針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

猪八戒の思いあがり。

2007-12-07 08:41:16 | 漢詩・古典・エトセトラ

 太陰星君の飼っていた玉兎が下界に下って、公主になりすまし、鞠を投げて、三蔵の帽子に当てて、添い遂げようと画策した時に、猪八戒が「そうとわかっていたら、おいらが行くところだった。

            

おいらがもし綵楼(さいろう)の下に飛んでいって球に当たり、公主がおいらの事をお婿さんにしたら、こりゃ全く申し分がなかろうに。優男で器量良し、話がまとまりゃ後は、皆勝手にお楽しみ!。って訳か。素敵じゃないか」と言ったら、それを聞いた沙 悟浄が、側に行って、猪八戒の顔をツルリとひと撫でして、

 「其の顔で、恥ずかしくないのか。なんて負けん気の強い奴だ。三匁の銀でヨボヨボの駄馬を買うー乗る身が自慢とはお前の事だ。お前が球に当たったら夜通し疫病神を追い払う御札を焚いても、もう手遅れってなものさ。誰がお前みたいな、縁起の悪い奴を家に入れるものか」

 これは、 沙 悟浄が猪 八戒の醜男振りを痛烈に扱き下ろしたものです。 猪八戒も自分じゃー、色男と思っている。八戒は自分の顔の事でさえ忘れている。顔は自分で見れば判断は出来ますが、人は客観的に自分を判断する事に慣れていません。
(←おやおや、強引に話しを引っ張っていきますなあ!)。

 人は物事を判断するのに主観で述べたり、見たり聞いたり、書いたりしますが、狭い経験だと、話しになりませんね。これは、わがままにも結びついて、自分勝手な論法を展開します。

 次に客観的に、色々な方向から見て物事を見て意見を述べるようになります。人生では、色々の経験を得るのはなかなか出来ないのでそれを補うのは、「本」ですね。ただ、いろいろな考えが入るのはいいのですが、人の意見の受け売りですから、人から、反論されると、自分というものがないので、すぐに崩れてしまいます。

 最後はその客観的な見解の中から、(自分の腹の中で十分こなして、)主観を打ちだす。自分の意見を確立出来ている人が「語るに足る」人物となる訳ですね。

 逆に主観で経験値の低い人は「黄嘴の豎子(黄色いくちばしの青二才)、共に語るに足らん」となるわけです。「燕雀安知鴻鵠之志哉」(←話しが飛びすぎだろ!(怒)なんて言葉があります。「お前ら木っ端雀に我が志なぞ分かってたまるかい。」という意味です。まあ、これは話しが飛びすぎですけど、少なくとも「好漢惜しむらくは思慮が足らん」てな事になってしまいますね。はてさて、皆さんはどのスタンスで物事を語っているのでしょうか?。

コメント (4)
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