王 維(おう い、生卒年は、『新唐書』では701年~761年以降の記述は一応『新唐書』に準拠、(長安元年から上元2年)は、唐朝の最盛期である盛唐の高級官僚で、時代を代表する詩人。また、画家・書家・音楽家としての名も馳せた。字名は摩詰、最晩年の官職が尚書右丞であったことから王右丞とも呼ばれる。本貫(出生地)は太原郡祁県です。
同時代の詩人で李白が“詩仙”、杜甫が“詩聖”と呼ばれるのに対し、その典雅静謐な詩風から“詩仏”と呼ばれています。南朝より続く自然詩を大成させた。韋応物・孟浩然・柳宗元と並び、唐の時代を象徴する自然詩人です。とりわけ、王維はその中でも際だった存在である。画についても、“南画の祖”と仰がれています。
王維は、仏教を信奉し、乱の際に「香水銭」(これ何だか分かりません)と呼ばれる授戒による軍費調達によって粛宗の信任を得た荷沢神会(かたくじんね・人の名前だよ。禅僧。荷沢宗の開祖。)の支持者の一人であった。そのため、なまぐさを食べず、派手な服装はしなかったと伝えられる。また、早くして妻を亡くしたが、以後、再婚せず、30年間、独身を貫いた。
王維はその高潔清雅な性質と作品群によって、後世、高い評価を受けていたが、朱熹のように「其の人既に言うに足らず、詞も清雅なりといえども、また萎弱にして、気骨少なし」という評価や、清代の徐增からは「天才は李太白(李白)、地才は杜子美(杜甫)、人才は王摩詰」という評価も受けている。
代表作
送元二使安西は以前にやったので此処では省きます。どちらも「唐詩三百詩」の中に入っています。
鹿柴
空山不見人 空山 人を見ず ひっそりとした山に人影もなく
但聞人語響 但だ人語の響きを聞く ただかすかに人の声だけが聞こえる
返景入深林 返景 深林に入り 斜陽が深い林の中に差し込み
復照靑苔上 復た青苔の上を照らす また青い苔の上を照らし出す
朱熹が王維に対して批判的ってありますけれども、誰だって自分の作品が並外れて秀作だと認識して詩を作っている奴なんかいませんよね。その時の情景とかを皆と分かち合って詠っていればそれでいいじゃないか。
自分の気持ちに素直になって詠んでいるので、邪推な面は無い筈でありますね。この「鹿柴」だって私たちが素直に見て詠んで「いい」と思えばそれでいいじゃないか・・です。
だから針外しは「佳作」とか「優秀作」とかの判断・評価をする奴は嫌いですね。ケチを付けようとすればいくらでもできます。そんな事よりも、この詩で同じような気持ちにさせてくれる、持たせてくれる方をえらびます。兎角、例えば野球界にしても「一億総監督」で批判ばかりしているよりも、野球をやって楽しむ方がよっぽど「マシ」ですね。もっと風情を楽しんで、「粋」な気持ちを持ちたいもんです。
漢詩の良さってそういう所にあると思っています。