今回は、佐渡の歴史を学びに「佐渡歴史伝説館」に来ました
先日、石抱きの梅」と「真野御陵」に来た時に前を通りました
では、
「佐渡歴史伝説館」の駐車場へ入りました
佐渡歴史伝説館への入り口です
案内図です、まずは西側の「真野宮」へ行きましょう
真野宮の社號標です
前の道路から真野宮参道を見ました
参道の橋を渡ります
案内板です
真野宮・順徳天皇行在所遺跡 入口
真野宮は順徳天皇を奉祀し、菅原道真・日野資朝を配祀してある。
天皇は在島22年、仁治3年45歳で真野宮(真輪寺)で崩御された。
大正9年現社殿造営、昭和17年の七百年祭に神域を拡張した。
手水舎です
山門です
拝殿です
本殿です
境内の松です、皇太子殿下(現・上皇様)御参拝記念樹です
北西側から
本殿北東側に順徳天皇行在所跡があります、職員の方々が草刈り作業をされていました
文化財の一石五輪塔です、平たい形の五輪塔は珍しいですね~
右下には、古墳の石室があります
説明版です
真野町三貫目沢西古墳(えぞ塚)
佐渡の古墳は真野町大須付近に25基ある。
近年の開発で多く破壊されるのを恐れ、真野宮境内に一基を移築したものである。
佐渡の古墳は横穴式石室の円墳である。
出土器は、人骨、直刀、鉄・、土器などがある。
6世紀なかば「えぞ」と呼ばれた人達がこの地に渡来し築かれたという。
では、「佐渡歴史伝説館」へ行きましょう
佐渡歴史伝説館への通路にケヤキの大木です
南側から見ました
西側が入口です
右手に広い池があります
池際に棒高跳び?をする人形です・・・阿新丸(くまわかまる)です
今から660年程前、阿新丸の父日野資朝は北条高時を討とうとして失敗、佐渡に流され、本間山城兵尉奉宣に監禁された。
13歳の阿新丸は京都より佐渡を尋ね父への対面を頼んだが叶わず、返事は変わり果てた父の首であった。
ある霧の晩、父の仇と本間山城守の寝所に忍び、一刀のもとに切りすてたが、それは父の仇ではなく、直接父を切った本間三郎であった。
城内は大騒ぎとなったが、阿新丸は竹の反動を利用して堀を飛び越えやっと京都に帰ることが出来た。
後に後村上天皇につかえて中納言にに出世したという。
入口では、コロナ対策です
まずは、順徳上皇の第一皇女「慶子女王」です、館内をアンドロイドが、順番に場所を変えながら説明していきます
上皇が出て来ますよ
黒木御所の時の情報からすると、この様な綺麗な姿だったかわかりませんね~
次は日蓮処刑の場面です、雷が起こって処刑が中止になったとか
日蓮の塚原問答の場面です
次は観世元清(世阿弥)の能を舞うシーンです
次は、おじいさんとおばあさんが囲炉裏端で話をします、前に子供が聞き入っていますが・・・人形でした
話に合わせて、右手の紙芝居のようなステージが場面場面で表現されていました
間にまだまだ場面が隠れていますよ
佐々木象堂の工芸展示があります、昭和天皇在位60年記念切手の図案にもなった「瑞鳥」です
お昼時になって、レストランで昼食「ブリカツ丼」にしました
観光バスで、大勢の観光客が集まって来ましたので、早々に退却しました
では、次へ行きましょう
先日、石抱きの梅」と「真野御陵」に来た時に前を通りました
では、
「佐渡歴史伝説館」の駐車場へ入りました
佐渡歴史伝説館への入り口です
案内図です、まずは西側の「真野宮」へ行きましょう
真野宮の社號標です
前の道路から真野宮参道を見ました
参道の橋を渡ります
案内板です
真野宮・順徳天皇行在所遺跡 入口
真野宮は順徳天皇を奉祀し、菅原道真・日野資朝を配祀してある。
天皇は在島22年、仁治3年45歳で真野宮(真輪寺)で崩御された。
大正9年現社殿造営、昭和17年の七百年祭に神域を拡張した。
手水舎です
山門です
拝殿です
本殿です
境内の松です、皇太子殿下(現・上皇様)御参拝記念樹です
北西側から
本殿北東側に順徳天皇行在所跡があります、職員の方々が草刈り作業をされていました
文化財の一石五輪塔です、平たい形の五輪塔は珍しいですね~
右下には、古墳の石室があります
説明版です
真野町三貫目沢西古墳(えぞ塚)
佐渡の古墳は真野町大須付近に25基ある。
近年の開発で多く破壊されるのを恐れ、真野宮境内に一基を移築したものである。
佐渡の古墳は横穴式石室の円墳である。
出土器は、人骨、直刀、鉄・、土器などがある。
6世紀なかば「えぞ」と呼ばれた人達がこの地に渡来し築かれたという。
では、「佐渡歴史伝説館」へ行きましょう
佐渡歴史伝説館への通路にケヤキの大木です
南側から見ました
西側が入口です
右手に広い池があります
池際に棒高跳び?をする人形です・・・阿新丸(くまわかまる)です
今から660年程前、阿新丸の父日野資朝は北条高時を討とうとして失敗、佐渡に流され、本間山城兵尉奉宣に監禁された。
13歳の阿新丸は京都より佐渡を尋ね父への対面を頼んだが叶わず、返事は変わり果てた父の首であった。
ある霧の晩、父の仇と本間山城守の寝所に忍び、一刀のもとに切りすてたが、それは父の仇ではなく、直接父を切った本間三郎であった。
城内は大騒ぎとなったが、阿新丸は竹の反動を利用して堀を飛び越えやっと京都に帰ることが出来た。
後に後村上天皇につかえて中納言にに出世したという。
入口では、コロナ対策です
まずは、順徳上皇の第一皇女「慶子女王」です、館内をアンドロイドが、順番に場所を変えながら説明していきます
上皇が出て来ますよ
黒木御所の時の情報からすると、この様な綺麗な姿だったかわかりませんね~
次は日蓮処刑の場面です、雷が起こって処刑が中止になったとか
日蓮の塚原問答の場面です
次は観世元清(世阿弥)の能を舞うシーンです
次は、おじいさんとおばあさんが囲炉裏端で話をします、前に子供が聞き入っていますが・・・人形でした
話に合わせて、右手の紙芝居のようなステージが場面場面で表現されていました
間にまだまだ場面が隠れていますよ
佐々木象堂の工芸展示があります、昭和天皇在位60年記念切手の図案にもなった「瑞鳥」です
お昼時になって、レストランで昼食「ブリカツ丼」にしました
観光バスで、大勢の観光客が集まって来ましたので、早々に退却しました
では、次へ行きましょう