2011.2.6(日)晴 朝の外気-2℃
讀賣新聞のUSO放送に投稿してもちっとも採用してくれないので、じょんのびUSO放送で発表しよう。
データ残存
最近ケータイの投棄が多いのよね。
隅田川のかっぱ
誰でもが当然のごとく知っていたことをあたかも突然起こったように振る舞い、連日のように話題になる日本って、不思議な国だと思わないかい。
さて、雨読の続編だが丹後地方については天橋立トライアスロンの思い出がある。
20数年前第3回から10回まで大会の運営に携わることとなった。特に当初のミニトライアスロンからオリンピックディスタンスへの変更、国道バイパスの新設などによりラン、バイクコースの変更新設を一人で担当することとなった。毎週丹後に通い、宮津、伊根、岩滝、野田川、加悦方面を走り回ることとなった。自家用車で距離を測りながらコースになりそうな道路を走り回るのだが、同じところを何度も廻ったり、停まって写真を撮ったりするので怪しまれてパトカーに追跡されたこともあった。トランジションエリアが176号線の道の駅(当時はまだ無かったのだが)の近くだったので、明石、温江、香河の辺は特に細かく回り、地元の人よりも詳しく地理を知ることとなった。そこには多くの古墳があり、その間を縫うようにコースを作っていたのだが、古代の文化についてまるで興味のないときだったので気にもしなかったのである。またその辺りが丹後の古代文化のひとつの中心地でもあることが今になって分かってきた。横目で見ていた古墳は蛭子山一号墳で、何と145mの巨大前方後円墳である。
この地は大江山の北西麓に当たり、近くでは日本冶金のニッケル鉱山が操業していた。金屋、湯ノ谷などの製鉄をにおわす地名も残り、古代の海人族による稲作と製鉄に依る文化が定着していたのだろう。そしてなにより大陸、半島に直結していることが最も有利な条件であると思う。それらのことは伴氏の地名探究の論文にも書かれている。
地名探究と歴史読本。
本書は私が知りたいと言うこととは少し方向が違っていたけれど、古代の丹後を探る上で参考となるものであった。
【作業日誌】
ガーデンシェッド、ドア枠作製