いやー、やっと暖かくなってきましたねー。で最近やっと黄砂とPM2、5の話題が少なくなった感があります。中国の公害はみるも無残な結末が待っているかもね。中国は外に活路を見い出さないで、もっと内なる改革をしないと駄目だ。あれだけ尖閣でギャーギャー言っているのに、川崎とか四日市の公害改善を視察に来るなんて、なんていう恥さらしだ。私が中国人だったら、金輪際、外に活路を見出しませんね。共産党の御馬鹿さんも、もっと国民を大事にすればいいのにね。
中国という国は、何かしてもらっている時、相手に頼んでいる時は、従順な顔をしているのに、その援助なりが無くなって、ちょっとでも自分たちの気に障ったり意にそぐわないと途端に自分達の面子を潰されたと思うみたいだ。これじゃ「義」とか「恩」とかうるさいのに平気で破る民族なんですね。つまり恩知らずだと言う事だ。
これは、忘恩の徒が余りに多いので、必然的に生まれてきたといってもいいね、論語等、諸子百家にしてもそうだ。国民が駄目だからそれを窘める為に生まれた文学とも言える。
大体、江沢民が鉄道省の汚職の中心にいるようじゃ、先が見えているぜ。江沢民が自分の汚職をごまかす為に反日を画策する」なんてありもしないと思うが、今の中国だと、「平然としてやりかねない」感じがするのも不思議じゃないね。
と、針は今の中国は大嫌いだけど、昔の古典を紐解くのは好きです。もっとも中国国民も、いまの中国は好きではないと思うけどね。今の中国国民も共産党の国家が自分たちの住んでいる古来からの国土、自分たちが思っている国家とは、別の物だと区別しなきゃ駄目ですね。
古来、中国は専制、君主と色々欠点も多かったが、優れた民族で、確かに「中華」という言葉を使うに相応しい国だった。漢詩にせよ、諸子百家にせよ、その思想は羨望の的でもあり、それが羨ましさが極まってかつて日本は中国に侵攻した裏にはあったと思う。また、気概・義侠心という素晴らしいものを持っていた。でもその反面、共産党の汚職、賄賂等、百年河清を待つ位,治らない体質も持っているね。
まあ、今の中国の悪口はこのぐらいにしておいて、逆に古い中国、古典は好きですので、またまた、月下獨酌 (其の参)の紹介です。
(其の三)
(壱) 三月咸陽城、千花晝(昼)如錦。誰能春獨愁、對(対)此徑(径)須飲。
(読み)三月咸陽城、千花は昼、錦の如し、誰が能く春、独り愁う、此の花に対して徑(ただちに)須く(すべからく)飲むべし。
(意味) 三月の咸陽城、花咲き乱れて、昼は錦の如し。誰が春独り愁えていられよう。この花に向かってはごたごた言わずに何はともあれ飲むべきだ。
(弐) 窮通與(与)修短、造化夙所稟。一樽齋死生、萬(万)事固難審。
(読み )窮通與修短と、造化の夙に稟(ひん)する所。一樽死生を斉しくす。萬事固(もと)より審(つまびら)かにし難し。
(意味)貧富と栄達。長寿と短命は造化(神)のつとに授かる所どうにもならない。一樽の酒は死生を一様に思わせる。むろん世の中は不可思議な事ばかりだが、
(参) 醉(酔)後失天地、不然就孤枕。不知有吾身、此楽最(爲)為甚。
(読み) 醉後、天地を失い兀(こつ)然として孤枕に就く。吾身有るを知らず、此の楽しみ最も甚だしと為す。
(意味) 酔った後は天地の存在を忘れ、正体なく独り枕に就いて、吾身の有るのも知らぬ。此の楽しみこそ、最も甚大なものである。
咸陽城と言うのは昔、秦の都のあった処。王維の元二の安西に遣いするを送るで、有名な「渭 城」のある辺りね。齋死生とは道教で生まれるのを喜び死ぬのを悲しむ」という事を止めて、同じ事だとする考え。酒を飲めばぜひ善悪を忘れて、万事を斉(ひと)しく見る事が出来る。死生さえも一つに見る
酒を飲む事は一種の現実逃避と言われちゃしょうがないけど、美味しく楽しい、ひと時を過ごして、空っぽの頭になれるのはいいじゃないか。酒を飲むのに理屈はいらないのさ。