ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県東吾妻町、大戸「畔宇治神社のヤマナシを見に行ったはずでしたが・・・」です!!

2022-06-16 18:26:34 | 巨樹・大木
 大戸地区は、東吾妻町役場の南西約8kmのところ

 県道58号線を西へ、田辺橋で吾妻川を右岸側へ渡ります

 道なりに進んで県道28号線を左に分けて高崎方面へ進みます

 大戸信号で国道406号線を南へ

 間もなく道路右に「神社石灯篭」の案内板が有ります

 神社は、この前を左(東)に下りたところに鎮座します

 国道から鳥居へ上がって見ましょう

 西側道路から

 東側の道路が整備される前の街道のようです

 町指定重要文化財の石灯篭です

 史跡標柱が有ります

 「皇威輝八鉱」と「神捶通蒼生」の石柱です

 御不動様です

 猿田彦神です

 庚申塔が並びます

 では、畔宇治神社へ行ってみましょう


 国道を渡って坂道を下って行くと神社の社叢が見えました

 南側に鳥居です

 杉の木にしめ縄が巻かれています、夫婦杉のようですね

 南東側から

 境内側から

 拝殿前から

 境内東側のスギの大木です


 南東側から

 境内西側から



 水盤です

 拝殿です

 本殿は覆い屋の中です

 本殿後側には祠が並びます

*ヤマナシの木が見つかりませんでした~

 では、次へ行きましょう


 境内入り口から西側を通る国道406号線を見ました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群馬県東吾妻町、本宿「吉岡神社のスギ2本とホオノキ(指定名木)」です!!

2022-06-16 06:50:53 | 巨樹・大木
 本宿地区は、東吾妻町役場の南西約26kmのところ

 県道58号線を西へ、田辺橋で吾妻川を右岸側へ渡ります

 道なりに進んで県道28号線を左に分けて高崎方面へ進みます

 大戸信号を右(西)へ国道406号線です

 坂上小学校を過ぎると本宿集落です、集落の中程に

 案内板が有ります

 参道入り口です

 町指定重要文化財の太鼓橋です

 こちらも町指定重要文化財の石灯篭です

 鳥居です

町指定重要文化財の石碑です

 参道を進みます、南側の山の中に吉岡神社が鎮座します

 参道石段です、残念ながら参道石段が荒れてしまっていて通行止めです

*境内まで車で入ることにしました

 参道を上ってくると山門前にスギの巨木が有ります

 実測しました、目通り幹囲5.08mの巨木です

 西側から

 山門です

 山門前のスギの大木です

 山門をくぐると参道の左側に目的のスギです、山門下からでは細い杉に見えます

 参道を進むと、合体木ですが大きな幹が現れます、目通り幹囲6.2mの巨木です

 境内南側から

 拝殿軒下から見ました

 拝殿です

拝殿軒下の由緒書きです
  吉岡神社
祭神 大己貴命 少彦名命 伊邪那美命 他32柱
由緒
 勧請年月日不詳なるも口碑傳説に依れば、元明天皇和銅元年3月従五位上田口朝臣益人勧請、後、孝謙天皇天平勝宝8年1月田口朝臣大戸上野介となり再建すと言う。
 後冷泉帝永承7年源頼義陸奥征討の途参拝あり。後鳥羽天皇建久4年源頼朝浅間狩猟の際参拝し、美しき岡なりと言えりそれより此所を吉岡山と呼ぶ。
 元弘建武の乱に当り頽廃を極む、遂に野火の為めに社殿神宝灰燼に帰し、修理旧に復せずと雖ども崇敬他に異なるが故、天正7年加辺半左衛門なる者一族工人をして社殿を再建せしむ。
 永禄6年武田家より本宿の村田地を寄附しあり。
 明治9年上地となる、明治41年6月8日許可境内末社神明宮外58社を合併す。
 大正2年9月神饌幣帛料供進の神社に指定さる。
附記
 当社を住吉薬師と称せしは、源右府が守本尊たる薬師の像を奉納ある併社せるに起因す。
   平成8年10月吉日 宮司 渡邊詮 額奉納 高橋泉


 南側には神楽殿です

 参道右手にホオノキです

 南側から

 根元に指定名木の標柱です

 東側から、目通り幹囲4.8mの大木です

 西側から


 本殿は覆い屋の中です

境内奥には祠が並んでいます

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群馬県東吾妻町、三島「唐堀のモクゲンジ」(県指定)です!!

2022-06-15 18:32:18 | 文化財・寺社
 三島地区は、東吾妻町役場の南西約5kmのところ

 県道58号線を西へ、田辺橋で吾妻川を右岸側へ渡ります

 道なりに進んで県道28号線を左に分けて高崎方面へ進みます

 間もなく厚田簡易郵便局前を右(西)へ入り温川を渡ります

 建設中の上信自動車道の工事現場沿いに進み左に集落を見て

 次の唐堀集落入り口を斜め左の丘の上へ進みます

 左手に大きな説明版が見えて来ます

道路脇に車を止めさせて頂いて、北側から見上げました

坂道を上って見上げました

群馬県指定天然記念物の標柱です

説明版です
 唐堀のモクゲンジ
1、名称及び員数
 群馬県指定天然記念物「唐堀のモクゲンジ」1本
2、指定年月日
 昭和59年7月3日
3、所在地
 吾妻郡東吾妻町大字三島3624番地
4、指定理由
 群馬県文化財保護条例第38条の規定による
 指定等の基準第6の3の(2)のアによる
5、説明事項
 ・幹囲 目通り2.34m、根元廻り2.5m
 ・枝張り 東西11.5m、南北11.2m
 ・樹高 12.8m
 モクゲンジは、ムクロジ科に属する落葉喬木(きょうぼく)で、センダンバノボダイジュ(栴檀葉の菩提樹)ともいわれ、葉は互生で7~8月頃に4弁の黄色の花を咲かせる。種子は球形で黒く堅く、しばしば数珠や首飾りに使用され、また、炒って食用にもされた。
 モクゲンジは、寺院や墓地に植えられることが多く、この木も墓地とともに代々篠原家によって守られてきたものである。
 推定樹齢はおよそ310年程と考えられる。
   平成28年3月28日
   群馬県教育委員会
   東吾妻町教育委員会

東側に上がって来ました

六角堂が建ちます

南東側から

離れて見ました

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群馬県東吾妻町、原町「原町の大ケヤキ」(国指定)です!!

2022-06-15 06:29:13 | 巨樹・大木
 ここからは2022年6月8日取材分です

 草津温泉や菅平(長野県)方面の行き帰りには国道145号線を主に使うため

 「国指定天然記念物 原町の大ケヤキ」には久しぶりの対面となりました

 原町地区は、東吾妻町役場の有る地区です

 吾妻川左岸の段丘面に市街地が広がっています

 国道145号線沿いに有る町役場から南へ

 JR吾妻線ぐんまはらまち駅南側の県道28号高崎東吾妻線を東へ

 県道35号渋川東吾妻線と県道58号中之条東吾妻線との三叉路に目的の大ケヤキが立ちます

 近くのホームセンターに車を止めさせて頂きました

南側から、大きな洞が開いて支柱に支えられた姿です

南西側から、残る大枝は一本だけになっています

横断歩道を渡って西側から

信号が変わるのを待って三叉路中央の安全地帯へ、国指定天然記念物原町の大ケヤキの標柱です

説明版です
  原町の大ケヤキ
1、名称
 国指定天然記念物 原町の大ケヤキ
2、指定年月日
 昭和8年4月13日
3、所在地
 群馬県東吾妻町大字原町391番地
4、指定理由
 全国有数のケヤキの巨木であるため
5、説明事項
 ・幹囲 目通り11m、根元廻り17m
 ・樹齢 推定1000年
 ・ニレ科の落葉高木
 この大ケヤキは、慶長19年(1614年)頃、すでにうっそうと繁った大樹になっていたといわれ、町割りの基準とされ、また、鬼門塞ぎに見立てたと伝えられている。この木は、町民に槻の木(つきのき)と呼ばれ、今日まで親しまれ、畏敬されてきた。
 ケヤキは古名を槻(つき)といい、万葉集にもこの名でよまれているが、植物学上の区別は明らかでない。木が高くても枝が横に張っているもの、材が良質で赤味を帯びるものをツキと呼ぶ説があり、強木(つよき)の略ともいう。
 この大ケヤキは、樹齢を重ねるにつれ、各所に損傷を生じることもあったが、その都度保護・増殖の手当を施してきた。そこでこのほど、残りの主幹の保護と樹勢回復の工事を行い、また、往年の樹勢旺盛のころの姿を写真で示すこととした。
   文部省
   群馬県
   吾妻町
(昭和9年撮影)
 この土際の樹幹の太さを測ると約17mあり、それよし1m半上の幹囲は約11mある。樹の枝張りは、東方約9m、東北方約22m、西方約11m半、南方約14m半、北方約11mで、太い主幹は低地面から高さ6m辺から6大枝に分かれ、各大枝は更に分岐しており、幹には幾つかの瘤起がある。
 昭和7年10月、理学博士三好学氏の調査によると、この樹は山形県東根町の大欅、山梨県三恵村の大欅と共に日本三大欅と称されるべしものであるとされた。(昭和35年刊「原町誌」による)

*山形県東根市本丸南の「東根の大ケヤキ(幹囲12.6m)」は、このブログの2021年5月8日の投稿をご覧ください。
*山梨県南アルプス市寺部の「三恵の大ケヤキ(幹囲14.7m)」は、2017年9月5日の投稿をご覧ください。
 この二本は、原町の大ケヤキのような道路に囲まれたところに立っているものと違って、東根の大ケヤキは小学校の玄関前、三恵の大ケヤキは、新興住宅地の果樹園の脇に立っていますので、環境的には良いと言えます。


信号名は「槻木Tsukinoki」です

信号をも戻って北西側から

また信号を渡って北側から

東側から見上げました

東側に離れてみました

信号を渡り返して南東側から見ました

では、次へ行きましょう


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県長岡市、山古志東竹沢「木籠諏訪神社のケヤキ2本」(市指定)です!!

2022-06-14 18:31:38 | 巨樹・大木
 山古志東竹沢地区は、長岡市役所の南約16kmのところ

 国道17号線を南へ、信濃川に架かる越の大橋の手前堤信号を左(南)へ

 信濃川右岸に沿って県道589号線進み、小千谷市との境の信号を左(東)へ入ります

 JR上越線の下を潜って国道291号線を東へ、しばらく小千谷市内です

 朝日川に沿って上って行きます、東側の山の上はかつての山古志村です

 山古志に入って、駐在所先を右(南)へ、長い山古志トンネルを貫けると東竹沢地区です

 左の山をぐるっと回るように進むと芋川の砂防堰堤を過ぎて左の県道23号線を北へ

 間もなく震災資料館のある山古志木籠郷見庵です


 芋川の河原に沈んだ家(震災遺構)を見ることが出来ます

 橋の手前すぐ先で右手に半島のように突き出したところに枝先が見えました

枝先を確認しながら進むと・・・

ここを右へ

北側から諏訪神社境内です、社殿は北向きに鎮座します

天然記念物標柱です、指定名は「諏訪神社の樹群」となっています

古い感じの狛犬です

社殿は震災後に新しく建て替えられているようです



目的のケヤキです、一本に見えますが・・・





東側から見ると二本が並んでいます、共に5mを越える巨木です



南側のケヤキです



北側のケヤキです

雪割り草(ミスミソウ)が綺麗な花を咲かせていました

では、次へ行きましょう


 *小千谷市との境の信号の西側には「妙見メモリアルパーク」が在ります

 平成16年(2004)10月23日に発生した中越地震で崖崩れが発生し

 小さな子供が車の中から救出されるシーンが思い出される場所です

 最近も東北地方の地震で東北新幹線が白石蔵王駅付近で脱線したニュースで

 中越地震で上越新幹線が脱線した時の映像が流れていて余震で揺れる車両が印象的でした

 *
 木籠(こごも)メモリアルパークに「地震で沈んだ村」の石碑が有ります
 
説明版です
 平成16年(2004)10月23日17時56分頃、新潟県中越地方の深さ13kmでマグニチュード6.8の地震が発生しました。
 この地震により、木籠集落を流れる芋川の下流、東竹沢で地滑りが発生し、川をせき止めてしまいました(河道閉塞)。
 せき止められた芋川の水位は徐々に上昇、11月17日に最高水位が15m以上に達し、上流域にある木籠集落では14戸が水没しました。また、集落内を通る主要道も600mにわたり水没しました。そのため、ただちに大規模な排水工事が行われ、下流域への土石流被害は免れました。日常は緩やかな小さな川でも、地滑り等によりせき止められると大きなダムとなり、集落を飲み込んで氾濫時には破壊的な被害となります。
 河道閉塞の原因となった地すべり土砂が、今後下流へ流れないように砂防堰堤を整備したことで、木籠集落は土砂がたまる場所(堆砂敷)になりました。
 本来堆砂敷の中に家屋などの建物を残すことはできませんが、関係機関と調整し震災遺構として保存することとしました。家屋周辺には、洪水等により家屋が流れてしまわないよう、柵やネットを設置しています。
やあこし復興交流館おらたる
 甚大な被害を被ってなお、「帰ろう山古志」のスローガンのもと、地域一丸となって避難生活を乗り越え、復旧・復興へと歩み続けている様子を、写真や住民の証言、地形模型シアターなどで紹介します。さらに一階は山古志の交流拠点として、地域総合案内の機能も合わせ持ちます。(復興交流館は、竹沢駐在所を東へ県道23号を300mほど行ったところに有ります)

*1996年の兵庫南部地震(阪神神戸大震災)いらいの震度7を記録した中越地震の後、2007年7月16日の中越沖地震や2011年3月11日の東日本大震災と地震が続き、原発事故非難では、中越地震で使われた長岡市の避難施設も使用されています、その後も熊本地震が発生し、東南海の地震も予想されていることから耐震対策等真剣に考えさせられました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県三条市、名下「名下熊野神社の大杉」です!!

2022-06-14 06:24:26 | 巨樹・大木
 名下(みょうげ)地区は、三条市役所の南東約20kmのところ

 国道289号線を南東へかつての下田村です

 「道の駅漢学の里しただ」を右に見て次に「八木鼻」の絶壁を左に見ると

 県道183号線を右(南)へ入ります、800m程で斜め左へ守門川を渡ります

 道なりに進んで五十嵐川が見下ろすころ右(南)へ、河岸段丘に上の段へ上って行きます

 間もなく道路右手に熊野神社が北向きに鎮座します

 鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました


 鳥居位です

 拝殿です


 西側から本殿です 


 目的の大杉は本殿東側道路沿いに在ります


 北東側から


東側から

 下田村文化財調査研究会の建てた下田の名木案内板です
  幹回り 8.91m、推定樹齢300年以上の巨木です


 南東側から


 南側から

 西側には石塔が並びます


 シャガがかわいい花を咲かせ始めていました

 では、次へ行きましょう


 帰り道の北側に「八木鼻」の岸壁が良く見えました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県三条市、北五百川「八木神社のスギ二本」(下田の名木)です!!

2022-06-13 18:30:09 | 巨樹・大木
 北五百川地区は、三条市役所の南東約17kmのところ

 国道289号線を南東へかつての下田村です

 「道の駅漢学の里しただ」を右に見て次が庭月・長野の集落です

 信号の先を左(北)へ入ると五十嵐川を渡る八木橋です

 橋の上から「八木鼻」の岸壁が目に入ります

 五十嵐側右岸に橋を渡ってすぐ左(西)へ、右に八木神社が南向き参道で鎮座します

 参道向かい側の駐車スペースに車を止めさせて頂きました

参道入り口です

八木神社です

説明版が有ります
  三条市指定有形文化財 建造物
 八木神社 本殿・拝殿・幣殿
神社の創建
 大同2(807)年、八木大明神(倉稲魂命=稲作の神)と守門大明神(磐間戸命=門戸安全を守る神)の二神を八木ヶ鼻山頂に勧請し、近郷の守護神として祀ったのが八木神社の創立と伝えられている。
 その後、現在地に遷ってから数百年、越後国に縁深い新田義貞父子命を合祀し、昭和末年には芳ヶ平・大谷・大江の集団離村による鎮守社の神霊四神を併せ祀り今日に至る。
本殿
 江戸時代初期の万治元(1658)年の建立で流造。現在は覆堂の中に納められているが、全体に風化の様相が顕現され、永年に亘って風雨に晒されていたとみられる。階付きの正面は、六本の太い丸柱が屋根を支え、二神を祀るため二間に仕切られた二社相殿の造りである。屋根は松材の厚い板を一枚ごとに削り合わせて葺いた板葺の手法をとり、薙刀反りの向拝と、それを支える打越垂の形状にも特色がみられる。さらに虹梁の模様や彫りには、江戸時代以前の古い特徴が残されており、中世から近世への様式の変化を残す建築である。全体的に積雪の重みを考慮し、太い部材が用いられた貴重な建造物である。
拝殿
 明和5(1768)年の建立で入母屋造、梁間四間・桁行三間半で茅葺き(現状は銅版葺き)。安永3(1774)年、笹岡新田の開拓完成を記念して、村松藩士笹岡茂三左衛門が長床を増築寄進した。回廊は昭和15(1940)年に新築。
幣殿
 本殿の手前にあって神前に奉献する物をお供えする場所。明治11(1878)年、長岡関原の宮大工集団の棟梁である野口善一の仕事による。
   三条市

赤い一の鳥居です


天保9年の歌碑です

手水舎です



参道右手にスギの巨木です

下田村文化財調査研究会の下田の名木安内板です
  幹回り5.1m、推定樹齢500年以上です



西側から



北西側から


東側から

スギの北側参道右手に不動堂です



不動堂の北側にも杉の巨木です、こちらが目的のスギです

根元に下田村文化財調査研究会の下田の名木安内板です
  幹回り5.75m、推定樹齢500年以上です



北西側、拝殿前から



北側から


東側から




南側から

多くの祠が並びます、集団離村した三集落に祀られていたものかもしれません

拝殿です

本殿覆い屋です


かつて五十嵐川に掛けられていた八木橋の説明版です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県燕市、灰方「灰方の大欅」(市指定)です!!

2022-06-13 06:24:46 | 巨樹・大木
 灰方地区は、燕市役所の東約5kmのところ

 国道289号線を東(三条方面)へ、桜町信号で左(北西)へ

 JR弥彦線の踏切を越えて、信号の先の交差点を右(東)へ道なりに進みます

 三叉路を右へ、県道44号線を過ぎると灰方集落です

 集落内は細い道路ばかりになります簡易郵便局前を左(北)へ進むと

 道路右手に天然記念物標柱と説明版が有ります
   灰方の大欅
 この大欅は推定樹齢400年、目通り周囲4.6m、樹高13mの巨木です。
 根元から1.3mのところで二俣に分かれ、一方の付根は2mあり、樹勢も旺盛である。
 蒲原の湿地帯に植栽された欅としては市内はもちろん近郷にもその類をみない大樹として大切にされています。
   昭和59年3月30日 燕市指定天然記念

 説明版前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 灰方の大欅は、説明版の東側に道路を入ると案内板です

 右(南側)に見えて来ます

北側から

北東側から

天然記念物標柱と説明版が根元にもありました
  燕市指定天然記念物
    灰方の大欅
 この大欅は、推定樹齢400年余り、目通り周囲5.3m、樹高26mの巨木である。
 根元から1.8mのところで二股に枝分かれしており、一方の枝の付け根は4.3m、もう一方の枝の付け根は2.5mあり、ともに樹勢は旺盛である。
 蒲原の沖積低地に植栽された樹木としては市内および近在にもあまり類をみない大樹として大切にされている。
   昭和59年3月31日指定 
   燕市教育委員会

*こちらの説明版の方が新しいようです、幹周が道路脇の説明版で4.6m、欅の根元の説明版で5.3mとなっています、約70cmを成長するのにどのくらいの時間がかかったのでしょうか、天然記念物指定時の幹周が4.6mだとすれば多くても約40年の期間であったのではないでしょうか、また樹高が13mから26mへと大きく変わっています、指定時まえには枝を伐られていたということのようです。

東側から太い幹を見ました、根元には墓石が建てられています

南側から、二俣に分かれた大枝を確認できます

南西側から

西側から見上げました
   
では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県燕市、宮小路「宮小路観音堂のケヤキ」です!!

2022-06-12 18:25:51 | 巨樹・大木
 宮小路地区は、燕市役所の北約2kmのところ

 JR越後線きたよしだ駅の西側にあたります

 国道116号線を北へ、若生町信号を左(西)へ

 線路を越え道なりに進みコンビニの先の信号の手前十字路を右(北)へ

 集落を貫けると正面左に樹幹が見えてきます

観音堂には三本のケヤキの大木が在ります、内二本は共に目通り幹囲5.9mの巨木です

南側の道路脇に車を止めさせて頂きました

南側道路西側から観音堂入り口のケヤキです

南側から目通り幹囲5.9mの巨木です

北側から

北東側から太い幹です

南側道路沿い東向きにお地蔵様です

南側道路沿いです(東側から)お地蔵様の北側には三番目に太いケヤキです

南側道路から境内北東側の目通り幹囲5.9mのケヤキです

東向きに観音堂です

観音堂の北側境内の忠魂碑です



北側から二本のケヤキを見ました

南東側の三番目のケヤキです(北西側から)

幹の半分は洞になっています


東側道路から境内北東側のケヤキを見ました

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県新潟市、江南区沢海「日枝神社のケヤキ」です!!

2022-06-12 06:23:29 | 巨樹・大木
 江南区沢海地区は、江南区役所の南東約6kmのところ

 国道49号線を東へ進み阿賀野川の新横雲橋の手前で左に降りて

 阿賀野川左岸堤防道の県道17号新潟村松三川線を南へ

 間もなく右手に北方文化博物館への入り口が在ります

 日枝神社は博物館入り口のすぐ南側です

 少し先に観光客用の駐車場が在ります

 地区の観光案内図です


 北向き参道の鳥居です

 社殿は東向きに建てられています

 手水舎です

 拝殿です


 本殿です

説明版です
  指定文化財 沢海日枝神社大幟
 沢海日枝神社の創立は、戦国時代末期までさかのぼり、慶安元年(1648)3月、沢海藩二代藩主溝口政勝により再建されたと伝わる。
 主祭神は、大山昨大神(山王権現)で他に天照皇大神(神明社)、倉稲魂神(稲荷社)が合祀されている。
 宝暦年間(1673~81)の制作とされる「沢海城下絵図」には、上諏訪・下諏訪・上山王・下山王・神明社の五社と十二ノ木(十二社)が描かれているが、現在の日枝神社は、かつての下山王の境内地に位置する。
 日枝神社は、貞享4年(1678)の沢海藩改易後も、領主旗本小浜家によって庇護を受け、社宝の古作の神輿一台は、小浜家から寄進されたものと伝わる。
 このほか、「幕末の三筆」と謳われた江戸時代後期の名筆家巻菱湖によって「山王大権現」と揮毫された、文政8年記(1825)の大幟(長さ12.35m、幅1.37m)が一組伝わっている。
  平成16年3月31日 横越町教育委員会
  平成17年3月21日合併 新潟市教育委員会

 目的のケヤキは北方分化博物館の塀沿いに立っています

 南側から

 南西側から


20年前の記録では目通り幹囲4.7mとなっていましたので実測してみました、目通り幹囲5.1mの巨木となっています


 境内北西隅のケヤキです

 境内南西隅のケヤキです

 南東側から

 では、次へ行きましょう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県新発田市、舟入町「郷祖の欅」(保存樹木)です!!

2022-06-11 19:38:21 | 巨樹・大木
*2022年5月6日取材分です

 舟入町は、新発田市役所の西約2kmのところ

 県道32号新発田停車場線を西へ、新発田川を渡って進むと右手に入り口が或はずなのですが・・・

 住吉町3信号を右(北)へ県道203号線です、新発田川を渡ってすぐの信号を右(東)へ戻ると

 右に堀のような新発田川が流れています


 新発田川沿い右手に大きな樹冠です

 目的のケヤキです

 直ぐ先の橋を渡ります

 鳥居です

 拝殿です

 小さな本殿覆い屋です

 南東側から

保存樹木案内板です
 樹種 欅
 推定樹齢 360年
 指定番号 第1号
 指定年月日 昭和54年10月9日
 新発田市長
由来 郷祖の欅
 地元民から親しまれている
 由来は不明
*指定時推定樹齢だとすると2022年現在は410年を越える樹齢となります


 南西側から、目通り幹囲5.1mの巨木です


 北西側から

 境内の湯殿山・古峰神社などの石碑です

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県新発田市、上羽津「徳在門の大銀杏」(保存樹)です!!

2022-06-11 06:44:42 | 巨樹・大木
 上羽津地区は、新発田市役所の東南東約8kmのところ

 新発田駅北口から県道202号米倉板山新発田線を北東へ

 羽越本線の踏切を越えて、この先ゴチャゴチャしますが県道を進みます

 安全橋で加治川を渡り右岸側へ道なりの南東へ

 上羽津集落に入って県道に左手に大きな樹冠が見えて来ます
 
*個人宅に在りますので、周りの農道からの写真撮影だけといたしました

 県道の左手にイチョウの樹幹が見えて来ます

 北側の農道を東へ入ると右側のビニールハウスの間から見えました

 東側から

 南東側から、乳柱も確認できました

ネットの情報より
*昭和51年(1976)10月9日新発田市の保存樹木第10号に指定された、説明版が有るはずですが確認できませんでした

*約20年前の数値では、樹高24m、目通り幹囲5.7m、推定樹齢700年、雌木の巨木です

 では、次へ行きましょう

 5月5日の取材はここまでにして、一日の汗を流すため阿賀野市出湯の華報寺へ向かいました。
 華報寺には大杉が在ります(2018年7月7日のこのブログ記事を参照お願いします)
 境内に温泉施設(華報寺共同浴場)があります、到着した時境内の様子が変わっていました、以前は本堂の南側に建物がありましたが無くなって、墓地の大杉が丸見えになっています。
 境内の駐車場が一杯になるほど混んでいたので、少し待つことにしました。一時間ほど待って、空いてきたころを見計らって温泉で汗を流させていただきました。
 阿賀野市水原地区に移動してコインランドリーで貯まった洗濯物を洗ってすっきりしました。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県新発田市、下楠川「竹俣特別支援学校の多行の松」です!!

2022-06-10 18:20:36 | 巨樹・大木
 下楠川地区は、新発田市役所の東約6kmのところ

 新発田駅北口から県道202号米倉板山新発田線を北東へ

 羽越本線の踏切を越えて、この先ゴチャゴチャしますが県道を進みます

 安全橋で加治川を渡り右岸側へ道なりの南西へ

 新発田市立東川小学校手前を左(東)へ県道60号住吉上館線です

 姫田川を渡って道なりに進むと

 道路左手に竹俣特別支援学校(旧竹俣小学校)が有ります

 校庭の南側水路沿いに多行松が在ります、多行松はクロマツの台木にアカマツを接ぎ木したものだそうです

 手前の諏訪神社前に車を止めさせて頂きました



 水路に沿って赤松が並びます、これだけ揃うと壮観ですね

 西側から

 新潟のゴールデンウイークは田植えの真っ最中です、水路の水もいっぱいに流れています 

 北側から太い幹のものもあります

 南側から見上げました

 では、次へ行きましょう


車窓の映るのは日本二百名山の二王子岳です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県新発田市、大栄町「長徳寺のアカマツ」です!!

2022-06-10 06:22:47 | 巨樹・大木
 大栄町は、新発田市役所のすぐ南側の町です

 市役所の南西約300mに北向きの参道で長徳寺が有ります

 市役所前を西へ県道32号線と県道21号線の交差点石川小路信号を左(南南西)へ進むと

 真宗大谷派 松霊山 長徳寺山門が見えて来ます

 長徳寺の西側に参拝者用駐車場が有りますので利用させて頂きました



 明治天皇新潟行在所建物の石碑と安兵衛手植の松の文字が見えます

 山門を入ると左にお堂です、入り口上の彫刻は葡萄の枝葉と房そして鼠が彫り著されています

 左手墓地には鐘楼です

 右には安入寺本堂です

 玉垣の中には高い台座の上に岩が乗っています、説明が無いので良く分からないものです

 境内中央部に大きな石碑が有ります、義士 堀部安兵衛碑です
*堀部安兵衛は、忠臣蔵で有名な赤穂四十七士の一員です、

 本堂です

 本堂前に目的のアカマツです


 本堂軒下(南西側)から見ました


 南東側から、目通り幹囲4.2mの大木です

 北側から

 西側駐車場への通路から見ました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県胎内市、宮久「ししのくらの森のブナ」です!!

2022-06-09 06:26:59 | 巨樹・大木
 宮久地区は、胎内市役所の南東約6kmのところ

 胎内スキー場の前を通って、胎内ダムの方面へ向かいます

 正面の岡の上にししのくらの森が有ります(胎内川の風倉橋の手前から)

 道路脇に車を止めさせていただきました

 ししのくらの森への入り口です

 案内図が有ります、上り15分くらいですね

 擬木の階段を上ります

 ジグザグに登ります

 急な登りが終わったようです

 窪地の先へ

 柱だけで案内板が有りません

 送電線の標識でした



 大きなブナの株です



 ブナの木が目立ってきました



 案内図にあった山の神の石塔です

 右へ行きます



 左手の藪の先に太い幹が見えました



 ししのくらの森のブナ(西の株)です



 南側から


 東側から



 目通り幹囲5.9mの巨木です




 ししのくらの森のブナ(東の株)です



 東側から、目通り幹囲6.4mの巨木です



 こちらは奥に在ったトチノキです


 案内板などがまとめられています、ゴールデンウイーク明けにならないと設置されないようです

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする