チベット問題
中国によるウィグル自治区 チベットの侵略は目に余る問題ですね。針外しが「ラマ僧」の文字に接したのは学生時代、「ダライ ラマ14世」のインドの亡命の時だった。
チベット仏教にもとづく、政教一致の文化をもつチベット人が中国からの独立ないし高度な自治を求めていることから生じている紛争、および諸問題。近来、当局に抵抗する僧侶の焼身自殺が頻発し、チベットでの宗教や自由への圧迫が人権問題だとして国際問題化している。
宗教指導者ダライ・ラマ14世は1959年にインドに亡命、ダラムサラに亡命政府(ガンデンポタン)をつくっている。中国に住むチベット人は682万人、うち270万人がチベット自治区に、他は青海(せいかい)・甘粛(かんしゅく)・四川(しせん)・雲南(うんなん)などの自治州に住む(2010年中国人口センサス)。
中国共産主義の欠点は自分勝手な論法でチベットが嘗て中国領だったとか、だと「相手の事などお構いなし」に越境して中国による自治を強要したりすることだ。これは現代に至っても未だその傲慢さは変わっていない。
中国はまだ文化的に見ても途上国だ。いくら飛行機や車、船を他所の国の技術を「パクっ」ても人間の頭のレベルが付いていけてない。そのレベルで他国を配下に置こうとしているから始末に悪い。
チベット問題は新疆(しんきょう)ウィグルや内モンゴルの問題より複雑である。まず「実際上の独立」の歴史が長く、中華人民共和国になっても1959年3月の反乱でようやく本土への統合が始まり、行政系列に入ったのは1965年にチベット自治区ができてからである。次にチベットがもつ政治的、宗教的、文化的特殊性、さらには海抜4000メートルを超える自然の要害という条件も統合をむずかしくしている。
また、「チベットとは何か」が中央権力とチベット人の間で異なっている。ダライラマ14世・(チベット亡命政府が主張する「大チベット」構想では)、ウツァン(中央チベット)を囲む周辺チベット(アムドは青海ほぼ全域と甘粛の一部、カムはかつての西康西部、いまの四川西部と雲南北部)に多数のチベット人が散在し、彼らは「大チベット」「チベット人がすむところ」が「チベット」だと考える。つまり、三つのチベットがあることになる。いまの自治区の2倍の領域である。1987年以来、ダライ・ラマ14世は、この「大チベット」を念頭に、「中国との提携関係のもとで」「民主チベット、核兵器のない中立のチベット」を求めている。他方、中央政府のいうチベットはチベット自治区に限られる。
1951年の中国人民解放軍のチベット進攻後、チベット側3方(ダライ・ラマ勢力、パンチェン・ラマ勢力、アワン・ジグメNgapoi Ngawang Jigme(1910―2009)勢力)と中央政府の間で「17条の和平協約」が結ばれ、チベットが「共和国の大家庭にもどった」ことが確認される一方、チベット地域の当時の政治制度、宗教制度は変えないことが約束された。だが、1957年から情勢は激変する。「民主改革」、農牧業の集団化が始まるのである。
1959年3月、ラサを中心にチベット仏教僧侶、旧支配者が反乱を起こした。中共当局がダライ・ラマ14世を観劇に招待すると、「ラマが北京(ペキン)に拉致(らち)される」と考えたラサ住民(一説では3万人)がノブリンカ離宮を包囲、「チベット独立、漢人は帰れ」と騒いだ。離宮では旧チベット政府のカロン(閣僚)が人民会議を開き、チベット僧俗人民の名で政教一致のチベット独立を宣言した。
中国中央政府は、旧チベット政府軍と武装した反乱者(一説では7000人)が人民解放軍に抵抗したので、3月20日解放軍が5000人のチベット勢力を殲滅(せんめつ)したという(死者は545人)。この間にダライ・ラマ14世は5000メートルの山々を越えてインド北部に脱出、チベットの事実上の独立の歴史や、中共によって1951年協約が反故(ほご)にされたことなどを国際社会に訴えた。
このチベット反乱の背後には、カム、アムドで土地改革、農牧業の集団化、宗教的特権の廃止などが始まって旧社会を破壊し、旧支配者や僧侶が「衛教軍」などをつくって抵抗したことがあり、チベット社会旧勢力の多数がこの反乱に加わった。対して中央政府は、1959年から1962年にかけて人民解放軍が熾烈(しれつ)な殲滅(せんめつ)作戦を展開し、おびただしい死者を出した。毛沢東が一方で10代の見目麗しい女子を「房中術」と称して毎晩「夜伽」をさせていた。(長江の鮒の数より多かったとさ)
話は変わって当時「カンフー」物が流行り始めまして、「ジミーウォング」の『片腕ドラゴン』が、皮きりで、中の登場人物に「極悪非道のラマ僧」左龍、左虎が出ていました。全くの人格者揃いなのにね。国の息の掛かった民族洗脳(プロパガンダ)によって中国国民から教化されてしまった訳だ。
まだ中国も共和国になりたての頃で香港も「イギリス領」でジミーウォングもこの映画を撮ったのが「台湾」だったそうな。ダライラマとこのラマ僧とのギャップに当時随分と面喰いました。国の立ち位置はその国の人間でないと分からないと言いますけど、今からすると随分と「えげつない洗脳された描写」だったんですね。
こういうプロパガンダに洗脳されているのに「ジャッキー チェン」もいますよね。(もしかしてスパイとして中国共産党に加入しているのかもしれませんが)