針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

漢の張良

2021-02-28 10:15:21 | 漢詩・古典・エトセトラ

かの諸葛孔明が「管仲・楽毅に又は張良に我が身を例えた」その中の張良の話です。

              
                    張 良
 祖父の張開地は韓の昭侯(宣恵王・襄王)の相国を務め、父の張平は釐王・桓恵王の相国を務めていた。『その祖先は韓の公族であり、周王室と同じ姫姓であったが、秦による賊探索から逃れるために張氏に改氏したことになっている。父の張平が死んでから20年が経った後、秦が韓を滅ぼした。その時にはまだ張良は年若く、官に就いていなかった。

 韓が滅びたのは紀元前230年で、普通20歳にもなれば成人であり、父が死ぬ間際に生まれた訳でなければ張良も官位に就いているはずである。しかし滅亡寸前の国なので、20歳を過ぎてなお官に就けなかったということもあり得るため、韓が滅亡した時点で20代前半とも考えられる。また、項伯よりも年下との記述がある(「項羽本紀」)。祖国を滅ぼされた張良は復讐を誓い、全財産を売り払って復讐の資金とした。弟が死んでも、費用を惜しんで葬式を出さなかったという。張良は同志を求めて東へ旅をし、倉海君という人物に出会い、その人物と話し合って屈強な力士を借り受け、紀元前218年頃に始皇帝が巡幸の途中で博浪沙(現在河南省郷市原陽県の東)を通った所を狙った。方法は重さ120斤(約30kg)という鉄槌を投げつけ、始皇帝が乗った車を潰すというものであった。しかし鉄槌は副車に当たってしまって暗殺は失敗に終わり、張良たちは逃亡した。

始皇帝は自らを暗殺しようとした者に怒り、全国に触れを回して捕らえようとした。そこで張良は偽名を使って下邳(現在の江蘇省徐州市の東の邳州市)に隠れた。

下邳時代の逸話

張良と黄石公(頤和園)

 ある日、張良が橋の袂を通りかかると、汚い服を着た老人が自分の靴を橋の下に放り投げ、張良に向かって「小僧、取って来い」と言いつけた。張良は頭に来て殴りつけようかと思ったが、相手が老人なので我慢して靴を取って来た。すると老人は足を突き出して「履かせろ」と言う。張良は「この爺さんに最後まで付き合おう」と考え、跪いて老人に靴を履かせた。老人は笑って去って行ったが、その後で戻ってきて「お前に教えることがある。5日後の朝にここに来い」と言った。

            

 5日後の朝、日が出てから張良が約束の場所に行くと、既に老人が来ていた。老人は「目上の人間と約束して遅れてくるとは何事だ」と言い「また5日後に来い」と言い残して去った。5日後、張良は日の出の前に家を出たが、既に老人は来ていた。老人は再び「5日後に来い」と言い残して去って行った。次の5日後、張良は夜中から約束の場所で待った。しばらくして老人がやって来た。老人は満足気に「おう、わしより先に来たのう。こうでなくてはならん。その謙虚さこそが大切なのだ」と言い、張良に太公望の兵法書(六韜三略)を渡して「これを読めば王者の師となれる。13年後にお前は山の麓で黄色い石を見るだろう。それがわしである」と言い残して消え去ったとあります。

陳勝・呉広の乱が起こると、張良も兵を集めて参加しようとしたが、100人ほどしか集まらなかった。その頃、陳勝の死後に楚王に擁立された楚の旧公族の景駒が留にいたので、参加しようとした途中、劉邦に出会い、これに合流したという。

張良は自らの将としての器量の不足を自覚しており、それまでも何度か大将たちに出会っては自らの兵法を説き、自分を用いるように希望していたが、聞く耳を持つ者はいなかった。しかし劉邦は張良の言うことを素直に聞き容れ、その策を常に採用し、実戦で使ってみた。これに張良は「沛公(劉邦)はまことに天授の英傑だ」と思わず感動したといいます。

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法家について

2021-02-26 12:50:38 | 漢詩・古典・エトセトラ

法 家(ほうか)は、戦国時代の諸子百家の一つ。徳治主義を説く儒家と異なり、法治主義を説いた。徳治主義とは、徳のある統治者がその持ち前の徳をもって人民を治めるべきであるとした孔子の統治論に由来する儒教の政治理念・思想。古くは徳化(とくか)などと呼ばれていた。
主な書物に『韓非子』『管子』『商君書」がある。 法家とは、儒家の述べる徳治のような信賞の基準が為政者の恣意・仁徳であるような統治ではなく厳格な法という定まった基準によって国家を治めるべしという立場である。孔子や孟子の儒家の説く礼によって国を治める徳治主義では人民を統治することは困難と考え、成文法によって罰則を定め、法と権力によって国家を治めようと考えたのが法家の人々である。彼らの思想で言えば、なによりも公正で厳格な法の執行が為政者にとってもっと必要なこととされた。そのような思想は斉の管仲、魏の李悝(りかい)、秦の商鞅など実務的な政治家によって行われていたが、理論化したのは儒家ではあったが孟子とは異なって性悪説にたった荀子とその弟子の韓非であった

秦の孝公に仕えた商鞅(衛鞅・えいおう)や韓の王族の韓非がよく知られている。商鞅は秦に仕え、郡県制に見られるような法家思想に立脚した中央集権的な統治体制を整え、秦の大国化に貢献した。韓非は信賞必罰の徹底と(いわば臣下のコントロール術)と用いた国家運営(法術思想)を説いた。

               
                     商鞅

韓非は「矛盾」や「守株待兎」といった説話を用いて儒家を批判したことでも知られる。「矛盾はどんな盾でも突き通す槍でどんな槍も破る事は出来ない盾で防ぐという話でも有名ね。守株待兎は「待ち呆け」の歌で有名ですね。また、ある村でどうしようもない極道の小僧がいて、家の家長が言ってもいう事を聞かない、塾の長が言っても、知事が言っても埒がいかない。最後に、郡兵が討伐に向かったら「畏れをなして、悔い改めた」とあります。それを秦の始皇帝が見て「これを書いたのは誰だ?」という逸話があります。

               
                    韓非子

 中国統一を果たした始皇帝も、宰相として李斯(りし)を登用し、法家思想による統治を実施した。しかしながら、秦において法が厳格すぎたがゆえのエピソードとして以下のものがある。

  • 新法の改革をした商鞅は反商鞅派によって王に讒訴されて謀反の罪を着せられた際には、都から逃亡して途中で宿に泊まろうとしたが、宿の亭主は商鞅である事を知らず「商鞅さまの厳命により、旅券を持たないお方はお泊めてしてはいけない法律という事になっております」と断られた(商鞅は逃亡の末、秦に殺害された)。

  • 燕の使者である荊軻が隠していた匕首で秦王の政(後の始皇帝)を殿上で暗殺しようとした際には、秦王は慌てて腰の剣が抜けない中で匕首を持った荊軻に追い回されていたが、臣下が秦王の殿上に武器を持って上がることは法により死罪とされていたため対応に難儀した(最終的には御殿医が荊軻へ薬箱を投げつけ、怯んだ隙に秦王が腰の剣を抜き、荊軻を斬り殺した)。

  • 辺境守備のために徴発された農民兵900名は天候悪化のために期日までの到着が見込めなかったが、いかなる理由があろうとも期日までに到着しなければ斬首であったと史記に書かれている(これが秦を滅ぼす戦乱のきっかけとなる陳勝・呉広の要因となった)。

                
                     李斯(りし)

法家の思想は、秦が滅びた後の漢王朝や歴代王朝にも、表立っては掲げないものの受け継がれていった。とりわけ漢代初期には、法家と道家が混ざったような黄老思想が流行した。

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山も大分?。

2021-02-23 16:14:02 | 立科・信州の話。

山の春は6月!。って言うのは定番中の定番。でも最近少し季節がズレて来た感じがありますね。コナさんの雑記帳」のライブカメラを見てみると確実に森が膨れてきた感じがあります。

膨れてきた」というのは新芽、花芽が大きくなって林自体が膨張する感じがあるという事だよ。

         

昨日の暖かさが山の方まで来たのかね?。こうなってくると、春になる速度が上がってくる感じがあるね。ちょっと、土を掘ると蕗の薹(フキノトウ)や行者にんにくの芽が出ているのが確認出来ます。表の入口にある独活(ウド)もね。裏の山(高架線のある処)のワラビもそろそろ芽を出す頃です。

       

 前年の残骸をどけると、ウドの葉っぱが既に準備万端整っています。このウドの新芽を少し頂いて「天婦羅」にしますと、これがまた格別です。針外しも此処に来て山菜の本当の味が分かりました。

       

 裏に植えた「コゴミ」にしても新しい新芽を頂くとこれまた、最高ですね。行者にんにくも新芽を刈って醤油漬けにしますと、これまたいつ使っても美味しく頂けるので我が家に来られるリピーターさんは必ずせしめていきます。此処の良さはこれが毎年出来るという事ね。

          

最近つくづく思う事は、こういう自然が身を持って実感できるのが「本当の幸せ」と思えるようになった事だ。此処の庭に椅子を置いて「ボーっと」するだけで自然と同化出来るね。
楽しく我が家で「キャンプ」まがいの事を出来るだけで幸せと言うもんだ。とまあ、針外しはこんな事しか出来ませんからね。

もうじき、木瓜の花も咲く頃です。早く花をみたいもんですね。

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秘宗拳と詠春拳について。

2021-02-19 20:28:45 | 武道・拳法の話

 秘宗拳については以前にも少し書きましたが、ブルース・リーの「ドラゴン危機一髪」の尊師の写真が「霍元甲」になっており、秘宗拳(燕青拳、迷蹤芸 迷踪芸)と詠春拳が混同されてしまっているのでまた書く次第です。ブルー・リーの詠春拳は少林寺尼僧の厳詠春によって創設された拳法です。
       
              大侠・霍 元甲
秘宗拳(秘踪拳)は主として河北省などに伝わる武術。別名として、燕青拳、迷蹤芸(迷踪芸)がある。迷蹤芸の名は複雑な歩法を用いることに由来するとされる。

 秘宗拳(燕青拳、迷蹤芸)の開祖は『水滸伝』の登場人物「浪士の燕青」であります。浪士とは伊達男という意味ね。燕青の主人である盧俊義が燕青に伝え、燕青から後世の伝人に伝えられたとする場合もある。伝説では、燕青は北宋に対する反乱軍の将であるため、伝人は開祖(宗師)の名を秘したことから秘宗拳と呼ばれたとしている。秘宗拳に限らず、開祖を武侠小説に登場する人物や伝説上の人物に仮託することは珍しいことではなく、類似した例は日本武道にも見られる。盧俊義が燕青の体に見事な彫り物(入れ墨)を彫らせた事も有名です。

近代においては、上海精武体操学校(上海精武体育会の前身)を創設した静海(天津)の人、霍元甲の迷蹤芸がよく知られている。霍元甲は家伝の武術を父である霍恩第に学んだと言われている。また南京中央国術館の姜容樵李元智は河北省滄州に伝えられた秘宗拳を陳玉山より学び、劉雲樵は槍の李書文に拝師する前に張耀廷より秘宗拳を学んでいる。また、大連に伝わる秘宗拳は蘇明遠に始まると言われている。

 中国は燕青拳の由来にはいくつの仮説があります。 1、菩提達磨が発明した。2、少林寺僧侶、緊那羅王が発明した。元朝、紅巾軍は少林寺を攻撃した。緊那羅王は敵を退ける、燕青の名を借り、「燕青門」を創立した。3、この拳法の起源は河北燕州と山東青洲地域、ゆえに「燕青拳」と言う。

               
        平凡社、浪士の燕青、けい天柱(けいてんちゅう)の任原(じんげん)を投げ飛ばす。

秘宗拳の套路(型)

秘宗拳の套路として秘宗長拳(燕青架子)、小護掩(小虎燕)、四路奔打、練手拳、綿掌拳などがある。秘宗長拳は太極拳のようにゆっくりと練習される套路であり、「少林慢架子」と呼ばれることがある。 姜容樵は霍元甲とは伝承系統が異なる秘宗拳(秘宗長拳)を書籍で公開している(一部に太極拳と共通する技法名が見られる。)。秘宗拳の迷蹤芸は無影拳と呼ばれることがある。

詠春拳
 古来より永春拳とも咏春拳とも呼ばれ、またこれまでに多くの分派が生じており、近年「咏春白鶴拳」や「紅船咏春拳」、「詠春拳」はそれぞれ別門派として扱われるようになっている。異なる点として、古いものほど洪家拳に近い趣があること、古い「咏春拳」には詠春三大手と呼ばれる基本手型が存在しないことなどがあり、他の南派少林拳発生との関連もあいまって、定義することは難しい。ただし「永春拳」と称していたものから「言」偏のついた「詠春拳」と称するようになったのは、詠春拳王と呼ばれた広東省佛山の武術家及び湯液家、梁贊より以降に限られており、この系統での套路(形)を、小念頭、尋橋、標指の三つに梁贊がまとめたからだと考えられる。これについては後から他門派の技法や形を取り入れている混合的な流儀も存在する。

詠春拳の歴史と伝説 南少林寺と起源
詠春拳の発祥には清朝に対するレジスタンスや、粤劇(広東オペラ)の発祥が関わっていると言われる。創始者とみなされている者としては、至善禅師、五枚尼、苗顕、厳詠春、方永春、張五(攤手五)などの名が残る。それ以降の伝承者の名称には粤劇における役名も多く、古伝の永春拳と粤劇はその創成期において歴史を共有していたと考えられる。これは古伝の永春拳が洪家拳(洪拳・洪熙官)と関連が深く、紅船戯班粤劇の旅巡業の劇団、一座は船で移動していた)内で、散逸した南派少林拳の伝承を受け継ぐ為に技術交流が頻繁に行われていたからとみられている

厳詠春から紅船戯班娣

詠春という名称については、厳詠春という女性の名から取ったとされている。彼女は中国武術史上、最も強い女性拳法家「少林四侠女」と呼ばれ詠春。

 厳詠春の父、厳二はある事件によってタイやミャンマー国境に程近い四川省の大涼山まで逃亡をし、そこで豆腐を売って生活をしていた。厳二は地元の少数民族から四川梅花拳(五枚尼姑伝の拳法)などの南派少林拳を学ぶ。厳詠春はそれらを父から学び改良したという。また厳詠春が鶴と蛇の闘争を元に創案にしたとする説もある(傍ら、厳詠春という名は当時の武侠小説に登場する主人公の名前であったという実在の人物を疑う意見もあるうえに諸説も存在する。たとえば古伝の永春拳の創始者の一人と伝わる五枚(五梅)尼姑が、四川省の大涼山に隠れそこで詠春拳を作ったという伝承や、至善禅師が南少林寺の「永春殿」で練習していたためという説など)。

 佛山の茶葉商人であり後に厳詠春の夫となる梁博儔がそれを学び、そして更に古伝の永春拳は梁博儔の唯一の弟子である広東省佛山の商人、梁蘭桂へと受け継がれていった。梁蘭桂は粤劇をこよなく愛しており、佛山から粤劇の「紅船戯班」が旅巡業にやって来た折りに、そこの役者であった黄華寶と船員の梁二娣に永春拳を教えることとなった。激しい修行の末、黄華寶と梁二娣は古伝の永春拳を継承し、これ以後、古伝の永春拳は、広東省周辺の民間芸能である粤劇の興行一座であった「紅船戯班」の内部で伝承されてきたとされている。

方七娘も有名ですよね。方家の三人、方孝玉、方美玉、方世玉が少林三雄として有名です。そのうちの一人方世玉(ファン シーユー)が特に有名です。また洪拳の洪 煕官(ハンシークアン)も有名です。

てな感じで引用して書きました。

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こんなの買いました。(3)

2021-02-16 20:04:20 | DIY

 言い訳っぽく聞こえますけれど、決して無駄遣いしてる訳ではありませんよ。前々から、無くてすごく不自由しいましたのさ。この片手ハンマーは鉈を使うのに無くて不自由していましたり、バイソンのヘビースプリッティング アックス BN05はもっと前から欲しくてしょうがなかった。       
                 

此れ、キャンプでは必ずと言っていい必須な道具。斧は巻き割では絶対に用意しておきたい物だね。あればとっても役に立つ、、、これが道具と言うもんだ。道具は大事に扱いたい。昔の人は道具を大事にしたね。つい手元にあって普通に使っていると有難みなんて感じませんけれど、下手糞が使うとまるで為になりませんが、これがすんなりと綺麗に使われるとこんなに便利な物ないね。

これだけの物の価値は今の時代にはあまり感じませんが、長い年月掛けて段々と機能を増してきたもんで、逆に使いこなすにも努力が必要なんですね。

道具を使いこなすにも最初は無駄な力を使い、疲れるばかり、斧に至っては体がふら付いてしまい、刃が木にまともに当たらないで大概嫌になってしまいますね。

また、『荘子』の「養生主篇」に、とある庖丁(台所で働く成年の召使男性)が魏の恵王の御前で見事な刀捌きを披露し、牛一頭を素早く解体して見せ、王を感銘させたという件がある。針は包丁研ぎを研究(なんておこがましいですけど)下手糞が包丁使うとまな板を切っている感じで、直ぐに刃が丸まって切れなくなってしまいます。

針外しは料理はからっきし駄目ですが、包丁を自由自在に扱ってみたいもんだね。

          

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綺麗な雪景色。

2021-02-15 10:37:52 | 立科・信州の話。

一寸前の話ね。トンネルを抜けると其処は雪国だった。なんちゃって、前回より雪が積もってました。冬に来るときは、敷地内に積った雪を除雪してもらわないと入れません。此処に居を構えた当初は、甘い考えで、雪用スコップで除雪出来るなんて思ってましたが、それは「甘食コッペパン」だったね。

東京で雪が積もったのを見たのは、針外しが中学の時とか稼業を継いだ頃だったと思う。やはり温暖化が激しくなって来たんかね。

針は2日の日に来たのだが、最近所帯を持った甥っ子夫婦が明野の山小屋から来たいと、朝早く来たらしいのだが、針は着いた時には、ちょっとの差で帰ってしまった。(再び土曜日に来るそうです)

    

来たのはいいのだが、さんざん雪の中で遊んだらしく雪が固く踏みしめられてカッキンコッキンになって歩くのが凄く大変だぞ。(笑)

    
針の家はログハウスだが外の風景を見やすくしているので、暖かい部屋から酒を飲みながら、眺められるので冬景色もいいもんだ。

    

暫く来なかったので野鳥君達はさぞお腹を空かしているに違いないね。

    

此処には出していないが雉君達がまた来てくれました。前にも言いましたが雄が2匹。多分同腹の兄弟なんだろうね。でも夏に見た雌の子は餌を食べに来ないですね。

    

雄が巣に餌を持って行ってるのだろうか?。警戒心がより強いので夜しかこないのか?。はたまた、別の餌場に居ついてこちらには来ないのかね?。
春が待ち遠しいね。蓮華つつじや白樺の新緑を早くみたいもんだ。

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ベランダの盆栽も

2021-02-15 10:34:53 | サボテン・植木・花

 今日は雨が降って外に出られないので、部屋の中から写真撮ってます。早咲き、遅咲きがあるのでいっぺんには撮れません。いっぺんに見れるのは図鑑の中だけね。木瓜にしても寒木瓜、真木瓜、草木瓜がありその中でも早い遅いがあります。

 だから、長い間楽しみが続くんですがね。以前増上寺の植木市にこの薄いピンクの花が出ていましたが、家に金取りに帰って戻ってみると、既に売れてしまっていました。こういうのはその場で買わなければ駄目ね。金持って、見かけた時に「サっと」買ってしまわないとその時期を逸してしまいます。

     
 ましてやこの木瓜、品種が定着してると思いきや、「花付きが悪い」「棘が強すぎる」とかで品種が頻繁に変わったりします。この薄桃色の丹頂紅にしても増上寺で見た品種が無くなって、だいぶたってから出来上がったのでなかなか手に入りませんでした。掛け合わせで命名されるのですが、違った名前になっていますので良く文献読んで分かってないと検討も付きませんね。

    

 このベランダは西日が強く地べたに置くと根が焼けて死んでしまいます。すのこを敷いたり、ベンチに載せてあげたりします。それでも葉が焼けたり夏なのに休眠してしまったりしますね。
余り、状態の良くないのは山に持って行ったりしますが、梅とかは寒すぎて駄目ね。今年は遮光布をしたり少し考えないと駄目ですね。

    

ま、それで木瓜のラインナップを考えてみたんですけど。

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こんなの買いました(2)

2021-02-13 01:50:30 | DIY

山の鳥の餌台を以前購入したんですが、8000円台とちとお高いね。其処で、材料を購入して複製品を作ろうとしたんですが、木材も揃えると、金額が嵩むし、それらを加工する道具も馬鹿になりません。針外しは以前、自動車の鈑金、塗装をしていたので、道具はそこそこ持っています。しかし木工道具は有りません。安価な物は買えますが、高価な物はね。針の仲間では、工具は一度使えば、「元を取った」事になると言います。ま、料金頂けますからね。

板を鋸で引いて切断出来ますが。やはり「丸鋸」使えば簡単に作れます。


       

で、ふと、かみさんの実家の甥っ子が丸鋸を持ってないか聞いたら、「有りましたね」。聞いて見るもんだ。でも付属する定規が有りません。これがあると正確なカットが出来ます。そんなに高くなくてね。
物差しに当たる処を丸鋸のレールにスライドさせて取り付け、Tの字に当たる処を机、作業台の縁に添わせてカットしていきます。
              

これのお陰で、短時間でカットが終了しました。写真にあるように「シャコ万力」も2つ位あるといいですね。やはり道具があると万全です。それを使いこなせると、世界が広がるね。「馬鹿と鋏は使いようです」
              

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こんなの買いました。(1)

2021-02-09 09:48:58 | DIY

 コロナで何処にも出られず、ましてや、3日前から風邪からいつものように肺炎になりましたが、特効薬を備蓄しておいたお陰で、やっと回復しました。肺炎とは言っても「コロナ」じゃありませんよ。針外しは子供の頃、耳の聞こえが悪く、喉の奥にある「アデノイド」を取るのについでに「扁桃腺」も取ってしまったので、悪い空気を直接吸い込んでしまい風邪を引きやすい。また、経年で、気管と、食道が近くなるとの事で、涎が気管に入り易いので所謂、「誤嚥性肺炎」になり易いのだ。

で、外に出る事が極端に少なくなってくると「アマゾン」でのお買い物がグンと増えてしまうのは致し方無いね。でも無駄に金を使う程金持ちじゃありまへん。家から出ないでいると、山で「次は何しよう」とか「何か足りない物がないかなあ?」何て事ばかり考えるね。

最近BAZZ Video なんかを見ているとハンドチェーンソーなる物が目に着くようになった。山で枝落としすると、チェーンソーで切れば早く処理出来ますが、掃除して仕舞込むと、再度出すのが面倒だね。電動ノコもあるのですが、力が弱い。其処でこれを買えば簡単に薪を作れるのではないか?。

         

ただ、これにも限度があります。直径10cm位の枝がやっとだね。葉が付いていないので真ん中の10mmボルトを回してカバーを外すとガイドレールも一緒に外れます。其処にチェーンソーを付けるのですが、手で回して簡単に回るようでは駄目ね。正面から見ると調整用のネジが見えますので、+ドライバーで締めると針が強くなります。引っ張って刃を引っ張って見てあまり伸びないくらいがちょうどいいです。

         
切っている時に一番困るのはバッテリーが無くなってしまう事ですが、このセットだとチェーンが4本、バッテリーが2個ついているので、使い勝手がいい。チェーンにしても丸鑢で研げば切れ味が復活するしね。ただ、当然と言えば当然なんですが、オイルは付いてきません。

針の処には「チェーンソー]「高枝チェーンソー」があるのでそれぞれを使いこなせばいいので問題なしです。これで20~30cmの切り株作れば後は斧で割る事が出来ますね。機械というのは要所要所で使いこなせば安全で便利なものですね。

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森は、もしかして。

2021-02-07 21:20:24 | 針の政治談議

オリンピックが、コロナで、挫折して、先が見えなくなって、延期になると、より莫大な、費用がかかりそうで、にっちも、さっちも行かない中、「国民はどう思っているかが、問題だ!。」なんて、責任を国民に振りやがった。今回の女性蔑視の発言も、も、もしかしたら、資金面等、もう手がつけられない状態で、半分、逃げたくてしょうがないのかも、知れない。と針外しは、穿った見方をするのであります。

森を辞任に追い込んでもこんな風に、めちゃくちゃにした、責任は、取らせないといけない。菅にしても、森が逃げてしまったら、でっかい負債を全部背負い込む事になるので、警戒している事だろうよ。

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市川君のかみさんから送ってきたぞ。

2021-02-05 19:53:46 | 日記



説明はこれでOKね。天の神様が幸せの塊を掴んで、運んで来てくれてるみたい。皆幸せになってくれよな。若くして別離れてしまった美〇さんには冥界で幸せを掴んで欲しいね。

針外しの先祖は冥界で閻魔大王様の書記官をしていたとの伝説がある。将来、冥界に行ったら是非逢ってみたいね。語るも良し、酒を酌み交わすのも良しだ。

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言ってる傍から、またやりやがった。

2021-02-04 18:05:45 | 針の政治談議

 此奴は総理大臣の時に「愛媛丸」がアメリカの潜水艦の急な浮上により沈没し、生徒が全員死亡した時、ゴルフをしていてすぐに駆け付けなかった事をおぼえています。
その時の事がえひめ丸事故 - Wikipedia  に出ています。(当時の森喜朗首相は事故発生時に休暇を取得、ゴルフをしていたが、事故の一報ののちもそのままゴルフ場に留まったことが大きな問題となり、内閣総理大臣を辞任した。

 此奴は前々から失言が多くその度に、腹が煮えくり返っていたが年を経れば経る程、やってる事が滅茶苦茶になってきた。此奴の女房も苦言を呈しないのかね?。

もうたくさん有り過ぎて、あきれて物も言えなくなっちゃったよ。

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森と言う奴は、馬鹿じゃねーのか?。

2021-02-03 20:39:34 | 針の政治談議

オリンピックに関して。

「問題は、国民、世論は、どう思っているのか?」だってさ。

此奴やはり、頭がボケていかれてる。「質素で、金の掛からないオリンピック」を歌い文句に、招致したのに、めちゃくちゃに、金の掛かるオリンピックにしてしまった。今更なんだ!?。その当の本人が、この先の事を国民に問うてきた。やばいと思って、逃げを打ってきた。此奴は、二階、麻生、安倍と並んで、4悪だと思ってたけど、矢張り国賊だった。莫大な費用を掛けてしまって挙げ句、中止か、延期。此の先もっと、費用がかさむ。とんでもない増税が待ち構えているぞ。

森を煽てている、スポーツ界にも、責任があるぞ。選手にとって、森みたいな、馬鹿はとても、都合がいいからね。なんせオリンピックを口実に、雨アラレの如く、ばら撒きをやってくれるからだ。

 

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