2015年1月15日、行きました。あいにくの雨で大変でした。
掌美術館
高台寺と関連各寺院に収蔵されてきた名品を中心に高台院ゆかりの品々を展示公開しています。
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圓徳院
高台寺の塔頭で、慶長10(1605)年、豊臣秀吉の没後に正室のねねが、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を移築して住んだ。ねねは77歳で没するまでの19年間をこの地で余生を送り、この地は北政所の終焉の地となった。
長屋門
庫裏
秀吉公好みの手水鉢
方丈
庭園
北庭(国名勝指定)
パンフレットより「もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的庭園のひとつです。賢庭作で後に小堀遠州が手を加えた。池泉回遊式だが枯山水となっている。枯滝石組を構成し、多数の巨岩大岩がふんだんに置かれている庭は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さである。」
掌美術館
高台寺と関連各寺院に収蔵されてきた名品を中心に高台院ゆかりの品々を展示公開しています。
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圓徳院
高台寺の塔頭で、慶長10(1605)年、豊臣秀吉の没後に正室のねねが、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を移築して住んだ。ねねは77歳で没するまでの19年間をこの地で余生を送り、この地は北政所の終焉の地となった。
長屋門
庫裏
秀吉公好みの手水鉢
方丈
庭園
北庭(国名勝指定)
パンフレットより「もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的庭園のひとつです。賢庭作で後に小堀遠州が手を加えた。池泉回遊式だが枯山水となっている。枯滝石組を構成し、多数の巨岩大岩がふんだんに置かれている庭は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さである。」
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