2022年4月6日、お参りしました。
由緒書より「往昔よりこの地では八幡社三座(上宮・中宮・下宮)が祀られていましたが、当社はこの中の上宮にあたります。当社の創祀年代は定かではありませんが、天保年間(1661~)銘の石灯籠が据えられていることから江戸初期にはほぼ現在の境域が定められていたと考えられます。1911(明治44)年には中郷の地に祀られていた中宮がこの上社に遷され現在に至ります。(下宮は現、東明八幡神社)また1961(昭和36)年の社名変更までは『應神天皇神社』と尊称されておりました。当社は別称『箒の宮』と称えられるが、境内社『八幡社』御祭神、神功皇后さまの御神徳を頂き、安産祈願に参拝する願人に竹箒を授与することから、その名が生じたものである。箒授与の由来は定かではないが、皇后さま御身籠りの時期でありながら、三韓征討の大事をなされた雄々しい御心を手本として、妊娠中といえども主婦の勤めを疎かにせずといった教えを、箒に託したものと考えられる。土地の古老よりは、陣痛の生じたる時、宮より箒を借り受け、その箒で腹を撫でると安産となり、また無事出産の暁には、新たに箒を調製し、借りた箒と併せて奉納するなどの伝承が語り継がれるが、何れせよ、民俗的にも稀有な神事は、地元民のみならず広く知られ、信仰を集めている。」
神戸市灘区大和町4-5-5
map
箒の宮
社標
鳥居
手水舎
御神木(樹齢約300年の榎)
狛犬
拝殿
本殿
枝垂桜
稲荷社
末社
八幡社
史料館
願い石
子安いぬ
由緒書より「往昔よりこの地では八幡社三座(上宮・中宮・下宮)が祀られていましたが、当社はこの中の上宮にあたります。当社の創祀年代は定かではありませんが、天保年間(1661~)銘の石灯籠が据えられていることから江戸初期にはほぼ現在の境域が定められていたと考えられます。1911(明治44)年には中郷の地に祀られていた中宮がこの上社に遷され現在に至ります。(下宮は現、東明八幡神社)また1961(昭和36)年の社名変更までは『應神天皇神社』と尊称されておりました。当社は別称『箒の宮』と称えられるが、境内社『八幡社』御祭神、神功皇后さまの御神徳を頂き、安産祈願に参拝する願人に竹箒を授与することから、その名が生じたものである。箒授与の由来は定かではないが、皇后さま御身籠りの時期でありながら、三韓征討の大事をなされた雄々しい御心を手本として、妊娠中といえども主婦の勤めを疎かにせずといった教えを、箒に託したものと考えられる。土地の古老よりは、陣痛の生じたる時、宮より箒を借り受け、その箒で腹を撫でると安産となり、また無事出産の暁には、新たに箒を調製し、借りた箒と併せて奉納するなどの伝承が語り継がれるが、何れせよ、民俗的にも稀有な神事は、地元民のみならず広く知られ、信仰を集めている。」
神戸市灘区大和町4-5-5
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箒の宮
社標
鳥居
手水舎
御神木(樹齢約300年の榎)
狛犬
拝殿
本殿
枝垂桜
稲荷社
末社
八幡社
史料館
願い石
子安いぬ
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