新穂ダムキャンプサイトに戻りましたが
地域の建設業の方々がトイレの清掃をされていましたので・・・
翌日帰る前に寄ることを考えていた「大日堂」へ行ってきました
ダムサイトの北側です、ダム湖畔を約3km進んで来ました

西側から大日堂入口を見ました

入口の鳥居です

水盤です

茅葺屋根の大日堂は拝殿です

本殿です

説明版です
新潟県指定有形文化財(建造物)
大日堂 (昭和54年3月30日指定)
新穂瓜生屋に建立された大日孁(おおひるめ)神社の拝殿である。建物の背面は奥社(本殿)への昇降口となっており、床を高くするなどの改築跡があるが、本来の仏堂の形態をよく残している。
この建物は間口16.3m、奥行き13.4mの五間堂で、屋根は寺院宝形造、茅葺で、小規模仏堂の典型をよく示している。また、3間(約5.5m)四方の内陣は本尊の「大日如来坐像」(市有形文化財)を安置してもゆとりがあり、外陣・脇陣も広く、近世における佐渡の仏堂によく見られる広々とした構造となっている。
大日堂は延徳2年(1490)に開基(大同2年(807)とも伝わる)されたと伝わり、本尊の大日如来坐像は未年申年生まれの守り本尊、妊婦安産の神、牛の守り神として島内で広く信仰を集めてきた。
宝暦の「佐渡国寺社境内案内帳」によると、享保3年(1718)に大日堂が再建されたとの記録があり、現在の仏堂の構造様式や絵様彫刻はこの再建当時の様相をよく示している。
佐渡市指定有形文化財(彫刻)
木食清眼作 大日如来坐像(平成20年5月1日指定)
この仏像の作者は木食弾誓一派の木食清眼で、制作年代は寛文6年(1666)であることが判明している。
この像の高さは3.08m、肩幅1.47mの木彫り寄木造で、頭上に宝冠を戴き、両手を揃えて法界定印を結んでいる。像容は鼻が特異な形と大きさで、口元は抑揚のない短い線で刻み込まれ、両手の指は写実的である。
「佐渡国寺社境内案内帳」によると、「この大日別当常照庵の大日如来は善光寺村善光寺の檀那である中将家によって安置されたもので、古くからの仏像が痛んだため、木食上人によって再興されたがまたまた損じ、万治3年(1660)、相川弾誓寺の四世清眼の自刻によって再興された。そのため、中将賢誉は、寛文2年(1662)より国中を歓化し、同6年(1666)仏像は完成、堂を建立して大日を安置した」とある。万治3年(1660)は木食弾誓の50回忌である。

佐渡百選です

文化財標柱です

軒下の懸額です「大日孁神社」となっています

南西側から

境内西側にも文化財標柱が建っていますが何もありません
では、新穂ダムキャンプサイトへ戻って夕飯にしましょう
地域の建設業の方々がトイレの清掃をされていましたので・・・
翌日帰る前に寄ることを考えていた「大日堂」へ行ってきました
ダムサイトの北側です、ダム湖畔を約3km進んで来ました

西側から大日堂入口を見ました


入口の鳥居です


水盤です


茅葺屋根の大日堂は拝殿です


本殿です


説明版です
新潟県指定有形文化財(建造物)
大日堂 (昭和54年3月30日指定)
新穂瓜生屋に建立された大日孁(おおひるめ)神社の拝殿である。建物の背面は奥社(本殿)への昇降口となっており、床を高くするなどの改築跡があるが、本来の仏堂の形態をよく残している。
この建物は間口16.3m、奥行き13.4mの五間堂で、屋根は寺院宝形造、茅葺で、小規模仏堂の典型をよく示している。また、3間(約5.5m)四方の内陣は本尊の「大日如来坐像」(市有形文化財)を安置してもゆとりがあり、外陣・脇陣も広く、近世における佐渡の仏堂によく見られる広々とした構造となっている。
大日堂は延徳2年(1490)に開基(大同2年(807)とも伝わる)されたと伝わり、本尊の大日如来坐像は未年申年生まれの守り本尊、妊婦安産の神、牛の守り神として島内で広く信仰を集めてきた。
宝暦の「佐渡国寺社境内案内帳」によると、享保3年(1718)に大日堂が再建されたとの記録があり、現在の仏堂の構造様式や絵様彫刻はこの再建当時の様相をよく示している。
佐渡市指定有形文化財(彫刻)
木食清眼作 大日如来坐像(平成20年5月1日指定)
この仏像の作者は木食弾誓一派の木食清眼で、制作年代は寛文6年(1666)であることが判明している。
この像の高さは3.08m、肩幅1.47mの木彫り寄木造で、頭上に宝冠を戴き、両手を揃えて法界定印を結んでいる。像容は鼻が特異な形と大きさで、口元は抑揚のない短い線で刻み込まれ、両手の指は写実的である。
「佐渡国寺社境内案内帳」によると、「この大日別当常照庵の大日如来は善光寺村善光寺の檀那である中将家によって安置されたもので、古くからの仏像が痛んだため、木食上人によって再興されたがまたまた損じ、万治3年(1660)、相川弾誓寺の四世清眼の自刻によって再興された。そのため、中将賢誉は、寛文2年(1662)より国中を歓化し、同6年(1666)仏像は完成、堂を建立して大日を安置した」とある。万治3年(1660)は木食弾誓の50回忌である。

佐渡百選です


文化財標柱です


軒下の懸額です「大日孁神社」となっています


南西側から


境内西側にも文化財標柱が建っていますが何もありません

では、新穂ダムキャンプサイトへ戻って夕飯にしましょう

