知者と言うと、物識り、博学等の事を言います。そうすると賢者って、一体なんだろう?。一方賢者はけん‐じゃ【賢者】《「けんしゃ」とも》1 道理に通じたかしこい人。賢人。
と、まあ、解説ではこうなっています。智者と賢者の違いってなんだろう?。
今回の原発の事故で頭がいいとされている東電の皆さんの対応が何ともまどろっこしくて聞いていて歯がゆい。
太古の縄文人と弥生が人比較されますが、弥生人は大陸からやってきたのか、火を使うとか鉄器を使うとか格段に優れているとされてますが、最近縄文人の事が少し解明されてきて、縄文人はどんぐりとか栗とかを渋皮ごと食べていたので、予知能力に優れていたんですってさ。
昔、日本に地殻変動とか火山活動があって、縄文人がそれを予知して日本から脱出したとか。海流の流れも把握していたとは思えないのだが(思えるフシがあるとか)、ニューギニアに、エクアドルに漂着したとかで、その地に縄文土器が発見されているとか。
針は智者と賢者は明確には区別出来ないけど、今回の東電の対処を見ていると何故かこの事に考えが結び着いちゃう。データとかマニュアルに沿ってでしか、対処出来ないふがいない奴等。賢者と言うのは、自然の道理とか自分の子供の頃からの経験から物事を打開出来る人なんではないか。もっとも智者に賢者の才が加わればもっと凄いんでしょうがね。
針は思うんですけど,智者は別に特別勉強が出来なくてもいいと思っています。処世術と言うとへんですけど、「事に当たって、身の処し方を知っている」、是を、何の衒いも、利害も関係なく、自然と、道筋が見えて、解決できる」そんな人が「賢者」と呼ぶに相応(ふさわしい)人なのかと。
賢者になるには(言い方へんですが)兎に角、利害が優先したら絶対駄目ですね。老子の説く、無為自然でなくなってしまいますからね。
今の世の中、議員さん見ても、利害が根本にあるので、全て「言い方」が変だ!。針は頭が良くはありませんが、少しは老子の言う、無為自然に近付けたいもんであります。
無為自然でいると、嘘をつく必要がない。分相応の生活をしていられるから、「足るを知る」事が出来る。それに満足しているから、人の生活を羨まない。なんて、気楽な人生じゃないか!。
老子曰く「天下に水よりも柔弱なるものなし」こんな心で生活出来たら、なんと身が軽く過ごせるんじゃないでしょうかね。
あはは、柄にもない事言っちゃったね。笑止笑止。ま、これは針の独自の思いなので、余り深く考えないでくれよな。