高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

今年の初巡業

2015-01-27 15:52:12 | 日記

「高木さんは黒松内にいるのですか?」とよく質問をされます。応えは、「かなり黒松内におります」です。

昨年のシーズン中は5月から特に7、8.9月とは現場のぶなの森自然学校の受け入れ、主催事業が目白押しで黒松内におりましたし、できるだけ、自分の現場にいるようにしています。 それでも数日間での出張旅があります。 今回は今年初の巡業旅でした。 移動のたんびにトラブルに合いながらやっと昨夜帰ってきました。

1月22日 朝6時千歳空港に向かうも、自家用車の燃料がなくて、ガス欠におののきながら途中で戻り、車を乗り換え変えからスタート。

       「走ってください」とグランドホステスのお姉さんに励まされながら、羽田行きの便になんとか乗れました。ゆき先は、「総務省の子ども農山村交流プロジェクト地域活性化モデル事業の報告会。全国から6,7地域が集まっていました。省庁連携で始まったこの事業、子ども達を日本の農山漁村に泊りがけで宿泊体験することを推進しようという全国運動なのですが、もうひとつ盛り上がらない。学校教育(文科省)の思惑、民泊を増やしたいというグリーンツーリズム推進の思惑の農水省の力関係もあるのでしょうが、学校へその意義が広まらない・・・、しかし、これは教育指導要領の改編で「自然体験活動の推進」が明確な方針となり、ちょっと追い風感が出てきています。総務省の思惑は地方創世なのかもしれませんが、私たちは「地域コーディネイターの育成」をテーマに事業提案をしています。従前は農水省系のシンクタンクであった一般財団法人都市農山漁村交流活性化機構(愛称 まちむら交流きこう)が事務局役をしていることでも、国の象徴連携は少しは進んでいるのだなという受け止め肩を私はしています。 こういった交流事業の継続発展のためには、地域内、地域内外の人と人、機関、専門家を繋ぎ紡いでゆく役割が必要なのですが、いまひとつその重要性や仕事ができるようになるまでの過程をフォローするしくみが出来ているとは私には思えません。そんなことを意見してきました。ちなみに総務省側は、総務省地域創造グループ人材力活性化・連携交流志(併)地域自立応援課という部署が担当しています。

夜は、中国自然学校ネットワーク事業の協働体のコア団体、日中市民ネットワークの事務所がある三鷹の沙羅舎のゲストハウス(というよりは、長期滞在を主対象としたシェアハウスかな)にお邪魔して、三鷹の人々や中国人留学生等と交流夕食会。皆さんは、ソーシャルメディアの創造に力をいれています。特にドキュメント映画づくりのネットワーキングです。社会的事業に焦点を当てた映画づくりをし、「三鷹映画祭」も実行しています。その意義についていまひとつピンと来ていなかったのですが、監督達に三鷹の空気の中で話を聞いて、ソーシャルメディアの社会的意義というものがとても納得できました。 こういう人々は北海道にもいるのかなあ・・・。

1月23日は 釧路へ。北海道は大荒れで飛行機が欠航になりそうでしたが、なんとか飛んで釧路へ。この便も研修開催時間に間に合わない便だったのですが、直前に変更できました。幸いというか、悪天候で便が乱れていたので、キャンセルや変更手続き手数料がかからないという九死に一生でありました。

市民活動センターわっとの「防災、災害対策について」の連続セミナーの一環として、東日本大震災の初動支援の頃の私なり、ねおすなりが得た教訓についてお話させて頂きました。 釧路には災害支援ネットワークなるNPO活動も発生しており、まさかの災害についての「心構えづくり活動」を続けていることを実感できました。 夜はわっとの理事長さん等と懇親。

1月24日は、朝寝坊して、一瞬列車に待ってもらうようなギリギリ飛び込みで、帯広へ。いただきますカンパニーの研修会講師へ。関東からのゲストTHKさんが昨夜から同行してくれているので、彼女の機転に助けられました。

同社は、「畑のガイド」という事業展開をしています。十勝の農家を観光客を案内するのですが、私と同年代がガイドさんとなっています。みなさん、独学や研修を受けて、十勝の農業や風土にはとても詳しくなっていますが、子供連れの家族対応が多いので、「いかにして子どもにガイドしたらいいのか」そんな、コツを学ぶような研修会でした。 具体的には、幼児から小学低学年の子どもたちと帯広百年の森(都市公園)で1時間半程度一緒に過ごし、それをふりかえるという手法をとりました。みなさん、子育てもし、社会経験豊富な方々ですから、自分の中に「子どもこころ」をいかにして取り戻すか、子どもの視点や気持ちに寄り添うか、今までの経験に照らし合わせ、今の自分にできることをしてみる、その中で、子どもの心や感性を掴むご自分なりのスタイルを発見するだけのことです。 ちょっとはお手伝いをできたかな。

夜はスタッフやガイドさんたちと私にとっては今年最後の「新年会」に合流させて頂きました。 

1月24日は朝は順調に帯広空港へ。 ところが、取ったはずの予約の決済完了していないとのことで、取り消しになっていた!!!。なんとか、同じ羽田便と、翌日の東京ー千歳の便を取り直すことができました。ということで、東京へリターン。

(一社)日本エコツーリズムセンター(エコセン)の世話人(会員)大会議(つまり総会だな)に参加。エコツーリズム業界?の全国ネットワークは、10数年前になるだろうか・・・、まず初めに、日本エコツーリズム協会(JES)が立ち上がりました。当初は私も参画しました。(今の一応会員ですが)しかし、参画者の多くは観光業や最大手を含む旅行代理店で、現場ガイドや地域活動をしている自然学校とは、水と油ほどではありませんが、どこかなじまない、目的理念がしっくりいかない感じがありました。設立当初のフォーラムや研修会にはゲストや講師でも呼ばれていたこともありますが、日本の旅行業のあり方は「地域の自発的振興にそぐわない、旅行業法や運送業法の緩和など」についてっ噛み付いていたせいか・・・そのうちに及びがかからなくなりました。設立当時に理事就任の打診もありましたが、仲間のガイド達から???をもらい辞退。観光業界の御重鎮から「君たちは仁義で動いているのか」なんて言われたことがありました。

その後、かの広瀬利通大兄が全国の現場のガイドやキーパーソンを束ねて立ち上がったのが、エコセンです。この会議には、実はこれまで出たことがありませんでした。 情報収集も兼ねての参加でした。

 

やはり、空気感とでもいうのでしょうか、この場はとてもしっくりとしました。今後のネットワーキングのコア課題について意見出しをしました。

人材育成、インターンシップのありかた、ライフスタイルの提案、全国山の日(来年からの祝日)への運動、野生動物教育、刃物教育など、上がる話題は、どの参加者も興味津々なカテゴリーばかりでした。 大御所の広瀬さんが病気療養中なので、30代の若手3人が共同代表となり運営をしています。 とりまくオッサン達として、エコツーリズムの発展に何が寄与できるか、大いに考えさせられました・

もちろん会議後は、古くからの盟友との再会を楽しみ、若い次世代との新しい出会いもあり、刺激的な夜を楽しみました。

26日も会議が続き、今度は大きなトラブルもなく、羽田空港からの便に乗り夕方千歳に降り立ったのですが・・・、

駐車中の自家用車のバッテリーが上がってしまっていました。 駐車場のチャージャーでも他の車の力を借りてのジャンプでもエンジンがかからない。 結局ロードサービスを呼びました。あまり気温は下がらず吹雪いてもいなかったので、少しは助かりましたが、旅の終わりもひと苦労して、夜中の10時過ぎに黒松内にたどり着いたのでありましたあ・・・・。

移動はトラブル続きでしたが、旧交を温め、新しい出会いも多く、毎日が刺激的でした。

やらねばならぬことも山積ですが、体がデスクワーク化しない、本日であります。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする