ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県佐渡市、羽茂本郷「草苅神社のウラジロガシ」(市指定)です!!

2022-07-24 18:33:21 | 巨樹・大木
  羽茂本郷地区は、佐渡市役所の南南西約18kmのところ

 国道350号線を南へ、小村簡易郵便局を過ぎて

 県道287号線(遠回り)の一つ先(近道)を斜め左へ坂道を下って行きます

 道なりに進んで、遠回りしてきた県道287号線に出ました

 坂を下りながら東へ、羽茂川を渡ってすぐを左(東)へ県道81号佐渡縦貫線です

 県道81号線にはいって直ぐ左に細い橋が羽茂川に架かっています、これが草苅神社参道です


 県道沿いに案内板が出ています


 橋の上から草苅神社の鳥居が見えました

 村社 草苅神社の社號標です

 境内に車を止めることが出来ました


 参道左側には能舞台です

 説明版です
  新潟県指定文化財 (有形民俗文化財)
   佐渡草苅神社能舞台 (平成9年3月28日指定)
 明治初期以前の建築と推定され、農村風景の中に溶け込みながらも堂々とした風格を感じさせる能舞台です。
 舞台は正面入母屋造、背面寄棟造の茅葺で、本舞台と後座からなり、正面の梁には若葉が彫られており、鏡板に松の絵、天井には演目「道成寺」で使用する鐘穴があります。舞台以外の施設は一時失われてしまいましたが、近年の修復により地謡座、鏡の間、複式橋掛り、裏楽屋が常設されました。
 江戸時代に始まった演能は現在も継続されており、毎年6月15日の草苅神社例祭に薪能が奉納されています。
   平成25年3月
   佐渡市教育委員会


 文化財標柱です、能舞台と目的のウラジロガシが並記されていま


 神輿舎です

 鳥居です

 手水舎です


 鳥居脇から目的のウラジロガシを見上げました

 つつじのピンク色が綺麗な参道石段です

 石段下から見ました


 ここにも天然記念物標柱です

 石段中段から見ました

 石段上境内から

 狛犬です

 拝殿です


 本殿ですが藪になってしまってよく見えません


 拝殿東側に連理の木です

 説明版です
   連理の木
 樹種 サカキ(本サカキとも言い、暖地性で佐渡にはない木である。)
 連理 二本の木の幹や枝が一つになっているのを言い、男女の仲むつまじい様とされる。
 〇白天楽の「長恨歌」に「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」とある。
 〇また、草苅神社の祭神「素戔嗚尊」が、八岐の大蛇を退治して櫛稲田媛を救け、媛との新居を作られるとき詠まれた御歌に、
    八雲起つ 出雲八重垣 妻隠みに 八重垣作る その八重垣を
  とあって、夫婦相愛の歌、日本最初の和歌といわれる。
     草苅神社社務所

 連理の木を見に行きましょう


 中段の幹が左右から繋がっています
 
 連理の木の上から本殿を見ることが出来ました

 では、次へ行きましょう
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新潟県佐渡市、阿佛坊「佐渡唯一の五重塔(国重文)・妙宣寺、雑太城跡」です!!

2022-07-24 06:41:30 | 文化財・寺社
 阿佛坊地区は、佐渡市役所の南約5kmのところ

 県道381号線を南東へ道なりに進み、一宮橋信号で右へ県道65号線で南西へ進みます

 武田地区に入って県道190号線との交差点です、南東側へ県道190号線を進むと

 間も無く北西向きに妙宣寺の山門(仁王門)が見えて来ます



 県道沿いに妙宣寺入口です仁王門前の道路脇駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 前方に仁王門

 右手上に五重塔の上部が見えます

 

 境内案内図です


 石段を上がります、右手に五重塔が見えました

 仁王門です

 立派な仁王(金剛力士)像です


 説明版です
   妙宣寺
 古くから北陸道七ヶ国法華の棟梁で、寛文年中、身延、池上、中山三ヶ寺の輪番所となり、明治11年に立本山と定められた名寺である。
 もとは順徳上皇に供奉した北面の武士遠藤為成(阿 房日得上人)の開基と伝え、初め金井新穂にあったが、嘉暦元年(1326)雑太城主本間

 佐渡配流の時、     日得は深夜ひそかに食物を運び、その危難を救った話は有名である。
 日蓮真筆の曼荼羅、消息文、日野資朝の写経等を蔵するほか、境内にある文政8年(1825)  五重の塔  境内社 である。
  *大部古くなって読めない所が多くなっていますね~


 仁王門を潜ると、右手に五重塔です


 国指定重要文化財 妙宣寺五重之塔の石柱です

 参道は直角に曲がります五重塔説明版です
    妙宣寺五重塔 一基
     新潟県佐渡市阿仏坊
     指定 昭和61年12月21日
 文永8年(1271)佐渡に配流された日蓮聖人に帰依した阿仏坊日得上人を開基とする。
 この五重塔は、文政10年(1827)佐渡相川の棟梁茂三右衛門父子によって建立されたもので、高さ23.1m、初重の総間3.49mの小型の塔で、塔身部が長い。
 この塔は、現在残る江戸時代に建てられた数少ない五重塔の一つで、比較的保存がよく、全体の比率や五重軒の肩垂木などに時代の特色があらわれており、組物に和洋と禅宗様の肘木を混用し、心柱は杉の一本造りで、心柱と四天柱を各層で緊結するなど、独自の手法も見られる。
   平成21年11月
    文部科学省
    本山 阿仏坊妙宣寺

 南側から

 南西側から

 離れてみました

 境内には深い堀があります

 説明版です
   雑太(さわた)城跡
 雑太郷地頭本間氏の戦国期の城跡である、
 築城の時期は6世紀前半ころと考えられ、三郭から成り、現在も土塁・空堀の一部がみられる。
 天正17(1589)年、越後上杉景勝の佐渡支配により、城は廃され、上杉氏代官直江兼続によって城地は妙宣寺に与えられ、現在に至っている。

 山門です

 門を潜ると右手に、日野資朝の墓があります

 説明版です 
   日野資朝の墓
 正徳2年(1325)、後醍醐天皇の側近の日野資朝は倒幕計画が発覚し、鎌倉幕府執権北条高時により、佐渡に流された。
 壇風城に幽閉されること7年、元弘2年(1332)に城主本間氏     資朝を処刑    荼毘にふされ    野山へ葬ったと伝えられる。
 資朝は明治8年、真野宮に合祀され、同17年に従二位を贈られた。
 *こちらも読めない所が多くなっています

 境内には多くの建物が並びます、まずは番神堂です
 法華経守護と当山鎮護の為に各善神を奉祀する。
 1,妙見大菩薩
  北極星の化身といわれ日本国総鎮護の善神
 1,三十番神
  日本国内の主神三十体で毎日の当番守護神
 1、清正公
  法華経信者の代表として昔から諸人の信仰を集めている


 宝蔵です

 祖師堂です、宝蔵・本堂とともに庫裏から廊下で繋がっています

 案内版です
  祖師堂
 明治13年再建(1880)6間(11m)四面三方縁造り、宗門最古の宗祖御木像(文永11年(1274)在銘)並びに、当山開山阿仏坊日得上人、千日尼、捨身供養の御木像を安置する


 本堂です

 案内版です
   本堂
 文久3年再建(1863)12間(22m)四面の大堂で島内最大の堂宇。江戸期本堂建築の様式を今に残している。


 境内右手の庫裏前にはクスノキの大木です


 庫裏前の池にはスイレンとショウブが綺麗に咲いていました

 では、次へ行きましょう
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