山行(さんこう)は、晩唐を代表する詩人のひとり、杜牧(とぼく…803~852)の詩です。杜牧の代表作の一つ[江南の春」が春の詩であるのに対し、こちらは秋の美しさを愛でた詩です。
山 行 杜牧
遠上寒山石径斜 遠く寒山に上れば石径斜なり 人気のない寂しい秋の山を遠く登れば、小石の道が斜めに続いていき
白雲生処有人家 白雲生ずる処人家有り 白い雲の湧くあたりに人家がポツンポツンと見える
停車坐愛楓林晩 車を停めて坐に愛す楓林の晩 夕暮れ車を停めさせてしみじみとカエデの林を眺めると
霜葉紅于二月花 霜葉は二月の花よりも紅なり 紅葉した葉は春の桃の花よりも赤い
「寒山」は「人気(ひとけ)のない寂しい山」。「石径」は「石の多い小道」。「遠」は山の高さを示しているのでしょう。頂上がはるかかなたに見える人気のない山に登ると、石の小道が斜めに続いている、という情景です。白雲生処」とありますからだいぶ高い所です。そこに人家が見えるのです。立科の針の家がある処位かね?。
杜牧はえらいお役人さんなので「車」で行くのですね。どんな車なんでしょうか。昔の中国を描いた映画などに人をかついで山道を登っていく映像があり、どのようにして登っていくかというと棒に椅子のようなものをくくりつけ、そこに人が座って棒の両端を人がかついでいくのです。ただそれですと「車」とは呼べず「輿(こし)」になります。この詩では「車」となっていますから車輪がついているのでしょう。人が後ろから押す手押し車のようなものだったのかもしれません。もしそうだとするとそれほど勾配のキツイ山道ではなかったのでしょう。「坐」は「そぞろに」と読ませ、「なんとなしに・そのまま・うっとり」などの意味を持ちます。
「楓林」は「カエデの林」。「晩」は「夕暮れ」。車を停めさせてそのまま美しい夕暮れのカエデの林を眺めたのです。「霜葉」は「霜にあたった葉」で紅葉した葉っぱのことです。
「二月の花」は「旧暦2月のころ咲く花」ですから桃の花でしょうか?。紅葉したカエデの葉は真っ赤に燃え、春の桃の花より赤い。この最後の句にこの詩の命があって、前3句はこれを言わんがための前置きだ、とする評者もいます。確かに色彩のない前3句からこの4句に来るとパッと別世界に入り込んだような艶やかさがあります。
このように色彩のあまり感じられない描写から突然目の前が開け鮮やかな世界が広がる…という描き方は中国の詩文にときどき出てきます。典型が陶淵明の『桃花源の記』です。トンネルを抜けるとこの世離れした美しい村里が現れてくる…。
人の胸を打つ表現は時代を越えて別の詩人にインスピレーションを与えていくのでしょう。
民国時代に活躍し、中華人民共和国時代も生きた作家・茅盾(ぼう・じゅん…1896~1981)が1946年に小説『霜葉紅似二月花』を出していますが、このタイトルはこの『山行』から取ったものです。革命を気取ったもののやがて挫折していくプチブル出身の若者たちをこの「霜葉」に例え、ホンモノの紅(共産党)とは異なり、やがてしおれていくとしたのだと解釈されています。元になった詩の雰囲気とはだいぶ異なりますね。
杜牧(と・ぼく…803~852)は晩唐(ばんとう…唐の最後の70年余りを指す言葉)を代表する詩人です。杜甫とは先祖を同じくする遠い親戚です。科挙にチャレンジしても合格できなかった杜甫とは異なり、かなり若くして科挙に合格し官職についていますが、あまり出世はできませんでした。
家族のめんどうをみる必要もあって、都ではなく地方で役人を10年ほど勤めます。当時は都にいるより地方に行った方が収入が多かったのです。この詩もそうした役人時代に書かれたものです。しかし、同じ位の能力を持っていても、その人その人によって、運、不運の差が生まれるのは悲しいもんですね。
針外しは単純なのか、江南の春も山行も大好きな詩です。