高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

自然遊びのススメ エコツーリズムと地域

2019-12-25 10:42:41 | コラム風味

自分のやりはじめた仕事が、自然体験型と言っていい環境教育活動というものでもあると認識・自己受容してからエコツーリズムという概念に出会った。エコツアーなるものが世界にはあるが、自分がやっていることをそう言い切れなかった。 なので、ネイチャーツアーと称して、「北海道のエコツーリズムを考える会」を北大の小野有五先生等と立ち上げて、エコツアーの概念を勉強始めたのは、2000年くらいだったかな。

その頃に書いたエッセイの再校正・・・

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 白い息が小雪に絡むような初冬の朝早く札幌をたった。そのまま小雨の降る東京へ。気温一六度。冬着で新宿の雑踏を歩くのは、まだまだ早い。

 「暑い、暑い」と汗だくの私の横で、「寒い、寒い」と言っている男がいた。彼はなんと、厳寒コートと言っていいような、ぶ厚い上着をきているのだ…。彼は日本の南端、気温二六度の西表島(いりおもてじま)からやってきたシーカヤックガイドだ。そのまた横には、名物の焼酎(しょうちゅう)「三岳(みたけ)」を、ごっそり入れた大きなバッグをゴロゴロ転がす屋久島のネイチャーガイドがいた。お上りさん三人でビルの谷間を見上げながら歩いた。

 小人数でゆく自然の旅のガイドをしている私たちは、それぞれの地元の自然の中ではなく、都会の人ごみの中で会うことがこのごろ多い。エコロジーという言葉が定着し、旅にもこの概念を取りこんだエコツーリズムという主義・イズムがあるのだが、まだまだ知られてはいない自然遊びである。どうも私たちは、旅の「業界」からその実践者であると見なされているらしく、事例発表をあちらこちらで求められるようになっているのだ。

 ところがどうもしっくりいかない。それは旅を売る、旅に参加する都会の人たちに「地域の視点」が希薄に感じられるからだ。都会人にとって非日常空間である私たちの地域への旅。ところが、私たちにとってはそこは日常の生活空間なのだ。都会人のためのストレスケアだけでは、エコツアーは成立しない。そのギャップがもどかしい。

 札幌に帰りつき、ピリリと引き締まる冷たい空気はなんとも心地良い。地元に戻ったペンギンのように元気になる。ここは、自分の地域、住みかなのだ。

[発行日]=北海道新聞 2000年11月29日  2025 12 25  第二稿加筆

[見出し] 地域とは 都会人の非日常 高木晴光(自然遊びのすすめ)/北海道

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そして、20年が経った。 海外からの来訪者も当地には増えた。その旅行者には、我が地の日常圏をツアー資源としてご案内している。海外の人々には日本のローカルでの地域の人々との交流は新鮮でうけているのだが・・、 日本人の来訪者にはなかなかどうように提供できない、集客できないジレンマもある・・。

 

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