天御子神社は、磐田市役所のすぐ東側のところです
丘の上から東側に下りかえたところにワークピア磐田が有ります
そのすぐ東に天御子神社が南向きに鎮座します
ワークピア磐田の駐車場に車を止めさせて頂きました
建物はワークピア磐田(職業安定所)です
すぐ東側に天御子神社参道入口鳥居です
御子神社です
手水舎です
ヤマモモの木ですがまだまだ若い木です
社務所は中央町自治会館です
社殿です
説明版です
天御子神社社記
【御祭神】須佐之男命・櫛稲田姫命
【御神徳】五穀豊穣・縁結び・災難除・病難除・他
【祭典】祇園祭(例祭)7月15日直前の金土日
歳旦祭 1月1日
【由緒】創立年月日は不詳ですが、延喜式神名帳(西暦927年成立)に「遠江国磐田郡天御子神社二座」と記載されています。
社伝によれば、一条天皇の正暦2年に「天下泰平五穀豊穣の為舞車の神事を執行す」とあり、故に舞車神社とも称します。往古は「祇園舞車の義」という特殊神事が行われていました。
中世には牛頭天王とも称され、明治12年7月には郷社に列せられました。
毎年7月の祇園祭には、天御子神社の御神輿が、遠江国総社である淡海國玉神社へ渡御し、両神社の大祭が斎行され、謡曲「舞車」が奉納されています。
当天御子神社は、矢祭比賣神社(見付天神)、淡海國玉神社(総社)とあわせて見付三社と呼ばれています。
*三つの神社の位置が解かる地図が有ります
社殿を右側から回り込みました、本殿裏に目的のヤマモモの木です(東側から)
社殿に背を向けて南側から
南東側から
東北東側から
説明版です
市指定文化財
天御子神社のヤマモモの木
天御子神社は、現在祇園社と一体となっているが、「延喜式神名帳」にみられる由緒ある神社で、起源は平安時代までさかのぼる。淡海國玉神社と深いゆかりがあり(摂社)、矢祭比売神社や淡海国玉神社とともに見付を代表する神社の一つ。
ヤマモモの木は、樹勢が良く、常緑を茂らせている。幹は地上2mあたりで二股に分かれ、うち1本は空高く伸び、さらにいくつかの幹に分かれる。胸高周囲、樹高とも県下9番目の大きさを測り、市内では最も大きい。ヤマモモは雌雄異株の常緑樹で、実は食用となるが、このヤマモモは雄株である。
胸高周囲:4.4m、樹高:15.5m、推定樹齢:200~300年
平成17年11月21日指定 天然記念物
磐田市教育委員会文化財課
西側から
南東側から見ました
では、次へ行きましょう
丘の上から東側に下りかえたところにワークピア磐田が有ります
そのすぐ東に天御子神社が南向きに鎮座します
ワークピア磐田の駐車場に車を止めさせて頂きました
建物はワークピア磐田(職業安定所)です
すぐ東側に天御子神社参道入口鳥居です
御子神社です
手水舎です
ヤマモモの木ですがまだまだ若い木です
社務所は中央町自治会館です
社殿です
説明版です
天御子神社社記
【御祭神】須佐之男命・櫛稲田姫命
【御神徳】五穀豊穣・縁結び・災難除・病難除・他
【祭典】祇園祭(例祭)7月15日直前の金土日
歳旦祭 1月1日
【由緒】創立年月日は不詳ですが、延喜式神名帳(西暦927年成立)に「遠江国磐田郡天御子神社二座」と記載されています。
社伝によれば、一条天皇の正暦2年に「天下泰平五穀豊穣の為舞車の神事を執行す」とあり、故に舞車神社とも称します。往古は「祇園舞車の義」という特殊神事が行われていました。
中世には牛頭天王とも称され、明治12年7月には郷社に列せられました。
毎年7月の祇園祭には、天御子神社の御神輿が、遠江国総社である淡海國玉神社へ渡御し、両神社の大祭が斎行され、謡曲「舞車」が奉納されています。
当天御子神社は、矢祭比賣神社(見付天神)、淡海國玉神社(総社)とあわせて見付三社と呼ばれています。
*三つの神社の位置が解かる地図が有ります
社殿を右側から回り込みました、本殿裏に目的のヤマモモの木です(東側から)
社殿に背を向けて南側から
南東側から
東北東側から
説明版です
市指定文化財
天御子神社のヤマモモの木
天御子神社は、現在祇園社と一体となっているが、「延喜式神名帳」にみられる由緒ある神社で、起源は平安時代までさかのぼる。淡海國玉神社と深いゆかりがあり(摂社)、矢祭比売神社や淡海国玉神社とともに見付を代表する神社の一つ。
ヤマモモの木は、樹勢が良く、常緑を茂らせている。幹は地上2mあたりで二股に分かれ、うち1本は空高く伸び、さらにいくつかの幹に分かれる。胸高周囲、樹高とも県下9番目の大きさを測り、市内では最も大きい。ヤマモモは雌雄異株の常緑樹で、実は食用となるが、このヤマモモは雄株である。
胸高周囲:4.4m、樹高:15.5m、推定樹齢:200~300年
平成17年11月21日指定 天然記念物
磐田市教育委員会文化財課
西側から
南東側から見ました
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