ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県佐渡市、松ヶ崎「松前神社のケヤキ」です!!

2022-07-16 19:06:00 | 巨樹・大木
 松ヶ崎地区は、佐渡市役所の南西約15kmのところ

 「おけやき」から東へ進むと松前神社が左手に南向きで鎮座します

 境内入り口の手前道路脇に車を止めさせいて頂きました


 境内入口鳥居です

 郷社 松前神社です

 水盤です

 境内南西端のケヤキの大木です


 拝殿です


 本殿です

説明版です
  松前神社
 平安期以前は、ワタリの神であったと推定されている。
 いつの時分か春日大明神(奈良にある春日大社の祭神・藤原氏の氏神)を祭神にするようになった。
 古い社殿は慶長14年に佐渡奉行の大久保長安が再建した。現在の社殿は木島豊治が主唱し十数年後の昭和2年9月に落成した。


 西側の境内社は太神宮です

説明版です
  太神宮
 神話では伊弉諾命が日向(宮崎県)の阿波岐原の海で禊をして、左の目を洗った時にうまれたのが、天照皇大とされている。
 その後、高天原を支配し稲作、養蚕、織物などを行い、最高大神として八百万の神々を統治した。
 天岩戸神話は、素戔嗚尊の乱暴狼藉を恐れた大神が、天岩戸へ身を隠す有名な話がある、日の神と仰がれ伊勢の皇大神宮に祀り、皇室並びに国民の崇敬の中心とされた。

 東側の境内社です


 境内南東端に目的のケヤキです

 松崎会館の玄関前に立っています

 西側から

南側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

東側から

南側の道路へ出て南東側から見ました


説明版です
   松埼駅跡
 古代の駅は、地方と中央との緊急連絡を図るためのもので、大化の改新(645年)を経て、大宝律令(701年)により30里(古里・現在約16km)ごとに駅を置く事が定められました。
 佐渡国は、北陸道の末端につながり、越後の渡戸(現在の寺泊付近)から佐渡の松埼駅(古名・現在現在松ヶ崎)・三川駅・雑太駅の三駅が置かれました。松埼駅には、駅馬5疋のほか、舟2隻が置かれていました。
 佐渡の国津(公の港)であった松埼駅からは、公の使者や貢納物が運ばれていました。これは本土との最短距離であるという航海上の利点がありました。さらに、潮流の影響により作られて砂嘴上で、船底の平な古代の船が岸につきたすいという地理的にも利便性が高かったためと考えられます。
 明治初期の頃まで番所が置かれ、海上交通の要所としてたいへんにぎわいました。
 現在、この付近は鴻と呼ばれ、「国府の瀬」の当て字であるといい往時が偲ばれています。
 (注・「延喜式」によれば、「松埼。三川。雑太各五疋。通充傳馬。」とある。)



 帰り際に南側道路から見ました

では、赤泊に戻りましょう
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新潟県佐渡市、松ヶ崎「おけやき」です!!

2022-07-16 06:40:00 | 巨樹・大木
 日蓮は承久4年(1222)に安房で生まれ弘安5年に武蔵(現池上本門寺)で亡くなった、鎌倉仏教の日蓮宗の宗祖です

 文永8年(1271)鎌倉での宗教活動を理由に佐渡に流されます

 初めに配流の地は「塚原三味堂」墓の中の粗末な小屋だったそうです

 文永9年(1272)初夏に国中平野の西の一の谷(現実相寺)に移ります

 文永11年(1274)赦免となるまで佐渡での厳しい生活をする中で多くの著作を残したといいます

では、

 松ヶ崎地区は、佐渡市役所の南東約14㎞のところ

 松ヶ崎へ国中平野から行くのであれば、県道181号線を使うことになるでしょう

 今回は、大椋神社から更に北東へ県道45号佐渡一周線を進みます

 多田地区で、県道181号線と出会ってさらに1.5km進みました

 赤泊から海岸線沿いに約10kmで松ヶ崎に入ります、

県道の西側を通る道路に

「おけやき」入口です

古いおけやきの石柱もあります

ここを入って行きます

正面に「おけやき」という欅の巨木です

南側から、多くの枝が枯れてしまっています

説明版です
  おけやき
 文永8年(1271)10月28日、日蓮聖人が松ヶ崎にご上陸後、この欅の樹洞(空洞)で三日三晩過ごされたと言い伝えられている。
 現在の欅は二代目で、昭和63年(1988)の環境庁(当時)による調査には「樹齢300年以上、幹周り6.83m」と記録されている、
    日蓮宗

南西側から

南東側から

東側から見ました

石碑です
  おけやき平成復興事業記念碑
 「おけやき」は文永8年10月28日この地に着岸された日蓮聖人が、氏神春日明神に導かれて夜を明かされた欅の木である。
 その折、おけやきの所有者である老婆が三日三晩聖人に粥を供養した。その御礼にと聖人は、自らの血で書かれた「血曼荼羅」と、現在受け継がれる「お鍋」を老婆に授けたと伝わる。
 おけやきはこの老婆を先祖とする、当地「池田四五右衛門」家の所有として、代々大切に護持されてきた。代替わりを経たと伝わるが樹齢は不明である。昭和63年環境庁(当時)による巨樹巨木林調査では、樹周5.1m、樹高20mと計測されている。しかし、この頃から樹勢の衰えを危惧されるようになった。
 こうしたおけやきの回復を願って、平成20年1月地元有志が「おけやきを守る会」を結成、おけやきの治療と周辺整備のために募金活動を興した。
 これに御賛同いただいた松ヶ崎地区御在住ならびに御出身の方々を始めとして、全国各地の法華檀信徒様・御寺院様らの御篤志により一年余りという短期間でその目的を成就するに至った。
 ここに御志納いただいた方々に謹んで感謝申し上げるとともに、日蓮聖人御逗留以来、おけやきを護持丹精された多くの先人の労苦を偲び、日蓮聖人佐渡の在島の第一歩を記した霊蹟として、松ヶ崎地区自然遺産のシンボルとして、後世に護り伝えていくことを誓うものである。
   平成21年7月吉日
   おけやきを守る会
*傷みが進んでいるように感じました、これからも長生きしていただきたいと思います。 

では、次へ行きましょう
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