ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県胎内市、下館「一之堰の大欅」(市指定)です!!

2022-06-08 19:24:36 | 巨樹・大木
 下館地区は、胎内市役所の東北東約3kmのところ

 国道7号線を北東へ、胎内川を渡ってすぐの下館信号を右(東)へ入ります

 県道402号線に入って最初の十字路を右(南)へ入ります

 真っ直ぐに進んで胎内川の河川敷へ入ると正面にケヤキの巨木が有ります

 根元手前に車を止めさせて頂きました


 真っ直ぐに下ります

 道路左手には、市指定文化財の下館の板碑です

*板碑とは、武士が供養などのために造ったもので、この下館の板碑は、室町期のもので、表面に阿弥陀如来をあらわす梵字が彫られています。

 太い幹が見えて来ます

 目的のケヤキです

 西側から

 大きな一之堰跡の石碑です

 説明版です
  一之堰の大欅(いちのせきのおおけやき)
 高さ20m、目通り周囲6.2mのこのケヤキの大木は、江戸時代中期に旅人が胎内川左岸から右岸に渡る際に目印としていたものといわれています。
 根元には子供が入る程の空洞があり、中で火をたいた形跡があります。
 昭和46年12月1日黒川村天然記念物指定

 北東側から

 東側から

 南東側から

 南側から



 南西側から



 もう一度西側から

 水位観測施設が有りました

 では、次へ行きましょう
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新潟県関川村、鮖谷「滝神社のスギ」です!!

2022-06-08 06:24:31 | 巨樹・大木
 鮖(かじか)谷地区は、関川村役場の南約2kmのところ

 国道113号線を南東へ、雲母信号を右(南)へ

 すぐにJR米坂線の踏切を渡ります県道272号黒俣越後下関停車場線です

 大石川を渡ると県道は右(南)へ大石川右岸の土手を進みます

 三つ目の橋で大石川を渡りなおすと左手先に鮖谷集落です

 集落一番奥段丘上に滝神社が東向き参道で鎮座します

 滝神社清水脇の参道入り口に車を止めさせて頂きました

参道石段を上がって来ました、赤い鳥居です


鳥居下から境内に有るスギが見えました

湯殿山の石碑が建ちます


目的のスギの巨木です



社殿は南向きに鎮座します

本殿です

南西側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

西側から

北側から

東側から

庚申塔がずらりと並んでいます

境内社の石祠と三寶荒神の石碑です

では、次へ行きましょう
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山形県鶴岡市、早田「早田のオハツキイチョウ」(国指定)です!!

2022-06-07 18:32:15 | 巨樹・大木
 早田地区は、鶴岡市役所の南西約28kmのところ

 国道7号線を南西へ、日本海が見えるようになると信号がほとんど無くなり

 右手に日本海を望みながら快調に進みます

 間もなく新潟県との県境という鼠ヶ関の手前(北側)の集落です

 集落の入り口に案内板が有ります「国指定天然記念物 早田の御葉付イチョウ」この先500m左折です

 集落に入ると間もなく又案内板が有りました、この先1400mとなっています

 JR羽越本線の線路を潜るとまたまた案内板です、この先1200mです「熊出没注意」の看板が気になります

道なりに進みます、新しい道路の工事現場を過ぎて山道になるとまた案内板です


 あと100mの案内板のある広場に軽トラックが止まっていたので、ここに車を置いていきます

ゆるく下っていきます

右手の竹林の先に太い幹が見えて来ました

目的のオハツキイチョウです

東側から見ました


北側から

北西側から

説明版が有ります
  国指定 天然記念物
   早田の御葉付イチョウ
指定年月日 昭和26年6月9日
所在地 鶴岡市早田字河内122の内
 本間光義氏所有の二本のイチョウの内、大きい方が「早田の御葉付イチョウ」として国の天然記念物に指定されている。
 この「早田の御葉付イチョウ」は、扇状の葉の先に実(植物学上では種子)がつくという特別なイチョウの雌木であり、その畸態によって、いわゆる実の真下にあるコツブ状の部分が葉と相同器官であることが知られたもので、学術上からも重要視されているものである。
 この外平沢を始め、鼠ヶ関地内には、同様のものが散見されていますが、早田のイチョウのように御葉付率の高いものは極めて稀であり全国的にも高く評価されている名木である。イチョウの種類は、過去に於いて(地質時代)相当多かったが、段々衰えて、現在では「イチョウ」ただ一種だけが東洋の一角に生存している。いわば生きている化石とも言える木です。
  平成11年3月 鶴岡市教育委員会

西側から

南側から


南東側から、根元が板状に広がっています

もう一本北側にイチョウの木が在ります

南西側から細い方のイチョウです

では、次へ行きましょう
 

 
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山形県鶴岡市、三瀬宮之前「三瀬気比神社社叢のシラカシとサカキ」(市指定)です!!

2022-06-07 06:44:02 | 巨樹・大木
 三瀬宮之前地区は、鶴岡市役所の西南西約15kmのところ

 国道7号線をにしへ、日本海を右手に見るようになると由良海岸です

 国道が峠を越えるように進むと左に三瀬の市街地です

 案内板が有りますので左の市道へ

 間もなく左の田圃の先に気比神社の社叢が見えて来ます

 気比神社社叢は国の天然記念物に指定されています

 鳥居を潜った境内に車を止めることが出来ました

参道入り口鳥居です

国指定天然記念物気比神社社叢の石碑が建ちます

境内地は「史跡 旗本台」縄文時代の遺跡・戦国時代の館跡です

参道を進むと・・・

二の鳥居です

説明版です
  気比神社社記
 上代より気比台池畔に保食大神鎮座あり。後元正天皇霊亀二年越前国敦賀気比神社より七座を此の地に勧請、古代よりの古社を摂社とし、祭神は七座五社二十七神を祀っている、社殿の造営は天分9年尾浦城主武藤氏の部将高坂中務時次等領内に奉加を令して之をなし、現在の本殿等は宝永4年庄内藩主酒井公の寄進並に御郡中の奉加及び氏子の寄附により造営され、世の興亡変転にかかわらず領主、氏子の尊崇厚く廃藩置県後明治9年縣社に列せられ、例大祭は4月12日県内外の崇敬人多く、境内約三万坪、本社の奥100m余の処に神池あり、周囲約900m旱雨により涸溢なく深浅測るべからず、原生の老樹池に影を映し幽邃神秘時に山禽の様これ静寂を破る、境内に松、榊、白樫等有形文化財始め百種以上の樹種あり、旧社殿跡に源義経公の遺跡あり、又、指呼の間葉山中腹に義経記の薬師神社跡がある、羽黒旧記因由の八乙女神社、籠穴は葉山のかげ海に臨むところにあり舟で詣ずることができる。


石段を上がります

手水舎です

手水舎の奥に境内の説明図が有りますので確認しましょう

直会殿です

直会殿の建物東側には合祀社殿です


向かい側には神輿殿です

直合殿の西側の石段を上ります

竹内宿禰社です

玉姫社です

ふしぎな感じの狛犬です

拝殿です

みごとな彫刻です

軒下の奉納物は草履や剣が見られます


本殿です


拝殿前のウラジロガシとサカキです

西側から

南西側からウラジロガシです



市指定天然記念物ウラジロガシの標柱です


東側から



サカキです

市指定天然記念物サカキの標柱です

南東側から


応神天皇社です

日本武尊社です



東側は気比台の池への参道ですが、ここまでにしましょう

では、次へ行きましょう
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山形県鶴岡市、矢引「宮泉寺のヒサカキ」(市指定)です!!

2022-06-06 18:28:34 | 文化財・寺社
 2022年6月6日梅雨入りです、昨日までの予報では、まだ一週間は梅雨入りしないとのことでした。
 平年より1日(昨年より8日)早く梅雨入りです、6月の巨木・大木廻りの計画を変更しなければなりませんね~
ここからは、5月5日取材分です

 矢引地区は、鶴岡市役所の西南西約12kmのところ

 国道7号線を西へ、鶴岡西インターチェンジを過ぎてゆるく右にカーブします

 JR羽越本線を跨線橋で越えると間もなく大戸川を渡ると登坂車線の表示が有ります

 登坂車線になる手前を左(南西)へ入ります

 山際を道なりに進むと、右手に宮泉寺への入り口が有ります

 山門前に車を止めさせていただきました

参道入り口です

真言宗 智山派 宮泉寺です

山門右手に説明版です
 「宮泉寺のヒサカキ」鶴岡市天然記念物
  指定年月日 昭和60年10月1日
  場所 宮泉寺 御影堂(奥の院)跡
  概要 幹周り・・・2m余
     幹高さ・・・8m余
     樹齢・・・300年~400年
 宮泉寺西方約300m、墓地の奥に御影堂(奥の院)跡地があり、今回天然記念物指定を受けた「ヒサカキ」が、御影堂建立を記念し植樹されたと伝わっている。
 平安時代の天徳2年10月(958年)約一千年前、妙達上人が西羽黒地域として鍋倉山宮泉寺を開祖し、御影堂前を十王堂に通ずる山道として活用され、安土桃山時代(1580年)約400年前、現存の山門を建立、御影堂も護摩祈祷所として同期の建立を推測し、「ヒサカキ」の樹齢とも一致する。
 御影堂は、十王堂と鍋倉山宮泉寺間の主要な祈祷所で、弘法大師座像(13.5cm)興教大師座像(43cm)の両袖に6体ずつ12天を祀っている。
 宮泉寺建立で行事総べてを当寺へ移管、維持管理も難渋し、老朽甚しく昭和9年(1934年)解体される。御影堂扁額(巾69cm、縦25.5cm)が唯一の形で残っている。
   付記
1、宮泉寺 概要と主な資料
 京都智積院と流派を結ぶ 天和3年(1683年)、宮泉寺建立 元禄6年(1693年)、欄間の彫刻と、壁画、地獄絵図(鎌倉時代)、釈迦涅槃像と妙達上人木像、愛染明王画像と不動明王像、二四孝杉戸絵など。
1、文殊堂 天明3年(1783年)建立、昭和22年(1947年)再建 文殊菩薩立像(34cm)弁慶作
1、石佛 御影堂の参道至るところに祀られる(鎌倉時代)
 以上 上郷文化財愛護会 鶴岡市文化財愛護会 庄内文化財保存会


山門をくぐって石段を上ります

本堂です

本堂前を左へ

案内板に従って右へ石段を上ります

石段を上りきると右手に宮泉寺本堂を見下ろす位置に石仏が並びます

左へ進むと墓地の中を進みます

まだまだ先です

通路はコンクリート舗装されていますので歩きやすくなっています

また石段が見えて来ました

安内板が有ります、150mですので中間点です

通路の両側に立派な墓地が並びます

通路の先に目的のヒサカキが見えて来ました


ヒサカキです

南側から

御影堂の石仏等です、石仏の首が落ちているのはどうしてでしょうか
  *御影堂の解体は昭和9年ですので、明治維新の廃仏毀釈の影響では無いように思えますが・・・

西側から

北側には池が有ります

北側から


東北東側から見ました

では、次へ行きましょう
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山形県庄内町、廻館「廻館のケヤキ」(町指定)です!!

2022-06-06 06:35:28 | 巨樹・大木
 *2022年6月6日関東甲信が梅雨入りの発表が有りました

 平年より1日、昨年より8日早いのだとか、取材の予定が変わりそうです

 九州から東海は、まだ梅雨入りしていませんからね~

では

 廻館地区は、庄内町役場の南南東約4kmのところ

 国道47号線を南東へ、廻館信号を過ぎるとまもなく右手にケヤキの巨木が目に入ります

 少し南側の国道駐車帯(もしもしピット)に車を止めることが出来ました


南側から


南東側から

余目町指定文化財第44号 廻館のケヤキの標柱です


東側から、目通り幹囲6.1mの巨木です


北側から

北側には用水路が流れています、ケヤキへの水分供給に一役買っているようです

八重桜が満開でした


西側から

南西側から

ここは一里塚だったようです

では、次へ行きましょう




  
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山形県庄内町、沢新田「沢新田建部神社のケヤキ」(町指定)です!!

2022-06-05 19:20:14 | 巨樹・大木
 沢新田地区は、庄内町役場の南東約5kmのところ

 国道47号線を南東へ、廻館信号で左(北東)へ県道358号線です

 JR陸羽西線の踏切を渡ると小出新田集落です、集落中程で右(南東)へ市道を進みます

 やがて吉田堤(用水路)沿いの道になって左手に沢新田集落が見えて来ます

 集落入り口を左(東)へ、次の変形十字路を右(南)へ進むと

 間もなく左手に建部神社参道が開いています、東へ入ると建部神社が西向きに鎮座します

 境内に車を止めることが出来ました

 境内入り口鳥居です

 手水舎です

鳥居下から参道右手に目的のケヤキです、後ろの建物は地区の公民館です

「余目町文化財 建部神社 欅」の天然記念物標柱です

説明版です
庄内町指定天然記念物
 沢新田 建部神社のケヤキ
  所有者 建部神社
  指定年月日 昭和59年8月30日
 沢新田建部神社は、慶安3年(1650)の開村にあたり、観音堂が造立されたのが始まりと言われる。
 明治9年(1876)に現在の名称に改められた。県内では唯一の建部神社である。
 このケヤキは、巨木が多い建部神社の鎮守の森の中でも一際大きく、御神木として崇められてきた。樹勢は極めて旺盛で、枯れや空洞も見られない。
  根周り  14.3m
  目通り幹囲 6.3m
  樹高   30.2m
  枝張り東西30.0m
     南北22.2m
  樹齢350年(推定)
 平成22年3月
 庄内町教育委員会

北側から


東側から

狛犬です

拝殿です

本殿覆い屋です
 
境内南東側のケヤキです


境内中央のケヤキの大木です


本殿北側のケヤキです

境内東側に祠や庚申塔、古峯神社等の石塔が並びます

境内北東側のケヤキです

境内北側の祠です

石碑が有ります
 本山盛徳は、天保9年(1838)佐賀県に生まれ、博識で有能、侠気に富んだ人で、明治元年(1868)戊辰戦争の際、奥羽追討の官軍に従い会津等を転戦した庄内に入り、戦争終結後は酒田県民生局に奉職した。
 明治2年最上川の川欠で、沢新田・連枝両村は数十余の家屋を流失した。
 惨状を調査した本山はいたく同情し、民部省に申し出、裁可を待たず独断で新川堀削に着工した。民部省は停止命令を出したが、本山は、今中止すれば明年の融雪期の氾濫に工事は無に帰する、命令に反した罰は工事終了後に受けると反論し、ついに民部省はその情熱に圧されて、工事全般を本山に委任した。かくて、本山の督励下、両村民等の数十日の刻苦勉励の末、明治3年10月1日に新川掘削工事は完了した。
 沢新田・連枝両部落では、両村の窮状を救った本山盛徳の功績に感謝し後世に伝えるため、夫々の神社境内に顕彰碑を建立し、毎年11月23日に本山祭を行っている。

では、次へ行きましょう



*今日はここまでです、鶴岡市内へ行って車を洗ってから買い物をして、湯野浜温泉上区公衆浴場(ここはお得です)で汗を流して、翌日の計画の都合で国道7号線を南下、小波渡海水浴場の駐車場で車中泊としました
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山形県鮭川村、中渡「荒木家の大ケヤキ」です!!

2022-06-05 06:22:25 | 巨樹・大木
 中渡地区は、鮭川村役場の西約3kmのところ

 鮭川郵便局前の国道458号線信号を北へ県道315号線です

 徐々に県道はを北西向きへ、鮭川を渡ります

 やがて県道が西向きになると中渡集落です

 県道58号線と合流して南西に向きを変えます

 次の県道58号線と県道315号線の分かれ道の十字路の南側台地上に荒木家が在ります

 県道58号線の脇に車を止めさせて頂きました


 北西側から、斜面の上部に目的のケヤキが大きな根を広げています

 北側から見上げました、目通り幹囲4.9mの大木です

*環境省巨樹データベース(2000年)の数値ですので、調査から20年以上を経ていますので5mは越えていると思われますが、個人宅のうえ場所が斜面ですので実測することはできませんでした


 北東側から


 東側から

 東側には湧水の井戸が有るようでお地蔵様の祠がありました


 南側丘上の道路から見ました

では、次へ行きましょう

 *この後、ここから3kmのトトロの木(小杉の大杉)を見にいきましたが、駐車場入り口は、ゴールデンウイーク中とあって、観光客の車で大渋滞が発生して、駐車場警備の方が駐車場への入場制限を行っていましたので、取材を断念しました
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山形県真室川町、川ノ内「伊屋彦神社のスギ」です!!

2022-06-04 19:50:08 | 巨樹・大木
 川ノ内地区は、真室川町役場の北約5kmのところ

 県道35号真室川鮭川線を北へ、金山川を渡って進みます

 安久土地区で、左に熊野神社の大杉の標柱をみてさらに進むと

 JR奥羽本線のふみきりを越え川ノ内地区の中心部関沢集落を貫けて

 真室川を栗谷沢橋で右岸に渡ると間もなく左手に伊屋彦神社が南向き参道で鎮座します

 工事中の道路脇に車を止めさせて頂きました


 神社の森が見えて来ました


 参道入り口の両側には池が広がります

 参道左手に目的の杉が見えます


 参道の鳥居です


 参道左側の池の畝から見上げました



 南西側から



 鳥居前(南東側)から見ました、幹の高い所まで枝の無い綺麗な杉です


 東側から見上げました、目通り幹囲5.7mの巨木です


 北側境内から


 西側から


 参道正面に社殿です

 社號標ではありませんが石碑に「伊弥彦神社」となっていますがGoogleマップでは「伊屋彦神社」の表示です


 境内の大きな切り株からは二代目の杉です

 社殿前から参道を見ました

 では、次へ行きましょう
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山形県真室川町、山ノ内「安久土熊野神社の大杉」です!!

2022-06-04 06:27:59 | 巨樹・大木
 山ノ内安久土地区は、真室川町役場のすぐ北側約1kmのところ

 県道35号真室川鮭川線を北へ、金山川を栗谷沢橋で渡ります

 真室川小学校を過ぎると安久土集落です

 道路左側に東南東向きに参道が開いています、案内板が建っています

 参道を入って鳥居の前に車を止めさせていただきました


参道入り口です、熊野神社の大杉・樹高25m、幹周5.3mの標柱が建っています

鳥居です


参道左手にイチョウです、芽吹き始めですね


参道は杉の大木の並ぶ並木です


参道左手の杉の大木です

参道を進みます


参道西側のケヤキと杉です


社殿側から


社殿です


社殿東側の境内社です


目的の杉は社殿後側に在ります


東側から見上げました、目通り幹囲5.3mの巨木です


西側から見ました


では、次へ行きましょう
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山形県金山町、中田「上中田弥彦神社のスギ」は伐られてしまいました!!

2022-06-03 06:27:22 | 巨樹・大木
中田地区は、金山町役場の北約3kmのところ
  
 国道13号線を北へ、金山町北インターチェンジを右の旧道へ入ります
 
 大きく蛇行した旧道を進み、中田集落に入って

 国道が右(東)に大きくカーブすると右側に鳥居が見えて来ます

 右手の丘の上に弥彦神社が鎮座します

 国道北側のゴミ集積所前に車を止めさせていただきました

参道入り口です

鳥居です

説明版が有ります
  上中田弥彦神社
 当神社は天香具山命を祭神とし、確実ではないが、文明6年(1417年)創建と言われている。
 昔、越後から来た人が外沢口の山で炭焼きをしていたが、郷里の弥彦神社を信仰し、神像を石で刻んで朝・夕礼拝していた。のちにその炭焼きは中田に移り住み、その神像を村後ろの丘に祀ったのが始まりと伝えられている。炭焼きの住んでいた外沢口の山では、現在も「弥彦」の地名が残っている。
 弥彦神社の境内には、社殿の他に山神の社と稲荷・秋葉の二つの小祠がある。これらを、創建時に植えられたと言われる樹齢約300年の杉や欅の大木が囲み、神域に荘厳さと神秘感を与えている。双幹ではあるが、目通り太さ775cmもある杉を筆頭として、500cm以上の大木が立ち並んでいる。これらの社木は平成11年に町の天然記念物に指定された。
 しかし、平成28年、社木の多くが老木となって倒木の恐れがあることから伐採され、町指定が解除された。
   平成28年 金山町

 *目的の杉は伐られてしまったようですが、見に行ってみましょう

 擁壁の間に参道が伸びています

 コンクリート製の階段です

 参道階段の両脇にはケヤキの大木が門のように在ります

 階段を上りきると視界が開けて社殿が見えました

 境内社の祠は説明版にあった「稲荷と秋葉の小祠」のようです

 一段高い所には「山神の社」のようです


 社殿です

 社殿前の切り株です、7~8本の木々が在ったようです

*杉の合体木で幹囲8.2mのものだったそうで残念です

 社殿の南側にも古い切り株が残ります

 山神に社への参道です

 石段を上ると

 社です



社の周りにはスギの大木が残ります

 春の草花を見ることが出来ました

 では、次へ行きましょう
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山形県金山町、中田「中田八幡神社のスギ」です!!

2022-06-02 18:46:41 | 巨樹・大木
 中田地区は、金山町役場の北約3kmのところ
  
 国道13号線を北へ、金山町北インターチェンジを右の旧道へ入ります
 
 大きく蛇行した旧道を進むと下中田簡易郵便局の先右側に鳥居が見えて来ます

 右手の丘の上に八幡神社が鎮座します、すぐ先の墓地の入り口に車を止めさせていただきました

鳥居です

八幡神社です

丘の斜面を斜めに上ります


杉並木に入りました

左手にカタクリの群落です


社殿手前の杉の大木です

社殿前側から、目通り幹囲5.7mの巨木です


本殿前から

石段の上に社殿です

説明版です
  中田八幡神社
 当八幡神社は、誉田別命(応神天皇)を祭神とし、弘治2(1556)年の創建と伝えられている。
 はじめは高堂山の麓を通る古道沿いの「堂の前」にあったが、街道整備のため現在地に移し祀られて村の鎮守となった。
 昭和5年12月に完成した社殿は、柿崎直昭・栗田定治・高橋栄蔵の三総代を中心とした村全体の協力のもと、棟梁・千川原幸助の建築であった。
 その社殿が平成22年8月に全焼。氏子一同の熱意から平成27年に新社殿の建築に着手。下中田地区内の建設業・柿崎美建・柿崎悟代表の献身的な努力により、平成29年6月に現社殿が完成した。
 境内の社木は、鬱蒼として(昭和4年4月・40本)神威を示していたが、二度の社殿改築や戦争への供出のため伐採されて現在はわずかに残るのみとなっている。
 数百年の樹齢を誇り村と神社の歴史を物語る老杉、これから新しい歴史を刻む現社殿、これらは下中田地区の宝物として永く保存してゆくべきである。
  平成30年  金山町

歴史を感じさせる狛犬です

現社殿の北東側旧社殿の台座でしょうか


社殿脇から見下ろしました

では、次へ行きましょう
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山形県金山町、有屋「大美輪の大スギ」です!!

2022-06-02 06:22:18 | 巨樹・大木
 有屋地区は、金山町役場の東北東約4kmのところ  

 金山川に沿って県道73号雄勝金山線を東へ進みます

 稲沢地区を過ぎると間もなく「大美輪の大スギ、300m」の案内板が有りますので右へ入ります

 また案内板が在りますので少し先の駐車場に車を入れました

 田圃道を進みます

 谷地のようなところです

 田圃の向う側の林に背の高い杉が見受けられます

 谷状の場所です

 木の橋を渡ります


 杉の生育には打って付の北向きの沢状のところです

説明版です
  大美輪の大杉
 金山の林業は、明治後期以来の植林に始まるとされているが、その礎は新庄藩政にさかのぼることができる。
 記録によれば、既に宝暦年間(1751年~1764年)に山奉行を中心とした山林経営及び管理体系が形成されていたと思われる。
 新庄藩では、原則的に藩有地になっている一般牧草地とか雑木が自生している平山を借り受け、そこに苗木を植える制度があり、「御半紙場」あるいは「御半紙林」と言っていた。
 この美林の大杉は、樹齢300年近く、享保年間(1716年~1736年)に植林されたものと推測される。
    平成30年 金山町
 森林の取材地 山形県最上郡金山町大字有屋字大美輪
 森林の所有者 岸 三郎兵衛 氏
 森林概況 面積0.87ha、林齢約300年、本数約110本
 最大胸高直径152cm(幹囲4.8m)最大樹高59m 等
 大美輪の大杉は今なお現役の経済林のため、落下防止の枝打ち等を行うことはできません。
 落枝等には十分注意し、お入り下さい。

*大美輪の大杉とは、この沢状のところに植林された杉の木全てについての名前です。




 説明版のすぐ後ろに根を一つにした夫婦スギのような杉の大木です、右側の杉が一番太いように見えました



 杉の大木を見ていきましょう


すこし奥まで行きます



多くの杉の大木が並びます



あまり奥まで行くことは遠慮しました

ショウジョウバカマがあちこちに咲いていました

では、次へ行きましょう

 

 
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山形県金山町、下野明片貝「岩円地蔵の大杉」です!!

2022-06-01 06:21:03 | 巨樹・大木
 下野明片貝地区は、金山町役場の南東約4kmのところ

 国道13号羽州街道を南へ、金山町山崎で金山町森林組合の南側信号を左(東)へ

 仁山田方向へ県道320号線を進みます右にゆるくカーブした先で県道322号線を左(東)です

 道なりに進んで、一時停止の交差点に「岩円地蔵の大杉」の案内板が有りますので右(東)へ

 上台川を渡ると片貝集落です、集落入り口には「岩円地蔵」の案内板があります

 岩円地蔵は集落から更に2kmほど林道を進んだ先です


岩円地蔵の大杉の案内板が有ります、ここを右に2.5kmです

升沢ダムへの道を左に、片貝集落入口です、岩円地蔵への案内板が有ります

集落を過ぎて林道を進みます、奥に赤い鳥居が見えました

大きな桜の木のあるところに車を置いて歩いて行きましょう

田圃の向う側、杉林の前に赤い鳥居が有ります

鳥居前までやって来ました

説明版が有ります
  岩円地蔵
 岩円の名は「岩屋」つまり岩の家を意味することから名づけられた。
 巨大な集塊岩が、両端の岩にささえられて張り出しており、その下の広い空間と、奥の方から滑らかな水の湧き出ている環境は、おのずから人々の心に神秘性をいだかせるものがあり、古くからここは「神の座」として信仰の対象となってきた。
 ここには、五穀豊穣・村内安全・子孫繁昌を祈って地蔵様が、農民のいのちの水の豊かさをねがって水神様が祀られている。
 干ばつがつづいた時は、地元の村々はいうまでもなく、萩野新庄の村々からも水乞い雨乞いの参拝者があり、ここに祈れば必ず「恵の雨」をもたらすといわれています。
 祭礼は6月24日であるが、むかしは旧12月(師走)24日にも村人がこの岩円にこもり、沢水をせきとめた「垢離場」で水ごりを取り「お行」をおこなったものである。
 岩の上の大杉は、目通り周囲5.7m、神木としては、金山一の大樹である、またここからは、縄文土器の破片も出土しており、古代の人々の住居としても利用されたものとみられている。
 信仰の場、古代の遺跡、自然の景観の複合遺跡として貴重な存在である。
  昭和57年8月 金山町

鳥居を潜って杉や桧の枝葉におおわれた参道を進みましょう

水場が有ります、冷たい水が出ています


太い杉が目につきます

杉木立の斜面の先に岩屋が見えて来ました

岩屋です、大きな平らな岩屋の上に目的の大杉が立っています、目通り幹囲5.7mは右のスギです

左側の岩からは水が湧いています

右側の岩です

岩の裏側にはトチノキの大木です

西側から見ました

岩屋の西側にも太い杉が在ります

こちらの方が太いかも・・・

トチノキの大木です

車までの道の脇には春の草花が咲き誇っていました

では、次へ行きましょう
コメント
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