旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

滝口寺(入道と横笛の悲恋の寺)

2014-08-23 16:11:54 | 京都
2014年8月20日、お参りしました。
説明書より『滝口入道と横笛の悲恋の寺、滝口寺は、往生院三宝寺といった。念仏房によって創建された「往生院」は、念仏の道場として栄えその境内地も山上から広い地域に渡って数々の坊があったと伝えられます。その後応仁の乱等の数々の戦乱により変遷を経て、後、祇王寺と三宝寺が浄土宗の寺として残った。明治維新、廃寺となり、祇王寺の再建に続いて当寺も再建され、故佐佐木信綱博士が、小説「滝口入道」にちなんで「滝口寺」と命名されました。「平家物語」維盛高野の巻で滝口入道と横笛の悲恋物語が挿入されています。滝口入道はもと重盛の侍でその名を斎藤滝口時頼といいます。」入道は横笛に恋心を抱いたが時頼の父に叱責され、仏門に入り、そして横笛も自身の心を伝えたいと寺を訪れたが叶えず、尼僧になり、それぞれが仏道修行をしたとのことです。
祇王寺の奥の細い階段を登ったところです。少し判りにくい場所ですね。
拝観料300円です。
京都市右京区嵯峨亀山町10-4
map

横笛歌石
横笛が指を切って血で歌をかいて帰った石
「山深み思い入りぬる柴の戸のまことの道に我れを導け」

本堂

滝口入道と平家一門の供養塔



新田義貞公首塚

勾当内侍供養塔
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

檀林寺・嵯峨天皇の皇后のゆかりの寺

2014-08-23 15:12:15 | 京都
2014年8月20日、お参りしました。
説明書より「この寺は、平安時代の始めに嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(786~850)が創立した由緒深い寺です。皇后は容姿が美しく、また学芸を愛されました。皇后は橘氏の学校として蓮華所精舎を設けました。そして深く仏教を信仰し、嵯峨の地に壮大な寺院を営んだ。これが檀林寺です。檀林寺は官営寺院となり、その塔頭としては正金剛院をはじめ12坊をかぞえたといわれています。皇后は、当時来日した義空という中国の僧侶を師とした。これがこの寺で禅が唱えられた始めです。檀林寺こそは平安初期の仏教と文化の一中心です。皇后のおくり名を檀林皇后という。皇后の御陵は嵯峨陵として下六丁峠にあります。本堂は日本仏教の伝統を十分生かして構成されています。本堂内と宝物館である霊宝館には皇后のゆかりの品をはじめ日本および中国の仏教美術の数々があります。」
拝観料400円です。
京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町2-10
map
山門



本堂
「重層、宝形造り、本瓦葺で、法楼風を残した特殊な構造の典型です。曼荼羅図の法宝閣を基本に庇も浄土観をただよわす構図は、まさに宝蔵造りそのものです。これは正面下層の中央部を截り一段上へ屋根を高く変化を見せ、裳階をつけた入母屋造りの特色をとどめた連子窓にみられます。その上三層楼屋根は勾欄を施し、軒は短く、頂峯の露磐にとまる瑞鳥は天空に向いて経文を唱える雄姿は、輝かしく堂々たる造形です。」
堂内には、檀林皇后をかたどる准胝観音菩薩や一木彫の龍、円覚大師像、弘法大師像、義空上人像、飛天人図、夢違観世音菩薩、玄宗三蔵法師などを展示しています。

八角形燈籠

櫓形燈籠(桃山時代)

供養塔

水子地蔵

石碑

ひょうたん池(森青蛙が生息する)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵯峨鳥居本地区(重要伝統的建造物保存地区)

2014-08-23 14:17:54 | 京都
2014年8月20日行きました。7
説明板より「この地区は、嵯峨野の西北、愛宕山の麓に位置し、愛宕街道沿いに野仏の並ぶ三叉路から愛宕神社一之鳥居にかけて、延長650m、面積約2.6haにわたる地域です。当地区は室町末期頃、農林業や漁業を主体とした集落として開かれたという、その後江戸中期になると愛宕詣での門前町としての性格も加わり、江戸末期から明治、大正期にかけてこの愛宕街道沿には農家、町家のほかに茶店なども建て並ぶようになった。当地区では化野念仏寺を境として、愛宕神社一之鳥居に近い上地区に茅葺きなどの農家風の建物が建ち並び、下地区では瓦葺きでむしこ窓や京格子、ぱったり床几などをもうけた町家風の建物が建ち並んでいます。当地区の特色は、このように農村的景観と都市的景観が共存し、しかも嵯峨野の美しい自然と一体となって風趣あるたたずまいを示しているところにあります。」
map

将軍地蔵大菩薩









長い眉毛のだるまさん

あだしのまゆ村







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あだしの念仏寺・合掌

2014-08-23 14:10:16 | 京都
2014年8月20日、お参りしました。
説明書より「寺伝によれば、化野の地にお寺が建立されたのは、約1200年前、弘法大師が五智如来寺を開創され、野ざらしとなっていた遺骸を埋葬したと伝えられています。その後、法燃上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属します。本尊阿弥陀仏座像は湛慶の作、参道の釈迦・彌陀二尊の石仏と共に鎌倉彫刻の秀作とされています。現在の本堂・庫裏は、正徳2年(1712)11月、岡山より来た寂道和尚によって中興されたものです。」
『あだし野は化野と記す。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往生する願いなどを意図しています。この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所です。』
拝観料は500円です。
京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17
map
参道

境内

虫塚

石碑



仏舎利塔の鳥居

地蔵さん

菩薩

本堂

供養塔

みず子地蔵


竹林

角倉素庵の墓
「角倉素庵(1571~1632)は、保津川の開削や高瀬川の開通、朱印船貿易など数々の大事業に携わり、徳川家との関係も深め、淀川過書船も支配し角倉家の盤石を築いた。また、朱子学や和歌などの文化教養面でも才能を発揮しました。」

六面体地蔵
大光明地蔵、大定智悲地蔵、大徳清浄地蔵、清浄無垢地蔵、大堅固地蔵、大清浄地蔵の6体が周りに彫られています。

地蔵堂

寺務所

延命地蔵尊

鐘楼、奥の西院の河原は撮影禁止。

境内







守護神社

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛宕念仏寺・1200体の羅漢さん

2014-08-22 16:51:28 | 京都
2014年8月20日、お参りしました。
説明書より『当山は稱徳天皇(764-770)の開基により山城国愛宕郡に愛宕(あたぎ)寺として建立された。平安期の初め、鴨川の洪水により堂宇が流出したため、天台宗の僧、千観 (918~984)によって再興された。これより天台宗比叡山の末寺となり等覚山愛宕院と号した。また千観は生涯仏名を唱えて絶えることがなかったので、世に念仏上人ともいわれ、当寺を愛宕念仏寺と称するようになった。それから後、大正11年堂宇の保存とあたご山との信仰的な関係から、当地に移築された。昭和56年、寺門興隆を祈念して、境内を羅漢の石像で充満させたいと発願し、10年後の平成3年11月に「1200羅漢落慶法要」を厳修しました。1200人の一般の参拝者の手によって彫られた羅漢さんが訪れる人々の心を和ませてくれます。』
拝観料は300円です。
京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
map
仁王門
江戸中期の門で、仁王像は鎌倉時代に造られ、京都市指定文化財です。

羅漢洞

参道

三宝の鐘
仏法僧の三鐘としてその音律によって仏の心を自然界に伝えています。ゴーン、ゴン、ゴーーンと鳴らしました。合掌。

供養塔

ふれあい観音堂
手で触れて拝むためにつくられた観音さまです。触れることによって人々の心身の痛みを癒してくださいます。

地蔵堂
平安初期に造られた火除地蔵菩薩坐像が祀られています。

本堂(重要文化財)
方五間、単層入母屋造り、内部の天井は小組格天井、本尊の位置は二重折上げ格天井、鎌倉時代の美しい曲線をとどめています。

多宝塔

様々な表情の羅漢さんです。











大和尚供養塔

虚空蔵菩薩

天河大弁財天

地蔵さん

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

覚勝院

2014-08-22 15:45:31 | 京都
2014年8月20日、お参りしました。
真言宗大覚寺派で、大覚寺の塔頭寺院です。1346~70年(正平年間)の建立とつたえられています。本尊は十一面観音です。
京都市右京区嵯峨大覚寺門前登り町2
map




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大覚寺・嵯峨御所

2014-08-22 15:42:35 | 京都
2014年8月20日、お参りしました。
説明書より『弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山で、正式には旧嵯峨御所大覚寺門跡と称し、嵯峨御所とも呼ばれます。平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院です。嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876)です。弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られています。明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた格式高い門跡寺院です。いけばな発祥の花の寺でもあり、「いけばな嵯峨御流」の総司所(家元)でもあります。』
参拝料500円です。
京都市右京区嵯峨大沢町4
map
表門前の石碑



華供養塔

表門

供待

式台玄関

中門

内部



宸殿(重要文化財)
「江戸時代の初め延宝年間(1673~81)に後水尾天皇より皇后東福門院和子(徳川2代目将軍秀忠の娘)が使用していた女御御所の宸殿を賜ったものです。入口の格子戸は蔀といい、その留金部分は蝉の装飾があります。襖絵は狩野山楽によって描かれた牡丹・紅白梅・待つ・鶴等があり、桃山時代の代表的な作品です。」















前面の庭には、一面に白川砂が敷かれ大海を表しています。真ん中部分が石舞台、正面が五大堂で江戸時代中期の創建、現在の大覚寺の本堂で不動明王を中心とする五大明王を安置しています。左が安井堂です。

勅使門
「嘉永年間(1848~54)の再建、門は四脚門とし、屋根は切妻造り、正面および背面に軒唐破風を付け、全体は素木造りだが唐破風の部分のみ漆を塗り、金鍍金の飾りを施しています。」

御影堂

正寝殿(重要文化財)
「ここには12の部屋がある書院造り、上段の「御冠の間」は13世紀後半、鎌倉時代に後宇多法皇が上皇として院政を執られた御座所です。またここは明徳3年(1392)、室町時代の初め永年の南北朝争乱を治めるため、南朝の後亀山天皇と北朝の後小松天皇による講和が成立した所です。」



















霊明殿



庭園







御影堂室内





石舞台

茅の輪くぐり

大沢池

お坊さんが草むしりしていました。暑いのにご苦労様です。合掌。

勅封心経殿

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天龍寺(後醍醐天皇の菩提寺)世界遺産

2014-08-22 13:16:49 | 京都
2014年8月20日、お参りしました。
臨済宗天龍寺派大本山で、山号は霊亀山、正しくは天龍資聖禅寺です。
説明書より『1339年(暦応2)、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した。この地は、檀林皇后(嵯峨天皇の后)が開創した檀林寺のあったところで、のちに後嵯峨上皇の仙洞御所・亀山殿が営まれた。後醍醐天皇はここで幼少期を過ごした。夢窓国師は堂塔建立の資金調達のため、「天龍寺船」による中国・元との貿易を進言し、1343年(康永2)にほぼ七堂伽藍が整った。夢窓国師の門流は隆盛し、天龍寺は京都五山第一位の寺格を誇った。創建以来、天龍寺は1356年(延文1)をはじめ8回の大火に見舞われ、現代の堂宇の多くが明治期の再建です。夢窓国師による庭園(曹源池)は、国の史跡・特別名勝第一号に指定、1994年世界文化遺産に登録されました。』
拝観料、庭園は500円、諸堂は100円です。
京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
map
総門

中門

勅使門

蓮池

法堂

回廊

庫裏





大方丈





小方丈

多宝殿

内部





























庭園



























































鬼瓦



硯石

石碑

東向大黒天









三秀院











壽寧院





等観院







永明院







八幡大菩薩





石碑





飛雲観音

松巌寺





慈済院



水福壽大弁財天





弘源寺









竹林の小道


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法輪寺・嵯峨の虚空蔵さん

2014-08-21 16:47:13 | 京都
2014年8月20日、お参りしました。
阪急嵐山駅の近くです。
説明書より『真言宗五智教団の京都本山で、奈良時代に入って和銅6年(713)、元明天皇の勅願により行基菩薩に命じて堂塔を建てられました。その寺の名は「木上山葛井寺」と呼ばれ、国家安穏、万民の繁栄と五穀豊穣、産業の興隆を祈る勅願所となされました。天長6年(829)に、弘法大師(空海)の弟子・道昌が中興して、虚空蔵菩薩を安置し、貞観16年(874)には伽藍が整えられ、寺号を「葛井寺」から「法輪寺」に改めた。平安時代には清少納言の「枕草子」の寺の段において、代表的な寺院として挙げられるなど、多数の参詣で隆盛した。その後、応仁の乱や蛤御門の変で兵火を受けたが、その都度再興した。本尊虚空蔵菩薩は、「嵯峨の虚空蔵さん」として親しまれ、智慧と福徳を授かるため、数えの13歳の男女が全国から「13まいり」に訪れる。平安時代には清和天皇が廃針を納めた針堂を建立したことから、針供養が行われるほか、惟喬親王の故事により、漆寺としても知られる。また、境内には電気・電波守護の電電宮社が祀られている。』
京都市西京区嵐山虚空蔵山町68
map
参道入り口の石碑



野生の猿でしょうか。他に数匹が木の上にいました。



山門

電電塔

電電宮



参道

獣魂供養塔

本堂



虎(右)

牛(左)

羊さん

多宝塔

針供養塔

鐘楼

うるしの碑

石碑

展望台から見た景色です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月讀神社・松尾大社の摂社

2014-08-21 15:27:58 | 京都
2014年8月20日、お参りしました。
当社は松尾大社の摂社で、「貞観元年(859)正二位、延喜六年(906)正一位勲一等の神階に進まれ、延喜式では名神大社に列しています。元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。文献によれば、顕宗3年(487)阿閉臣事代が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊がよりついて託宣をしたので、これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田の地に社を創建したとされ、斎衡3年(856)に松尾山南麓に移ったと伝えます。境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に御舟社、聖徳太子社などから構成されています。全国屈指の名社ですが、当松尾大社の勢力圏内にあるため、古くからこの松尾大社の摂社とされてきました。」
御祭神は月読尊です。
松尾大社から400mほど南に位置します。
京都市西京区松室山添町15
map
鳥居

参道

拝殿

本殿

願掛け陰陽石

解穢の水

月延石(子授け安産)

むすびの木

聖徳太子社

末社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする