ひさしぶりに、道南大沼まで出向いて、セミナー講師をしてきました。 昨年秋に、埼玉でインタプリテーションのセミナーをやった以来だなあ。 長らく自然体験活動をやって来たので、その知見を集大成的に伝えたいという意欲は高まっているのですが、60代後半ともなると、若手が台頭してきているし、あたし自身は賞味期限は切れかかっておって、でもまだまだ消費期限はあるよ的状態ですから、なかなか講師のお声がかからなくなっていたので、ありがたい機会でありました。
オッファーは「アウトドア活動のリスクマネージメント基礎」でしたが、主催者に御願いして「自然体験活動の意義」なる講座コマも設定してもらった次第です。
オッファーは「アウトドア活動のリスクマネージメント基礎」でしたが、主催者に御願いして「自然体験活動の意義」なる講座コマも設定してもらった次第です。
別のプロジェクトで、自然体験活動を創始してきた「環境に良いオッサン化酸素」を吐いてきたもはや爺さん世代の歴史を記録しておこうというオーラルヒストリーなる「聞き書き(される側になったなぁ・・)」取材を受けて、その原稿が上がってきて校生をしたのですが、 この過程で改めて気がつかされたことがあります。
現代社会を作ってきた、今の政治、経済を牛耳る人々は、今や私の世代なワケですが、環境、自然、平和、人権といった大切なキーワードを社会に定着させることができてこなかった・・・・。 そんな人々も少年の頃には私と同じような自然豊かで人と人の関係もあたたかみがあった昭和キッズ時代を送ってきたのに、なぜにして価値観の違いが大きくなってしまったのだろうか・・・・
自然を大切にする価値観、他者への「愛」を育むには、かのレイチェル・カーソンがいみじくも著書「センスオブワンダー」の中に書いていますが、「感動を共にする大人が少なくともひとり必要」なのです。
自分のヒストリーを「聞き出されている」うちに、私のそばには、幼い頃から大人になっても 常に自然に連れ出してくれ、自然の豊かさ、異なるものとのつながりの大切さを教えてくれるオトナがいつもそばにいたんだということに気づかされました。
人生も終盤を迎えているアタシの役割は、そんな機会を人々に少しでも自分でできること・やり方で作り続けることなんだ!!と、思うのであります。
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