山法師の写真の出来が気に入らない針外しはもう一度写真を撮る事にした。(何を偉そうに)
今度は我が家にある天体写真用のニコンレンズ、180mm望遠、単レンズ F2,8です。これなら少しは実物に近いんじゃないかね。で撮ったのがこれね。
これでも実物を見る眼視には敵わないね。
でもこれで少しは感じが掴めたと思うね。と自己満足な針外しでありました。
(何とレベルの低い事ね)
山法師の写真の出来が気に入らない針外しはもう一度写真を撮る事にした。(何を偉そうに)
今度は我が家にある天体写真用のニコンレンズ、180mm望遠、単レンズ F2,8です。これなら少しは実物に近いんじゃないかね。で撮ったのがこれね。
これでも実物を見る眼視には敵わないね。
でもこれで少しは感じが掴めたと思うね。と自己満足な針外しでありました。
(何とレベルの低い事ね)
今年も、山法師いい咲きっぷりです。例年になく白花の山法師が沢山花芽を付けてくれたんですけど、左にある小梨の木が邪魔になって、全く見えません。裏の防風林を業者が伐採してくれてお陰で陽が入るようになって、花芽を付けてくれるようになった訳ですが、肝心の目を楽しませてくれる方は目を遮ってしまっています。
で、少し枝落としして、見える様にしたら御覧のようになりました。
しかし、暗いなあ!。
山法師の木は花芽が小さい時は皆上を向いていますが、大きくなってくると枝垂れて下に下がって花が良く見える様になります。でこんな感じね。
TTLプログラムフラッシュだと暗く映ってしまいました。生憎今日は雨です。残念!。でスマホで撮ったんでっすがやはり白が飛んでしまって良くみえないね。またまた残念です。
やはり人間の目にはかなわないね。
今年もアカバナの「山帽子」が咲きました。まだ走りの状態です。これからもっと花(実際はガクです)がもっと大きくなって枝垂れてきます。木が折れるんじゃないかってちょっと心配ね。
写真に撮ると光を吸ってしまって、白くなって良く分からなくなってしまいますね。実際はもっとピンクピンクしています。
何より嬉しいのは今年初めて白花の山法師が沢山花を付けてくれました。此処に植えて10年以上経っています。なぜかというと前にも述べましたが、裏の防風林を伐採してくれたお陰でお日様が良く入るようになったからですね。植物にとって如何に太陽光が大事だってことですね。
未だ、蕾が小さい頃は上の方へ向いていますが、花が大きくなると枝垂れて花が見えるようになって目を楽しませてくれますね。赤花も綺麗ですが白花もコントラストがくっきりしてとても綺麗ですね。
伐採ついでに、幅2~3mの道を作って行きました。切った木材の搬出の為の道路だと思いますが、うちのかみさんが通っている乗馬クラブ「ノーサイド」の散歩コースにするそうですよ。人というか馬が通れば「蹊をなす」ですね。少し我が家もあまり汚くはしていられないので草刈ったり倒木を片付けたりしないとね。
大体此処は「旧街道」の跡だった所で昔はこちらが本道でした。表にドプロが新設されたので誰も通らなくなりしまいに此処が別荘地の区分がされて小高い土手だけが残りました。
此処を「お馬さん」が通ればいい道になるでしょうね。尤も馬だけですけどね。人が頻繁に通って来られたら「嫌なので」そうならないように希望しますけどね。
今オリンピックの入場制限について政府が決定したって言ってますが、飲食関係他、色々な所で不満が沸きあがっています。そのくせオリンピックは例外だというのだ。こんなになってしまって、政府のいう事を国民が言う事を聞くと思いますか?。店ばかりに厳しい制限ばかりしてお客には何も制限がないね。
河井安里議員とかに1億5000万もの政治資金を渡していて、店には未だに補助金を支給していない。菅にしても官僚の書いた文章をただ棒読み。何と感情も伝わってこない。こんな誠意のない奴のいう事なんか聞く耳なんぞ持たないね。むしろ恨み不満さえ聞こえてくるね。
日頃の政治態度ってじゅうようですね。これが前の三木さん辺りがコロナに当たっていたなら、その結果が多少うまくいってなくとも国民はもっと納得して従っていただろうね。問題は政治家の日頃の行いが重要で、そういう人がトップならば国民も従順にいう事を聞くということです。
水際対策だって政府は「口先だけは重要だと言っていますが、空港とかにはそういう設備や管理が無いんですって!。それじゃ「水際対策」になってないんだって。
やってることが「笊(ざる)状態」で「オリンピックをやる」というのがそもそも間違いだ。それは選手とか頑張ってきたし、国民だって世界各国の技術を見たいのは当たり前だ。でもね、それとこれとを一緒にしちゃ駄目でしょ?。という事だ。
安倍、森に始まってあらゆる処に金をばらまいてそれがちゃんと大事な処に使われたならいいのだけれども、森友、加計,さくら、オリンピックでは質素を基本とする旨なんか等の昔にうちゃってしまってとんでもない金をつぎ込んでしまったではないか?。
議会制民主主義なんて体裁の聞こえのいい言葉で、裏では議員がいいように金を使ってしまっている。もっと貧困層や、母子家庭、職に就けない若者に予算をつぎ込むべきだ。大企業から献金貰っているなら、其処にもっと「門戸」を開けと勧告しろって。
自民党はこの政治献金が足かせとなって、兎角社会の重要課題をそっちのけにしてきた。それも自分たちの保全、私利私欲が絡んでいるので始末に悪いね。
孟浩然(日本語読み:もう こうねん689年-740年)は、唐(盛唐)の代表的な詩人。名は浩、字は浩然と言われる。襄州・襄陽県(現在の湖北省襄陽市襄州区)の出身。若い頃から節義を重んじ、人の患難を救うなどの行いがあった。
若い頃から各地を放浪し、義侠の振る舞いで人々と交流した。また後漢の龐徳公や後年の皮日休(ひ じつきゅう、)は、詩人・革命的社会派の学者)。ゆかりの襄陽の鹿門山に隠棲したこともあった。玄宗の世となってから長安に赴き仕官しようとするが、科挙に及第していないのでかなわなかった。しかしながら、孟浩然を気に入った韓朝宗との約束をすっぽかして朝廷への推薦をだめにしたり、いざ玄宗の前に出ても不平不満を詩にして玄宗を怒らせるなど、立身出世には関心が薄かったようにもみえる。
孟浩然の詩は広く知れ渡り、王維・李白・張九齢らと親しく交際した(李白には「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」という作品があります)。740年、背中にできものがあって調子の悪かった孟浩然は、訪ねてきた王昌齢を歓待するあまり容態を悪化させて亡くなってしまいました。
自然を題材にした詩が評価されており、詩のなかに人生の愁いと超俗とを行き来する心情を詠みこんでいる。日本では五言絶句「春暁」が特に有名である。詩の特徴から王維と孟浩然は「王孟」と並称された。『孟浩然集』がある。
マキタのナイロンコードは、長さが千切れて短くなると接地面を地面に打ち付けるとコードが自働に出てくる優れものなんですけど、先日とうとう無くなってしまいました。別売りナイロンコードを購入して、巻いて見たいのだがやり方が分からないね。
↓ 左側の方は新型です。こちらの方はユーチューブで幾つも出ているのですけど、うちのタイプは出ていません。少し難しいのか、素人には不向きでなので、結果新型の形状に変更になったんだと思います。確かに新型の歯溝に引っ掛けるだけ。同時に巻いて行けば、簡単に巻けてしまう。別の画像を見てみると左右の長さを8cm~10cmの差を付けるのは対角の反対にコードを出す為だね。上の方(地面側)を先に巻いて上になる方を後に巻き既に出した所と反対の対角の処にもう片方を出します。
古い方を見て頂きたいのですが、壁が途切れていなくて一つの穴に一つのナイロンコードしか使えないようになっていますが、これが反対側にももう一つあります。同じ長さでも絡まずに伸びてくる事が出来ます。
今のタイプは簡単だね。 最初見た時、この穴にコードを差し込むだけだと思った。
これを、見ると8cm~10cmの差を付けなくても、片方ずつ巻き取っていくので差を付ける必要が無いという事ですね。同じ長さでも絡まずに伸びてくる事が出来ます。ただ、これだと穴にコードを差し込んでも簡単に抜けてしまうかもね。其処で針はコードの端を一度結んでそれを穴に入れれば、抜けづらくなるのかも。
うちの旧タイプは職人さんとか、草刈する人にとって「使い勝手」が悪かったんだろう。と思ったら大間違い!ナイロン、コードを穴に通してみると何の事は無いね、反対迄貫通してました。懐中電灯で穴を照らし反対側から見てみると光が通ってきているのが分かります。
で、巻いてみるとこんな感じ。
形状から見て、穴が貫通しているとは思わなかったよ。
なんだなんだ、やってみると何て事はないね。簡単に巻けてしまいました。マキタも此処の処の説明がなされていない。一つの完成品を売りたいが為に説明していない。誠意が感じられないね。
農家。造園とかに従事する方が頻繁に使うんだから丁寧な工具出ないと、嫌われてしまいますね。
立科の山間部は以前は牛や馬の放牧地でしたが、蓮華つつじの自生地でもありました。この蓮華つつじは、葉や花に毒素を含んでいたので、食べられずに済んだ訳です。ただうちのワンコ達は枝を拾っては噛んで遊んでいますので牛や馬にとっては好ましくはないのかも知れません。この蓮華つつじ結構繁殖力が良くて、周りには幼苗がちょこちょこと、芽を出しています。一緒に笹が生えていますが一度刈り取ってあげると段々となくなっていきますね。
うちの前には大きい自生がありますが、少し枯れ枝とを整理したり若干剪定したので今年は少し少な目だね。これと反対側も此れから、花付きを良くして増やしたいね。其れには、白樺とか雑木の立ち枯れなんかも整理しないとね。
庭と云うのは手を加えれば加える程、立派になっていきますね。その為にも芝生の刈りこみとか、落ちた枝なんかも掃除しないとね。少し風が出ると結構枯れた枝とかが落ちてきます。これを拾って焚火をしないと、山のように溜まってきますね。ましてや今年は白樺の枝落とししたので薪が山になっています。
木瓜もやっと山の環境に慣れてきて、がっしりしてきた感があります。此処とか庭のどこでも椅子を持って行って「ボーっ」としているのもいいですよ。針は都会、六本木で生まれて育ったので、あまり街が好きではありません。こういう場所が性にあっているんですね。
木瓜が大きく育って花が咲いて、此処に座って、ビールなんかを飲むのが、最近の夢になりました。ま、家の中でも十分に満喫できるんですけど、外の方が自然に溶け込む感じでいいね。
反対側も笹のかり込みが進んで無くなったね。
やっぱり、ショッチュウ入って刈込していたので、感じが良くなった。やっぱり、うっちゃらかしたら駄目ね。丹精しないと。人間、怠け心で暮らしちゃ駄目です。まして此処は蓼科山の仙人様から、借りている場所だ。面倒臭がってはバチが当たります。
次回は25日から、此処に来ます。そろそろ「山帽子」が咲き始めます。大分花芽が膨らんできました。
この二日前というと針外しは済生会中央病院で外来の日だ。毎度.採血をして、心電図を取って、担当医の高橋先生の窓口に行ったら、どうも会った事のある人がいた。前の会社の上司だったとか、どうも思い出せない。さんざん考えたがやはり駄目ね。経年年を取ると記憶力が、ガクンと落ちるね。
山に来て電話を使おうと思ったらどうも通じないね。此処は山の上なので頻繁に落雷があって、いつも通り「NTT,電話故障サービス」に電話した時に「ハッ」として思いだした。
そうだ此処は中部電力だが、この人「東京電力の会長だった人だ」。看護師さんが「勝俣さん」って呼んでいるのを聞いてもまだ思いだせないのに、ひょんな時に思い出すもんだね。
特徴ある顔だから、すぐに分かりそうなもんだ。
東電も厄介な仕事を受け持たらされたもんだ。国の当時は中曽根氏の時でしたが、「原発」が花形だった時だ。これだって官僚の思惑があって、国家が一丸となって、原子力を推進していたもんね。
で、責任取らされて、法廷にまで持ち込まされてその時、会長、社長がとんだトバッチリを受けてしまったんだね。
この本当の意味で責任を取らなければならないのは当時担当した事務次官だろうに。
ただね、其の後の処理が頂けないね。汚染水をあんなにため込んでんしまい、いったいどうするんだ。
原発だって長所はありますが短所がとてつもなくおおきい。こういう爆発や、汚染問題がちゃんと出来てから出出ないと、やっては駄目だ。
兎角、政治家、官僚は自分の手柄が欲しいのか、「見切り発車」をしてしまうね。これが一番駄目だ。後の世の子供達にどう引き継がせるのか。何かの物質とかに融合させて中和でも出来れば、それならいいのだけれども、対処の仕方が出来ていないで、スタートさせては元も子も無くなるね。それでいて何か不祥事とか難事故が起きると皆、下の責任にしてしまって、自分達は「そんなのは、お前等で適当に処理しろ!」だなんて体よく逃げてしまう。
原発の発案は官僚。この時は東電も一枚噛んでいたんだろうけどね。
よく「想定外」だった、という言葉が流行りましたが、こういう問題に「想定外」という言葉を出したら駄目ね。しかし、あの汚水貯蔵タンクを同処理していくんだろう?。大体処理の仕方が「短絡的」だ。こうなるのが分かっていてもへっちゃらだ。
6月10日に「慈恵医大」でワクチンやってきました。15分椅子に座って様子をみましたが、何ともありません。48時間、お酒、熱いお風呂は控えてくれというので、此処は我慢ですね。何でも「副作用」が出て頭痛とか、あまりよくないらしいのね。
夜になって、打ったところが少し重い感じです。針の穿った見方で判断すると、これは抗体を既に持っていたのかも知れません。
無免疫の方が全く何の反応もありません。うちの町会の人に聞いてみると少し痛みが出た人とそうでない人が半分半分です。
針は彼是30年も気管支炎肺炎をやってきたのでそれなりに免疫抗体を持っているのかも知れません。
地球には上空にジェット気流が走っていますが、それが蛇行してインドの11億の汚い空気が13億の中国に行ってシャッフルしてそれの一部が日本に飛来してきます。それが太古の時代からやれ「黄砂だ」「やれPM2.5」「インフル香港A他」「鳥インフル」とか、兎角被害を受けてきました。
それが功を奏してか日本国民がそこそこ免疫を持つことが出来ているのではないですかね?。黄砂とか迷惑極まりないですが少しはいい面もあるのかしらね?。
ま、何はともあれ2回目の方がもっと反応があるみたいなので大人しくしていようと思っています。
追記: あと針外しは毎日「そこそこ、お茶を飲んでいますが、これが、予防として結構いい働きをしているらしい。前に「イソジン」がいいと言ってましたが、これもそうなのかもね。
ま、何がいいか、悪いか分かりませんが人間の低能のレベルで物事を判断するのはやめた方がいいね。
山はもう初夏の様相です。初夏と言っても東京のように生温い感じではありません。朝晩は少し寒い位ね。でも山の植物は、元気いっぱいです。
枯野の姿があっという間に緑一色です。「羽団扇カエデ」もこれ以上出ない位葉っぱが繁りました。
先月枝落としした白樺もしっかりしています。昨日着いてすぐに餌台にお食事用意したんですがまだ、御一行様は気が付いていないのか、お見えにはなっていません。
我が家のシンボル、「蓮華つつじ」も今年も沢山咲いてくれました。いよいよ、これから「山の季節」ですね。
向かって右は白樺が多いのと手入れして大分古株を取り除いたので、ツツジはあまり咲いていません。でも花芽があるのでこれからかね。
地面を見ると大分牧草が伸びてきましたね。今のうちにやっておかないと後になると結構大変です。
一昨年植えたツツジの苗が枯れて無くなってしまったこと思いましたが、ちゃんと出ていました。これでこの辺りの目隠しができます。
入口にある「ウド」も例年通り出てきました。今年も「美味しいウドの天婦羅」を提供してくれますね。
もうじき裏でワラビが採れます。楽しみがまた一つやってきます。
楽 毅(がく き)は、戦国時代の燕国の武将。燕の昭王を助けて、斉を滅亡寸前まで追い込んだ。昌国君、または望諸君とも呼ばれる。後の諸葛亮が自分を楽毅、管仲、張良に例えた事でも有名です。
楽 毅
楽毅の先祖は魏の文公に仕えた楽羊であり、楽羊は文侯の命令により中山国(燕と斉と趙が接する所にあった小国。現在の河北省保定市の周辺)を滅ぼし、その功により中山の首都霊寿に封じられた。その子孫はそのまま霊寿に住み着き、その後復興された中山国に仕えたようである。その縁から楽毅も中山国に仕えていたとも言われているが、彼の前歴は今でも明らかになっていない。
趙滅中山の戦いで中山が趙の武霊王に滅ぼされた後に、一旦趙に入ったが、紀元前295年に国内の紛争で武霊王が息子の恵文王に殺される事件が起きると、魏に移った。魏の昭王の家臣になるが、燕の昭王が人材を求めていると聞いて、昭王に頼み燕への使者になり、そのまま燕で仕官した。昭王は楽毅の才能に着目し、彼を上卿に次ぐ亜卿に任じた。
この少し前に燕は斉により一度滅びかけており、この当時太子として辛酸を舐めた昭王は斉に対して強い恨みを抱いていた。国王に即位して20数年間、天下から人材を募り(これは郭隗が昭王に進言し、「まず隗より始めよ」の語源となりました。)、臣民と労苦を分かち国の再興に努めたものの、当時の斉は西の秦と並ぶ戦国最強国であり、最盛期を迎えていた。
戦国四君の一人である孟嘗君を宰相とし、中山・宋を滅ぼし、楚・三晋を破り、泗水沿岸の魯などの諸侯は事実上属国となり、一時は秦と一緒に「王」より上位である「帝」を名乗っていた。このように燕は当時桁外れの力を有していた斉とは国力でも軍事力でも比べ物にならなかった。しかしそれでもなお恨みを晴らしたいと言う昭王の意向に対し、楽毅は他国と連合して斉に当たるべしと説いた。
当時の斉王は湣王(びんおう)であり、とかく傲慢で知られた王で、斉の国力を背景に小国に対して恫喝的な外交を布いていた為、他国の恨みを買っていた。これに楽毅はつけこみ、まず趙を説得し、魏と韓を引き入れ、趙の友好国である秦も引き入れた。
紀元前286年、そのような動きに湣王は気がつかず、宋を滅ぼし、その領土を斉に組み入れた。この成功でますます傲慢になった湣王は、自分の成功に良い顔をしない孟嘗君が疎ましくなり殺そうとした。孟嘗君は恐れて魏へ逃げた。
紀元前284燕は年、燕は楽毅を上将軍に任じ、大軍を発し、韓・魏・趙・秦の連合軍に合流した。楽毅は連合軍の総大将として、五国連合軍の総指揮を執り斉軍を済西で打ち破った(済西の戦い)。その後、楽毅は燕軍を指揮して斉の首都、臨淄(りんし)に迫り、湣王は莒(きょ)に逃げ込んだ。
楽毅は臨淄を占領し、伝来の宝器を奪取し、全て燕に送った。昭王は大いに喜び、直々に斉まで来て楽毅を褒賞し、昌国君に封じた。領地の殆どはかつての功臣などで占められており、分けられる領土が少ない中で領地を与えた辺り、昭王の喜びの程が知れる。
続いて、楽毅は破竹の勢いで斉の70余の都市を次々と落とし、「楽毅来る」というだけで門を開いた城も相次ぎ、残るは即墨と莒の二つとなった。楽毅は湣王の籠る莒を攻めた。一方、湣王はその頃、楚の将軍であり斉の救援に来た啅歯(どうし)により殺されていた。淖歯はその後、憤慨した住民たちより殺され、湣王の子の法章が探し出されて襄王として立てられた。同じ頃、即墨では田単が籠城し頑強に抵抗した(即墨に戦い)。
紀元前279年そんな最中に燕で昭王が死に、太子の恵王が即位した。恵王は楽毅の事を太子時代から良く思っておらず、ここに付け込む隙があると見た田単は反間の計を用いた。燕に密偵を潜り込ませ、「即墨と莒は今すぐにでも落とすことが出来る。楽毅がそれをしないのは、斉の人民を手なずけて自ら斉王になる望みがあるからだ」と流言を流し、恵王の耳に入るようにした。恵王はこれを信じ、楽毅を解任し、代わりに騎劫(きごう)を将軍として送った。
このまま国へ帰れば誅殺されると思った楽毅は、趙へ亡命した。趙は喜んで迎え、燕・斉の国境の地に封じて望諸君と称し両国に睨みを効かせた。楽毅が解任されると田単は反攻に転じ、楽毅が奪った都市を全て取り返した。
恵王は、ここで楽毅が恨みを晴らさんと攻め込んでは大変と、代わりの将軍を送った事の言い訳と楽毅が亡命した事を責める書を送った。楽毅はこれに「燕の恵王に報ずるの書」と呼ばれる書で答え、その中で先王への溢れる敬愛と忠誠の情を記し、亡命したのは帰って讒言で罪人にされることで、その自分を重用した先王の名を辱めることを恐れたからだと書した。恵王はこの書によって誤解を解き、楽毅の息子楽間を昌国君に封じ、楽毅との和解の証拠とした。この「報遺燕恵王書(燕の恵王に報ずるの書)」は古今の名文と呼ばれ、諸葛亮の『出師の表』と並んで「読んで泣かぬものは忠臣にあらず」と言われた。
楽毅はその後趙と燕との両方で客卿とされ、両国を行き来し、最後は趙で没した。
楽毅により大打撃を与えられた斉は復興はしたものの国力を大幅に消耗し、東の斉、西の秦の二強国時代から秦一強時代へと移行し、これ以降の戦国時代は秦による統一へと収束していきます。
最近、針の友人がビルを新設する事が決まり、工事が始まりました。うちよりもかなり前の兼三物で所謂、「鉄筋造り」。当時の規格で5階建てですが、エレベーターが有りません。ですから地下に基礎の骨が有りません。そこそこ揺れましたが、目の前の保育園みたいにゆれませんでした。
今から、ビルの新築は大変だろう?」と聞いたら、鉄筋なのでひび割れ、水道管の漏洩、ガス管の劣化がかなりひどいみたいでやらざるを得ないのだそうだ。前の「東北の震災」でも、遊びが無いせいで建物自体が耐えきれなかったんだろうね。鉄筋のビルの最大の欠陥だ。
ビルの経営ってのは楽でいい」と思うかも知れませんが、それなりに、欠点が露出して何やかんやで経費がかかりますね。ましてや致命的な亀裂が入ってしまうと、工事だけでは済まされなくなってしまいます。細かい所ではやれ「クーラーが老朽化した」とかね。よくあるのが屋上やベランダの排水溝のパッキンの劣化による漏水だ。
当時は何が何でも「鉄筋」なんて感じで、相当欠陥物が出来てしまったんだろう。その後もっと質の悪い「耐震構造の手抜き」とか「センチュリー21」の欠陥住宅が有りましたね。
しかし、建物が無くなると、今迄の体積から感じる大きさから七日、更地になると、土地が小さく見えるね。そういえばうちもそうだったね。向こう隣の家も良く見えます。建物が建ってしまうとすぐに忘れてしまうので、写真を「パチリ」。
しかし、人間って、一寸経つと、前の事をスッカラカンにわすれてしまいますね。
これから、町は「建築バブル」でやたらと建っていますが、また入居者が確保出来ずにバブルが弾けてしまうんだろうよ。
また以前みたいに、税金を投入して一件、1000億なんてむだな金を使うんだろう。この次やったら、大反対されるんだろうね。前意に使った税金をまず、返してもらわないとね。
今、世の中は、コロナ禍で人々は混んだ人込みを避けてキャンプが大流行だね。それだからという訳ではありませんが、以前、新潟の「津南(無印)に人生で只の1回しかキャンプに行った事が無いのでありますが、その時に買ったコールマンのホワイトガソリン用ランタンとストーブ(コンロ)があるのを思い出して、地下室へと探しに行きました。
こう見えて針外しは物持ちがいいので、ちゃんと「整理しておかないと何処に何がある」って分からなくなってしまいます。ま、仕事も自動車の鈑金塗装でしたので、整理整頓が身に付いていないと、大変な事になりますね。
てな訳ですぐに見つかりました。そこそこ丁寧にしまっておいたのですが、ガソリンを入れたまま保管していたせいか、中の水分で錆がこびり付いていました。やれやれ、サンドペーパーで落としましたが埒があきまへんな。アマゾンで部品を調達しようにもこれは売っていません。仕方がないので、「ホヤ」「1l缶」「ガソリンを注入する容器」等を仕入れてみる事に。
ストーブ(コンロ)は一寸錆は残りましたが点火してみると使えました。ランタンは錆が酷いね。ちゃんと使えますかね?。これは家の中で試せないので山に持って行って広い場所でやる事に決めました。これは災害が起きたとしても、利用出来ますね。ちゃんと使う事が出来るといいね。
こういう時は「本家本元」を探るに越した事は無いね。これは売り物の「一番手」なのでアマゾンには出品していません。変にパクられては困りますからね。
針外しが俗に言う「肺炎持ち」になったのには、以前の仕事が「自動車鈑金塗装」の仕事で、その日は朝から雨になっていたのだが、丁度風邪を引いていて、調子が悪かったのだが、一台「護国寺」迄、納車が有りました。職人は定時になると「さっさと」酒を飲みに行っちゃうんですよね。
当然、誰にも頼めないので、自分が行くしかなかった。当然帰りの車を先様が用意してくれたので、それに乗って帰宅したんですが、家に着いた時は40度の熱が。
てなわけでそれからはというと、毎年秋口から冬になると、気管支炎、肺炎になりました。その時頂いた、薬(錠剤なんですが)ブルフェンタブ。夜中に熱が上がって凄い寒気で起きるんですがこれを1錠飲むだけで「スーッと」下がります。
こんな事を繰り返して30年。何とか凌いで来れたんですが、最近になってやっと原因が分かった気がする。それは「誤嚥性肺炎」だ。経年、気管の入り口と食道の口が近くなってきます。ご存知、口の中には、「歯周病菌」が常駐しています。これが睡眠時に涎が気管に入ったりすると、それによって炎症を発する訳ですね。
逸れの予防で親戚の医師に頼んで、薬を都合付けてもらうんですが、これで何とかやってこれました。普通は「予防」だけでは薬を出してくれませんね。
また、大きい本箱で窓を塞いでしまっていたので、結露によって「カビが」発生してしまってそれが原因だと思う。部屋の換気が出来ている夏なんかは起きて冬になると多いのは、換気が出来ず結果、汚れた空気が充満していたからだと判断出来ます。当然本箱は解体しました。(因みに針の所有する蔵書をBOOK OFFに出したら1000冊以上の本が1150円でした。そんなんだったら人に上げた方が良かったよね)
最近、ある歯磨き粉(チューブ)ですけどこれで歯を磨き、尚且つ舌苔も取って、捨てる訳ですが、捨てた跡、水で嗽(うがい)をしないで唾を飲みます。こうする事によって、気管の入口まで殺菌出来ます。北欧の方は歯を磨いた後、「口を濯がない」との事。特に「フッ素」系の物は濯いでは駄目なんですね。針外しが使っているのは「歯周病菌用」の物です。結構一日中効いている感じが有ります。
色々出ています。針外しのは左側だよ。この他にも沢山出ていますね。
これで毎日磨く様になったら、夜中に「発熱」しなくなりました。当然親父の「口臭」も取れるみたいで一挙両得です。舌苔」も取れて舌も綺麗です。人に言わせると「舌苔」は取っては駄目だというんですがね。これから年をとってくると、これは避けては通れません。皆さんも是非お試しされることをお勧めします。
あ、ブラシにほんの5mm位少し付ければいいんですよ。勿体ないからね。人間は頭で考えていても、解決出来ない事が多いです。ひょんな事で解決出来たりします。
昔、「姿 三四郎」を読んでいた時に、さいづち和尚が三四郎に、「悟りは常に脚下にあるぞ」と言っていたのを思い出しました。
このレコード今でも我が家にあります。本の中で三四郎が外人ボクサーと対戦する場面がありますが、「イップマン」のイギリス人ボクサーと戦う処は此れのパクリですね。