針の小学校の時の話し。針の母は実家が静岡県の沼津だったので、春、夏、冬休みには、同い年の従兄弟がいあたもんで、毎回遊びに行っていました。特に夏休みは蝉取り、クワガタ、カブトムシ魚釣り、海水浴田んぼで泥鰌取り、ザリガニ取りと枚挙に暇が無いほど、遊びにあそんだもんだ。
小学校の4年生の時に、母親が具合が悪くなり、結核と間違われたが実は「肺臓ジストマ」で北里病院に長期入院した為、成績が中の上位だったのが、燦燦たるものになったんだ。
その後母親が退院してきて、成績が落ちたのを心配して麻布一の橋にある進学塾に入れたもんだ。その塾成績がトップクラスしか入れないところに母親が「出来る人間の中に入れていれば成績が良くなる」んじゃないかととんでもない勘違いで無理やり頼み込んで入れてしまったのだ。
その塾、算数で分からなかったら、何かにつけて「図・絵」を書けって言うのみで決して教えてくれないのよ。出来る奴なら簡単なヒントで分かるのかも知れないが、程度が知れた針にはなかなか終わって帰れない。
東京タワーの傍の麻布小学校から終わって六本木の家に帰ってから麻布一の橋の塾に着くのが4時20分頃、出来る子は5時半には終わってさっさと帰ってしまう。その後6時から、受験クラスの6年生が来てそのお兄さんが9時頃終わっても出来ないから帰してくれない。12時近くなって、ブツクサ文句を言われてやっと帰してもらえるんだ。4年生で夜の12時だよー。(怒)
ある日、大学生のアルバイトさんが「塾長、少しヒント与えてもいいですか?」と聞いたら「いいのよ、この子馬鹿だから」だってさ。今なら、パワハラで問題になるよね。
針のタイプは少しずつ教えてもらって、だんだんと出来てくるタイプなので、最初からただ、教えないで考えさせると言うだけでは、ここの塾、ちょっと教え方に問題があるかもしれないね。
国語、社会、理科に関しては覚えるしかないので間違えたのを先生が線を引き、それを20回書いて見せて暗記して先生の前で答える。合っていると、帰してくれるので、比較的明るいうちに帰る事が出来るんだが、算数はいけない!。もう泣きたくなる気持ちだったが、親がこうと言ったら聞かない親だったので逆らう訳にいかない。
とうとう針少年は家出に近い行動を取る事になったのである。つまり塾に行ったと言って藪下の釣堀でサボったり、友達と野球したりして、暗くなると家に帰ったんだ。「今日は比較的早いんだね」なんて言われてさ。大嘘さ。そしてとうとうサボっていたのがばれたんだ。そうしたら親はどうしたと思う?。
手帳を用意して、家を出た時間、塾を出た時間、家に着いた時間を付けやがった。それも万年筆でね。何故かって言うと、針が自分で書くかも知れないからだ。
塾に通っていても出来ない事には変わりがない。嫌で嫌でたまらなかった。再びバックれて、針が取った手段は何だと思う?。丁度南山小学校の所で、恰幅のいい、オーバーコートを着ている見るからにお金持ちに見れる紳士が来たので「この人なら万年筆を持っているに違いない」と思って声をかけて貸してもらった。
その叔父さん不思議に思ったらしく「何で万年筆なの?。」と言うのでかくかくしかじかと答えたもんだ。全く小学生にこれだけの「嘘」を付かせる本当に酷い精神的虐待だったと、思うのよね。小父さん曰く「君も大変だねえ!、頑張ってくれよな」
今から、思うと「良くグレなかったもんだ!。」
こう見えても、中学の時は多少理解が出来ていたらしく、卒業時は学年で6位だったんだよ。でもその後がいけない!。何と数学のベンコロ先生(便所コオロギ)の授業がうるさくて、良く分からない。それが祟って初期は零戦の連続と相成った。
こりゃーやばいぞ!。勉強しても良く分からない。いい点数が取れない事が続いた訳ね。何か、「こういう出来なくなる、ストーリーが予め設定されている」そんな感じだ。
そこで針は考えた訳だ。「所詮勉強しても俺の頭はこんなもんか?。」って。何か人に勝るものは無いかと思っていた時に、現代国語の先生が何故か「漢文」と百人一首を利用して脱線授業が始まったんだ。
最初に会ったのが、論語。「いい事書いてあるなあ!」と感動した訳だ。「これが俺を救ってくれる!」「弱い心を少しは強くしてくれそうだ。」と。それに漢詩もね。漢詩と言うと詩吟を想像するけど、歌うなんてことはしないよ。内容が問題だ。
中国文学は表現が大袈裟だけど、裏を返せば雄大なんだ。チッチャイ事に気を配らない。針は中高のころから、老子、荘子がすきだね。針の読書力は三国志(全訳)、西遊記(全訳)、三侠五義、それに三銃士(11巻)皆活劇ものじゃないかって!?。そうね、単純だけど、その位の方が、心を高揚させてくれるんだ。何も難しい哲学書を読んで、自分は「頭が良くなった」なんて思わなくていいんだよ。
大体塾にくる以前に家庭教師に付いて勉強している奴らばかりだ。そんな受け売りで勉強出来てもしょうがないね。偉くもなんともない。
そこで青春の真っ只中で悩みを多く抱えている諸氏に偉そうに一言。自分の不遇を決して嘆かないようにしよう。学業も大事だがそれだけでは人間価値を決められない。教養は大事だよ。色々な事を書物・仕事から学んでそれが多ければ、判断力が増すからだ。でも人間社会に出てナンボだ。歯を食いしばって頑張ろう。ただね、人生何度か辛い事が起きる。人間その人に合った、絶対に克服できる関門なんだ。
針だって何とか生きて来れたんだから。世の中自分に自信持っている奴なんかそういない。いるとすれば、おかしいんだ。辛い時はその場踏みでもいいじゃん。進む時はナメクジの様でもいいじゃん。マイナスの方に向かない事だ。後で振り返ると何と他愛のない事で悩んでいたんだと思える。そんな記憶だけで勉強出来たって何の意味もないね。
だから今の官僚なんか目先の議論だけで法律作っちゃうから頓珍漢なんだ。