高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

いなか暮らし体験

2021-03-23 18:18:06 | 日記



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早春の記憶・蠢く

2021-03-23 11:20:50 | コラム風味

親愛なる三木師匠より、「高木さんの今の役割は記録を残すことですよ」なるアドバイスをもらいましたので、時折このブログで昔話をすることにしました。

***

昭和49年、私は一浪して念願の北海道大学に入学しました。

高校時代に山岳部に在籍していたので、北大では山関係の部活に入部しようと考えていて、山岳部、ワンダーフォーゲル部、山スキー部の部室を回りました。 山岳部は前年に大雪山で大きな遭難があり、その影が残りなんだか空おろそしい雰囲気があり二の足を踏んでしまいました。ワンゲルかと思案しましたが、北海道らしい「山スキー部」の名称に惹かれて入部を決めました。

四月末に新入生歓迎合宿がさっそくありました。しかし、それは山行ではなくて、当時卒業先輩が経営している襟裳にあるユートピア牧場という場所でした。大型バスをチャーターして札幌から部員が襟裳に向かいました。(今思えば、そこは襟裳手前の静内だった)  前年年末のレコード大賞の受賞曲が森進一の「襟裳岬」でした。 ラジオやTV歌番組で 

♫えりもの春はぁ~~、何もない 春ですぅ~♫ が流されていました。

本州は千葉から移住してきた当時の私は、「ほんとうに 何もないんだなあ~。」と車窓から風景を見ていました。

でもね・・、移住して10年を過ぎた頃から、雪北国の初春に生き物の蠢きを感ぜられるようになり、この歌はなんと失礼な感性の無い歌なのだと思うようになりましたな。

その五月に母親が倒れてしまい、その看病に大学を休学することになりました。10ヶ月あまりの闘病(というよりはくも膜下出血で意識なく植物人間となって人工呼吸で生きるだけだった)の末に、オフクロは亡くなり、私は次の春に北大に復学しました。しかし、入部同期の連中は冬を含めたひとシーズンを経て、たくましい山スキー屋になっていました。また1年目として、新入部員と一緒に過ごすことは、とーていできずに、復学してすぐ退部しました。 でも山はやりたくて、社会人山岳会の札幌山岳会に所属することにしました。 次の冬は山スキーの技術もなくて散々な目に合いました。

それでもなんとか、 雪は締まり山スキーも♫丘を滑りて谷間へ、木立ちくぐりていで湯へぇ~♫とはゆかないまでも先輩についてゆけるようになった3月春山。 千葉育ちの私にとっては三月の山はとうてい春とは思えない寒風が吹いていました。 その中で立ち止まったS先輩が 風を受けながら・・、

「風があたたかくなったなあ~」と感嘆しました。

私は、どこがァーと思いつつそばで身を縮めていました。 そして、10年が経った頃から、やっと、先輩のように「おっ、春が来た」と微細な風の温度差を感じることができるようになりました。

今や北国暮らしも40年を越えました。 雪解けの小さな水の流れる音を聞いただけでも、「おっ、春だ!」 土が見えれば、小さな生き物たちが蠢く(うごめく・この漢字は素敵です)のを感ぜられるようになりました。

北国の春は小さな躍動から始まります。

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