今の少年犯罪を見るたびに思い出すのが韓非子のこの話だ.・・・と最近まで確信していたのだが、もう一度読み直そうと思って、本を読んだのだが出てない。あれれ、何処で見たんだろう。少なくとも20年は読んでいないので、はたして間違って記憶していたかなあ。
でも確かに韓非子が秦の始皇帝に出した書の中に書いてあったんだと今でも思っている。まあ、誰が書いたかは問題ではないのよね。
韓非子が秦の始皇帝に出した書に ならず者の放蕩息子がいて、素行が大変悪く、実の親が何度も注意するのだが、言うことを聞かない。塾の先生が言っても駄目。村の長がたしなめてもまるでいう事を聞かない。そこで、代官に言ったら、代官は軍隊を差し向けて「その小僧を討伐しに行った。そうしたら、その放蕩息子は恐れおののいて、平謝りに謝って、その素行を改めた。
これが所謂、韓非子をはじめとする「法家」の考え方だ。子供というのは、天使のような純真な心を持つ反面、おもしろ半分に階段から突き落としたり、怒られてもその場はシュンとしたような顔をしながら、裏では舌を出すような事を平気でする。
閑話休題 針の子供の頃の日本は、(お、でかく出たね)近所の親爺、婆さん、小母さんの目が厳しく、「お前のとこの小僧がどこどこで悪さしていたぞ。」とか、子供同士の喧嘩が度が過ぎたり、どっかの不良が「かつあげ」なんてしてようもんなら、飛んでいって「ビンタ」をくれたもんだ。だから、悪さをしている餓鬼は絶えず人の目をはばかっていたもんだ。
その子供の頃の刷り込みが結構大人になるまでの人間形成に重要なのであって、現代の優しいお父さんが自分の子供が小さい頃に「怖いお父さん」でなかったから、大人になって、まるで言う事の聞かない人間になってしまうのだ。この「怖い」というのは、暴力で萎縮する怖さではなく、いいことをしたらうんと嬉しい顔をするが、悪さをした時は、めっぽう怖くなるという意味だよ。
今でも忘れないのだが、針も悪さして、お袋の財布から、1000円(当時の1000円は価値があったのよ)かっぱらって東京タワーのゲームセンターで「ピンボール」で遊んで、あっと言う間にすってしまった事があった。その時にとっても虚しい気持ちになって、それからはそういうくだらない遊びはしなくなった。当然、親爺にぶっ飛ばされたんだけど、その事が今の針の心の中の箍(たが)になっているのだね。まるで、孫悟空の頭の金箍児(きんこじ)だ。
針の育て方は、当時子供をしかった時はとっても怖い親爺だったが、其の時にカミサンに言った言葉に「何してんだ、今部屋に逃げ込んだのだから、お前が言って、「お父さんはこれこれこういう訳でお前を怒ったんだよ。これはお前が悪かったんだよ。」と優しく言い諭して来い。」でした。父親が怖くて母親が優しい。ただ、小言は母親の役目」だけどね。子供との対話が大事といって、優しさだけで育ててしまっている親がいるね。
針の友人のカミサンは保母さんなのだが、ちょっと、教育的な指導でも、逆ねじ食わせてくる親が多くなったといっている。自分の子供が悪さをしても何も言わない親。
要は、子供の可愛がり方を履き違えている親が多いのよ。何でも買ってあげるのが優しさと思っている。
小さい時に一番肝心な基本を叩き込まなかった子供は将来必ず跳ねっ返る。子供を虐待するという意味ではないよ。こういう事を書くとすぐ勘違いする人がいるからね。