羽茂飯岡地区は、佐渡市役所の南約17kmのところ
国道350号線を南へ、小村簡易郵便局を過ぎて
県道287号線(遠回り)の一つ先(近道)を斜め左へ坂道を下って行きます
道なりに進んで、遠回りしてきた県道287号線に出ました
坂を下りながら東へ、羽茂川を渡ってすぐを左(東)へ県道81号佐渡縦貫線です
羽茂川沿いを道なりにすすんで、県道が北へ進むと、また羽茂川を渡り返すところで
赤い橋の先に赤い鳥居です
そのまま進んで境内駐車場へ入りました
境内の赤鳥居です
佐渡一ノ宮 度津神社です
由緒石碑です
度津(わたつ)神社 御由緒
延喜式神名帳(927年)に記載されている神社を式内社と言い、当時佐渡国には9社あり、その第一の宮として古来より一ノ宮と称し、格式の高い神社でありましたが、文明2年(1470年)羽茂川の大洪水により、社地・古文書等ことごとく流失した為その由緒縁起など詳かでありません。
その後現在の地に御遷座上げたもので、明治4年国弊小社に列せられました。現在の御神殿は宝永6年(1709年)に、幣殿・拝殿は昭和12年の御造営によるもので、全部台湾産の檜が用いられております。
御祭神 五十猛命
素戔嗚尊の御子にして父神に似て勇猛なことから名付けられました。
初め天降ります時、樹木の種子を持ち降り、父神と共に朝鮮に渡り、のち日本に帰り、全土にわたり植林を奨められたので、皆青山うつ蒼として繁茂し為に「植林の神」として崇められました。
そして宮殿・家屋・舟・車から日用器具の材料に至るまで、この神の御功績に依るところから「有功の神」とも申します。
又、人々に造船・航海の術を授けられ各地に港を開かれたことから、御社号を度津と称しております。尚、植林と共に道を拓き、車の普及に当られた御神徳により、今は海上・陸上の交通安全の守護神として全島民から信仰されております。
主な祭日
例祭 4月23日
歳旦祭 1月 1日
全島交通安全祈願祭 4月21日
全島海上安全大漁満足祈願祭 4月24日
新嘗祭 11月23日
佐渡百選です
手水舎です
橋を渡ります
拝殿です
一段高い所に本殿です
拝殿南西側の杉の大木です
拝殿南東側の杉の大木です
駐車場脇の境内には亀岩です
末社 八幡宮の石碑です
度津神社拝殿の東側に八幡宮です
また、境内鳥居南側には植物園です
案内図です
日帰り温泉、クアテルメ佐渡もあります
では、次へ行きましょう
国道350号線を南へ、小村簡易郵便局を過ぎて
県道287号線(遠回り)の一つ先(近道)を斜め左へ坂道を下って行きます
道なりに進んで、遠回りしてきた県道287号線に出ました
坂を下りながら東へ、羽茂川を渡ってすぐを左(東)へ県道81号佐渡縦貫線です
羽茂川沿いを道なりにすすんで、県道が北へ進むと、また羽茂川を渡り返すところで
赤い橋の先に赤い鳥居です
そのまま進んで境内駐車場へ入りました
境内の赤鳥居です
佐渡一ノ宮 度津神社です
由緒石碑です
度津(わたつ)神社 御由緒
延喜式神名帳(927年)に記載されている神社を式内社と言い、当時佐渡国には9社あり、その第一の宮として古来より一ノ宮と称し、格式の高い神社でありましたが、文明2年(1470年)羽茂川の大洪水により、社地・古文書等ことごとく流失した為その由緒縁起など詳かでありません。
その後現在の地に御遷座上げたもので、明治4年国弊小社に列せられました。現在の御神殿は宝永6年(1709年)に、幣殿・拝殿は昭和12年の御造営によるもので、全部台湾産の檜が用いられております。
御祭神 五十猛命
素戔嗚尊の御子にして父神に似て勇猛なことから名付けられました。
初め天降ります時、樹木の種子を持ち降り、父神と共に朝鮮に渡り、のち日本に帰り、全土にわたり植林を奨められたので、皆青山うつ蒼として繁茂し為に「植林の神」として崇められました。
そして宮殿・家屋・舟・車から日用器具の材料に至るまで、この神の御功績に依るところから「有功の神」とも申します。
又、人々に造船・航海の術を授けられ各地に港を開かれたことから、御社号を度津と称しております。尚、植林と共に道を拓き、車の普及に当られた御神徳により、今は海上・陸上の交通安全の守護神として全島民から信仰されております。
主な祭日
例祭 4月23日
歳旦祭 1月 1日
全島交通安全祈願祭 4月21日
全島海上安全大漁満足祈願祭 4月24日
新嘗祭 11月23日
佐渡百選です
手水舎です
橋を渡ります
拝殿です
一段高い所に本殿です
拝殿南西側の杉の大木です
拝殿南東側の杉の大木です
駐車場脇の境内には亀岩です
末社 八幡宮の石碑です
度津神社拝殿の東側に八幡宮です
また、境内鳥居南側には植物園です
案内図です
日帰り温泉、クアテルメ佐渡もあります
では、次へ行きましょう