旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

織田信長公本廟がある阿弥陀寺

2014-08-08 15:12:02 | 京都
2014年8月7日、お参りしました。
山号は蓮台山、浄土宗の寺院、本尊は阿弥陀如来です。
現地説明書より「天文年間(1532~1554)、清玉上人の開創になり、当初は西ノ京蓮台野芝薬師西町(現在の今出川大宮東)に八町四方の境内と塔頭十一ケ寺を構えていた。また当時、正親町天皇は清玉上人に深く帰依し、東大寺大仏殿の勧進職命じるとともに、当寺を勅願所とされた。清玉上人は織田家と深い親交があり、天正10年(1582)6月2日の本能寺の変の折、本能寺等にかけつけ、織田信長、信忠父子の木像等が安置され、墓地には信長、信忠や本能寺の変、討死衆の墓、儒者皆川淇園、俳人蝶夢の墓等がある。天正15年(1587)蓮台野から現在地に移転した。」
京都府京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14
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山門

鐘楼

本堂

境内







織田信長公本廟

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元離宮二条城

2014-08-08 11:23:52 | 京都
2014年8月7日、元離宮二条城に行きました。
二条城は、慶長8年(1603)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、寛永3年(1626)に完成したものです。慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画、彫刻などの桃山文化のものを収蔵しています。慶応3年(1867)十五代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、明治17年(1939)に京都市に下賜され、平成6年(1994)にユネスコの世界遺産に登録されました。総面積は275,000平方メートル、建築地区面積は7,300平方メートルです。拝観料は600円、7月、8月、12月、1月の毎週火曜日と年末年始は休城日です。
京都市中京区二条城通堀川西入二条城町541
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案内図

東南隅櫓

中から

外堀

東大手門

内側から

唐門









二の丸御殿(国宝)、撮影禁止のため内部の写真はありません。
武家風書院造の代表的な御殿建築で、車寄の玄関から、遠侍(とおざむらい)は一の間~三の間(昇殿した大名の控室)・柳の間(目付役が来殿者の受付をした所)・若松の間・芙蓉の間・勅使の間・帳台の間・納戸の部屋があります。式台(しきだい)は式台の間(昇殿した大名が老中職と挨拶を交わした所です。将軍への献上品は、この部屋でとりつがれました。)・老中の間があります。大広間は一の間・二の間(将軍が諸大名らに対面した部屋です。特に将軍が座る一の間は、最も豪華に造られており、帳台構、違棚、床の間、付書院を備え、天井は二重折上格天井になっています。障壁画は狩野探幽の作といわれています。)・三の間・四の間(障壁画は巨大な松と勇壮な鷹が描かれています。)・帳台の間・納戸の部屋があります。蘇鉄の間という廊下を渡り、黒書院(将軍と親藩及び諸代大名が内輪で対面した所です。)は一の間~四の間・帳台の間があります。白書院(将軍の寝室です。)は一の間~四の間・帳台の間があります。建築面積は3,300平方メートルで、部屋数は33、畳は800畳余りあります。各部屋の障壁画は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれています。また、欄間の彫刻、飾金具。長押に打たれた花熨斗形の釘隠などは、金飾で銅の地金に金を鍍金したものです。





二の丸庭園(特別名勝)
古来からの造庭術にしたがい、池の中央に蓬莱島、その左右に鶴亀島を配した書院造庭園で、小堀遠州の作と伝えられています。庭には、寛永3年(1626)、池の南側に後水尾天皇の行幸御殿が建てられた際に改造されたといわれており、主に大広間、黒書院、行幸殿の三方向から見られるよう工夫されています。















鳴子門

桃山門



内堀

本丸櫓門

中から


本丸御殿
寛永3年(1626)三代将軍家光の命により増築されたものです。もとは、五層の天守閣が高くそびえていましたが寛延3年(1750)の雷火により焼失、天明8年(1788)には大火による類焼で本丸内の殿舎をもなくしました。現在の建物は、京都御苑内にあった旧桂宮御殿を1893年~94年にわたり、ここに移築したものです。この建物は、弘化4年(1847)頃に建てられたもので、宮御殿の遺構としては完全な形で残っている貴重なものであり、重要文化財に指定されています。内部非公開です。





本丸庭園







天守閣跡

天守閣跡からの景色







西橋へ





西橋と内堀





西門(埋門)



北中仕切門

清流園
江戸初期の豪商、角倉了以の屋敷から、建物の一部と庭石約800個を譲り受け、これをもとに二条城にふさわしく全国から集めた銘石300個と新たに茶室を加え1965年に完成したものです。庭は、池泉回遊式の和風庭園部分と、芝生を主体とした洋風庭園部分からなり、面積約16,500平方メートルあります。



















香雲亭







北大手門



土蔵(米蔵)







南仕切門
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晴明神社(安倍晴明をお祀りしています)

2014-08-01 20:19:53 | 京都
2014年7月29日、お参りしました。御祭神は安倍晴明御霊神です。
由緒書より「安倍晴明公は孝元帝の皇子大彦命の御後胤で幼い頃から非常に賢明な方で多くの道に秀でておられました。 特に天文暦学の道を深く極め、神道を思いのままに操る霊術を身につけられておられたのです。 成人になられた後には天文陰陽博士として活躍し、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条、の六代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。 そして、村上帝に仕えられておられた時には進んで唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれます。 帰国して後、これを元に日本独特の陰陽道を確立しました。 朝廷の政治、日本人のさまざまな生活の規範を決められました。 今日、私達の日常生活の基準となる年中行事や、暦術、占法は皆この時に創られたのです。」
京都市上京区堀川通一条上ル806
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鳥居、社紋の桔梗印が特徴

一條戻橋



境内が道で分断していました。再度鳥居

本殿



末社

安倍晴明像

厄除桃

御神木の楠

桔梗が咲いていました。



説明図





鳥居前の店舗

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相国寺(しょうこくじ)・臨済宗相国寺派の大本山

2014-08-01 09:07:55 | 京都
2014年7月29日、お参りしました。
説明書より「本山外塔頭寺院の金閣寺、銀閣寺を含めた臨済宗相国寺派の大本山です。正式名称は萬年山相國承天禅寺です。室町幕府三代将軍の足利義満が後小松天皇の勅命をうけ、約10年の歳月を費やして明徳3年(1392)に完成した一大禅苑で、夢窓疎石を勧請開山とし、五山の上位に列せられる。その後応仁の乱など、度重なる災禍にもかかわらず当山は禅宗行政の中心地として多くの高僧を輩出し、室町時代の禅文化の興隆に貢献した。後に豊臣氏の外護を受けて、慶長10年(1605)豊臣秀頼が、現存する法堂を建立し、慶長14年(1609)には徳川家康も三門を寄進した。法堂は桃山時代の遺構で日本最古の法堂、一重裳階付入母屋造りの唐様建築で本尊釈迦如来および脇侍は運慶作、天井の蟠龍図は狩野光信筆、法堂北の方丈は勝れた襖絵を有し、裏庭は京都市指定名勝となっています。創建当時は室町一条あたりに総門があったといわれ、北は上御霊神社の森、東は寺町通、西は大宮通にわたり、約百四十四万坪の壮大な敷地に五十あまりの塔頭寺院があったと伝えられています。」
境内も大きいですね。法堂・方丈の拝観料は800円です。内部撮影は不可です。
京都市上京区今出川通烏丸東入
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案内図

総門

勅使門

参道

総門方向の参道

法堂
天井に9mの龍の絵があり、手をたたくと響く「鳴き龍」として有名です。









法堂と開山堂の通路

庫裡
香積院と称し、大きい破風や壁面が特に印象的です。

方丈







庭園





横庭園



裏庭園





中庭



境内







承天閣美術館

鐘楼
鐘楼は一名洪音楼といい、天保14年(1843)再建のものです。

天響楼
この梵鐘は、相国寺が友好寺院の協定を結び、交流を続けている中国開封大相国寺より寄進されたものです。



宣明(浴室)、1400年頃創建されたとみられる。現在のものは、慶長初年(1596)に再建されたもの、蒸気浴をしながら、ひしゃくで湯を取り、身体に注ぐ掛け湯式の入浴法をあわせて行う方式であった。

大光明寺、拝観できません。

経蔵

養源院、拝観不可



光源院







勅使門と蓮池


鎮守社

宗旦稲荷

弁天社






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