小学生の頃の長期村の参加者だったRINが遊びにきました。 本名は違うのですが、その漢字の音読みで私はずっとそうよんでいました。 三姉妹で皆順番に参加をしてくれました。 大きく美しく成長されたなあ・・と感慨深いです。
いろいろ悩みもあるようだけど、そんなこと微塵も感じさせないような、小気味よい竹をスパット割ったようなコミュニケーションは、心地よさがある旋風のようでした。
また、来てね・・・。
10月7日の夕方にうっすらほどでもないですが、雪が降りました。翌朝は地面の雪は溶けていましたが、車の上や野外椅子などには白いベールがかぶっていました。 二日ほど前に黒松内岳に初冠雪がありましたが、ついに里の初雪と言っていいんじゃあないかな。 冬将軍隊の斥候到来といったところでしょうか・・・。
自然学校とNPOくろす野外計画社の合同会議、私を含めて四名ほどの役員さんしかお集まり良だだけませんでしたが、教育長もおみえになり、今後の自然学校のあり方について、意義ある協議ができました。 結論からいうと、黒松内ぶなの森自然学校運営協議会の解消はありません。しかし、このままではジリ貧しかなく、組織のしくみ、事業内容は変えてゆかないことには持続が難しいとの共通理解。 最近の流行言葉でいえば、「決定なき合意」ということでしょうかね・・。
いずれにしても、不肖、高木は徐々に運営からはフェードアウトの方向へ。 次年度予算計画も現有スタッフのみなさんで知恵を寄せて作ってみましょう。その過程で経営についての理解も深められるでしょう・・と、いうことに。
11月8日
せっかく三木師匠もいらっしゃっているので、自然学校の裏山、通称「清次郎の森」でフィールドワーク。
時折、雪がチラついたり、直径3mmほどのあられ雪が降ったりで、寒いです。 この時期は、身体・気持ちも冬を迎える覚悟のような体勢がとれていませんので、屋外にでると、やけに寒く感じて、身が縮こまってしまいます。
この時期になると、この種がいつも目にとまります。 ガガイモの種の実。
繊細な絹の繊維のような、それよりももっと細長いふんわりとした糸のような羽根が種子から出ていて、実の中にびっしりとたたまれて入っています。 風に乗って飛んでゆく、典型的な風媒花ですが、よくぞここまで最適な姿に進化したものだ。 お見事!!!としかいいようがありません。
進化は偶然のように思われますが・・、あるいは神様が創り出したと思った方がスッキリとするか・・・。
私は、この子達も どうしたらいいか考え姿を少しずつ自らの様子を変えて来たんだと思うんですよね。そりゃあ、頭脳がないのだから思考なんて出来るわけないだろと、一蹴されてしまいますが、もっとエネルギーレベルの段階で、人間で言えばの思考をしているのだと思うんですね。それは人間が決めた時間感覚ではない、もっと長ぁ~い時間の流れの中で、1秒が1万年くらいの・・時間の流れて、あれやこれやと風に乗る方策を試行錯誤してきた結果なのだと思うのですな。
素晴らしい!! ケセランパサラン。
11月3日
「オレのことは書くな」と不満を言われますが、つい先だってネパールでヒンズー教式でも結婚式を挙げた息子夫婦が黒松内へ里帰りしました。 冬はニセコで働くそうなので、しばしの滞在です。
で、今日は家族でBBQ. 日が落ちるのが早くなりました。
11月5日
自作のキャンピングカーを車検に出すために、キャビンを取り外し、予定していたユニック車が借りられなかったので、近所の農家のSさんに出動して頂きました。 よかった、よかった。 車検は余市に一日車検で3,4万円で済むところがあるそうで、即座に、仮車検証の手配をして入庫へ。
イキル力は十二分にある息子です。 世界中を旅しているからなあ・・。 そんな人生が、ちょっとうらやましくもあり・・・。
私のキャンプネームは、以前はTakagy・たかぎぃでしたが、ある夏からJETT・Takagyにしました。古くを知っている、すでに大人になった人は私のことを「たかぎぃ」と呼びますが、ここ10年ほどの子は「Jett」と呼びます。 そして、数年前に中国の昆明 に行った折に、インドヒンズーのお寺があり、そこでガルーダの彫像に出会いました。それが気に入って、目下、私の正式なキャンプネームは、「Jett Takagy Garuda13世」となっています。
ガルーダと同列?の神様に像のガネーシャがおり、そやつも大好きなので、以前に高さ5cmほどの金属でできた象を手に入れて、車にお守りとして飾っています。 同じサイズのガルーダが欲しくて、今回のネパールでも探し回ったのですが、ガネーシャはたくさんあるのですが、どうもガルーダは人気がないらしく見つかりませんでした。
が・・、最終日に泊まった宿で、彫像ではないけれど、立派な壁掛けをみつけましたあ!!!
しかし、ホテルの調度品なので、売ってはくれませんでした・・・。残念。
私たちはネパール旅行不在中でしたが、コスミックダンスカンパニーのKenさんと木村さんが工事してくれていた校舎からキャンプ場への階段が美しく整備され完成をしていました。 工事滞在の最後の夜は暗くなるまで作業をしてくださったとのことです。昨年は薪小屋前に屋根を付けてくれたりと大活躍をしてもらっています。 ほんとうにありがとうございました。
この階段を Cosmic Step(宇宙への美路・みち)と命名しました。
これに味をしめて、来年は、階段となりのドラム缶風呂の台を作り直してもらうかなあ・・・。そのためには穴が空いて使え無くなったドラム缶を新調せねばならぬな・・・。
10月26日の夕方からは 日本でいうところの披露宴。
カトマンズ市内のパーティ会場を貸切で行われたビュッフェ形式の会でした。日本のように司会がいて、スピーチや余興があるわけでもなく、親族や知り合いがバラバラと集まってきて会食をする、延々と記念撮影が続くような会でした。
式にもいたのでしょうが、新婦の親族がたくさん集まりました。輪になってどういう関係かを説明されましたが、一気には覚えきれません。 てっきりお父さんと思っていた人が叔父さんだったり・・、新婦は弟ひとり、妹ひとりなのですが、お父さんは四人兄弟、お母さんは三人姉妹かな(それもよくわからない・・・)、新郎の息子も親族関係がまだわかっていないらしい・・。ともかくも写真のように、ネパール人親族がいっきに増えました。
嫁のRadhikaにとっては、自国のヒンズー教儀式で親族みんなから祝福を受けてよかったです。 息子・北斗はネパールと日本をいったりきたりの生活になると思いますが、ネパールにいれば、この大家族のなかの逆異邦人となるわけで、それはそれで大変だなあ・・・。 翌日、お会いしたRadhikaのお父さんとは別れ際にハグして、思わず「よろしくおねがいします」と涙ぐんでしまいましたがなあ・・・・・。
私のFacebookでも一気にネパール人の友達申請が増えましたが、とりあえずFamily name が Sapukotaさんだけを承認しております。
新夫婦は、冬は(実は明日にでも日本へ)ニセコで働き、夏はネパールやら海外旅生活をこれまで通りに当面はしてゆくようです。ジジとしては、孫の顔を見たいのですが、それには生活場所をそろそろきっちりと決めないとね・・・。まっ、私たちを離れたのですが、ご自由にというところですが・・・。
ともかくも、大きな親族行事を終えました。次は次女の第三子誕生待ちだなあ・・。 どうも、待望の女の子のようです。
全ての孫たちが小学校に上がるまでは、少なくとも頑張ろうと思う秋のジジイであります。
カトマンズでは、Kathmanzu Guest Hauseに宿泊しました。 ここは私が40年以上も前の学生時代に始めてネパールを訪れた時に宿泊した宿で、北海道大学の山岳や学術の遠征隊もよく利用し、三浦雄一郎さんやラインホルトメスナーの定宿でもあります。 昔は、平屋(2階建てだったか?)で、庭も心地よい、まっ、ネパールとしては小奇麗ではあっても安価で学生放浪者でもちょっと贅沢をして泊まれるようなまさしくゲストハウスだったのですが、今やカトマンズでも超一流とは行かなくても星4つくらいにランクされているようなホテルクラスになっておりました。 上手に経営規模拡大してきたんだなあ・・、と感慨ありました。
せっかくネパールに来のだから、やはりヒマラヤの高峰は目の前で拝みたいということで、奮発してヘリコプターチャーター遊覧へでかけました。世界で一番綺麗な谷と言われるランタン谷へ。ほんとはエベレスト方面か、滞在でポカラへ行きたかったのですが・・、ご予算の関係で、往復2時間フライトでした。
ランタン谷は、数年前のネパール地震で大規模雪崩が発生して村が壊滅したことがありました。その村は、今回着陸した、ギャンジンゴンパ村のたぶんひとつ手前の村だと思います。(上空から土石流の形跡が見えました) 息子北斗はちょうどその折にネパールに滞在しており、ひとりランタン村の復興支援(道路復旧など)をしました。その時期にネパール娘と知り合ったようです。(彼女はカトマンズで働いていましたが・・) 実家のSapukota家も このランタン谷の入口付近の集落らしいですが、今は多くの親族はカトマンズ暮らしです。
ヘリコプターは折り返し地点で一度着陸すると聞いていました。「世界で一番美しい」なんていう触れ込みがあるので、白亜の高峰に囲まれている集落だと勝手に想像を膨らませていましたが、その懐はまだまだ先でした。
が、ランタンリルン(7000mくらいかな)の頂きは拝めました。右側の白い山頂。 この集落も地震で建物は倒壊したらしいですが、3階立て、4階立てのビルが復興していました。この地で富士山よりちょっと高い4000mくらいの標高です。集落中をちょっと歩きましたが、息切れをしてしまいます。 もともと4000mくらいで高山病症状がでることは過去2回経験しているので(軽い症状で血中酸素濃度が低くなりドキドキハアハアとなる・・)
もう、奥地へのトレッキングは無理だなあ。