「せきれい丸」遭難者慰霊碑です

建立説明版です
 昭和20年12月9日午前9時15分ごろ、松帆崎沖合で、淡路聯絡汽船「せきれい丸」(34トン)が、定員超過と風波のために転覆、349名が遭難した。(死者・行方不明者304名、生存者45名)
 当時は戦後の混乱期で、十分な供養もなされないまま今日に至ったが、このたび明石海峡の架橋工事が始まるのを機に、犠牲者の慰霊とともに平和と海上安全の願いをこめて、この塔を建立した。
  昭和62年12月9日
   「せきれい丸」遭難者慰霊碑建立会


復興基準点です



淡路サービスエリアの大観覧車が見えました

では、次は「松帆の浦」へ行きましょう
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兵庫県淡路市、岩屋「源兼昌の和歌の題材・高雄山観音寺」です!!

2021-12-02 06:29:18 | 文化財・寺社
岩屋の街の高台に高雄山観音寺が有ります

街中を西へ、スーパーマーケットの開店時間に大勢のお年寄りが集まってきています


スパーマーケット前を過ぎて間もなく、左の路地の先に寺の屋根が見えて来ます

参道石段を上がって来ました

道標です、境内はもう少し上です


境内に上がって来ました、正面に本堂です

手水鉢です

説明版です
  高雄山観音寺
 本尊は、弘法大師の作といわれる「十一面観世音菩薩」で正面の本堂に安置されています。
 この寺の創建はさだかではありませんが、氏神の天地大明神(石屋神社)の別当坊であったことは間違いないと言われており、淡路では最も古く、歴史あるお寺のひとつです。
 毎年二月には、「火渡りの行」が行なわれています。立春を祈願してたかれる柴燈護摩の上を素足で歩くというもので、石屋神社の「恵比須舞」同様、保存会の人々が後世にその伝統を伝えています。
  近畿自然歩道 環境庁・兵庫県

境内右手には薬師堂です

本堂前には弘法大師修行像です

本堂軒下の「十一面観世音」の額です


説明版です(岩屋港のポートビル前に有ります)
  高雄山観音寺
 「大寺」ともいわれ、地元の人々に親しまれている。
 本尊は弘法大師作といわれる十一面観世音菩薩で、この他文化財級の仏像が多い。
 平安時代より海峡の歴史を見続けてきた古寺は、対岸から淡路を詠んだ多くの歌人の目に、真っ先に映ったことであろう。
  淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守
 源 兼昌(金葉集)

 

境内端から明石大橋をみました

次は、更に上の展望台へ行って見ましょう
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