今、幼稚園の給食があまりに酷い!というのが問題になっていますが、あらかじめ先に全部が全部そうだとは言うものではありません。
現代の子は生まれてから、物心が付いた頃から勉強勉強に追われて、余暇が出来ると、ゲームばかりして外で遊ぶ事もしない。運動と言えば体育の授業で「駆けっこ」するのが関の山。
確かに昔はテレビが無いのでしょうがなくて外で遊ぶしかなかった。当然崖よじ登ったり飛び降りたり木に登って下手すると落ちて痛い思いしたり、色々遊びの中で経験する事が多かった・しかし、これが子供の育成にとても重要な事なんですね。
昔。多摩川の二子玉でバーベキューをしようとした時に、小っちゃい子供が川の中に入って遊んでいる訳だが浅い割に流れが急だった。大人の目の高さだと何でもない流れですが小さい子供達にとってはとても危ないと感じた。なんせ20cmでも溺れる時は溺れるからね。
そういう事を感じるのは長年の経験値からなのだが、今の若い夫婦は外で傷だらけになって遊んだ事もないのだろうね。平気の平左でそれも、目を離してほったらかしでバーベキューの用意なんかしています。
「この子の親はどなた?」「流れが急だから目を離しちゃ駄目だよ」と言ったらやっと我に返ったみたい。今の親はそれを注意しても逆に「煩い」と恨みがましい顔をする奴がいるほどだ。
そんなだから、今回の園児にスプーン一杯の給食を与えたりするような、園長がうまれてしまったりする訳だ。「一体何を学んできたのか?」と言うのは、学校の勉強、試験勉強の事を言っているのではないぞ。
学校や、進学教室での試験で100点取って誇りに思うのはいいけど、社会勉強の方はどうなってるんだ?」むしろ社会に出るとそういう方が役に立つ。
官僚という奴は、その典型だね。そりゃ、親とすれば、学歴を取って官僚に成りさえすれば、一生食い扶持には困らないしね。例えは辺ですけど、新築の家を建てる時に、設計図だけではどういう風に建つとか、間取りとかが実際に見てみないと、実感が沸かないし、いざ建ってみると、自分の創造とは、かけ離れたものになっている事が多いね。学歴だけで暮らしてきた官僚。最近の警察だって警察官の点数制度。昔は交通違反しても「駄目ですよ。次回からは気を付けて下さい」って言って許してくれたもんだ。今はちょっと何かしてもすぐに検挙する方向性だ。
官僚も学校の勉強ばかりしてきたから、」やってる事が「マニュアル」ばかり。頭でっかちで現場の意見なんか聞こうともしないから、出来上がったものが「頓珍漢」だ。恥ずかしくないのかね?。
子供の教育もそうだ。出来損ないの小僧がいったん出来上がってしまったら、もう元に戻すことも教育も出来ないね。
子供という生き物は天使と悪魔が同居している。悪い事をした子供がいたら、昔は近所の子でもひっぱだいたもんだ。それができない場合、「お前のとこの小僧が悪さしてるぞ!」と聞けば親が飛んで行ってひっぱだいた。
勿論愛情があっての話だけど。子供はひっぱだいて育てるというと、虐待に近い位暴力をする親がいるけどそれは駄目だ。感情に走っては駄目だ。反面何もしないで口だけで小言を言っても子供には伝わらない。爺さん婆さんが孫可愛さに何でも買ってあげるのを聞きますが、最低だね。
もっと自然に触れさせて、色々な体験をさせてあげましょうよ。