晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(37) 鬼伝説 2/11

2011-02-11 | 歴史・民俗

2011.2.11(金・祝)曇

 大雪の情報だったが、うっすらと雪化粧というだけで助かった。南部の方は積雪があったようで、皆が喜んでいる報道を見て複雑な気持ちになる。

 前回、明治期に邪神として排除された神社の文献などと言っていたが、読み直してみると明治期ではなかったので訂正する。「古代の朱」(松田壽男著)の中の「水がね姫の変身」という項にあるのだが、水がね姫とは朱砂の女神ニウズヒメのことである。朱砂の採掘を生業としていた村人がやがて農民に変わってしまい、一体何の神さまか分からなくなったという話だ。そのために「不祥の淫祠」として丹生神社ごと消滅させられたという事実である。正徳二年(1712年)ということだから、明治期の神社明細帳、廃仏毀釈とは無関係である。
 ところが明治政府により国家神道が形成されるにあたって、神仏混淆では具合が悪いので仏教部分を神社に変えたり、祭神を変えたりした事実はあったと言われる。
 丹後風土記残欠に関する加藤晃氏の論文(2011.1.20参照)の中でも明治新政府による廃仏毀釈、国家神道の形成のために、村の氏神にいたるまで古事記等の神話体系の神々を祀ることに偽造されていった、という風に書かれている。上林の中小の神社において祭神が過去の天皇になっている例がいくつかある。これらは明治期のやむにやまれぬ理由があるのかも知れない。特に聖神社のように江戸時代の天皇を祭神としているのは何かあると勘ぐりたくなるのである。
 祭神が藤元善右衛門氏というのはともかく、大蜘蛛の霊も祀ってあり、別名大蜘蛛神社というのは政府に報告するのはまずかったのではないだろうか。
 しかしこのことは神社明細帳に「御加宜神社、祭神仁孝天皇、云々」と実際に書かれているのか、あるいは村の人や神社関係者がそのことについて認識しているのか確認してからでないとどうこう言えないことである。
 順次確認調査していきたいが、なによりも知りたいのは、末社二社祭神不詳とあることだ、なんとか調べる手だてはないものか。つづく
(大唐内のこと(36)は2011.2.10)

【作業日誌 2/11】
ガーデンシェッドドア作製、飾り窓切り抜き、塗装Img_2336
Img_2340

借りてきた電動糸鋸で板を切り抜く。


今日のじょん:「おとーさん大変、芝生がえらいことになっている」てんで行ってみると、雪解けで出てきた芝生に縦横無尽に溝が掘られている。獣のようでなく、これはきっとモグラだろう。本来は土の下に掘るものを、積雪があるので表面で良かったわけだ。じょんは知らん顔しているが、これも雪の被害だなあ。Img_2343


うへー、なんじゃこりゃあ。




 

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大唐内のこと(36) 鬼伝説 2/10

2011-02-11 | 歴史・民俗

2011.2.10(木)曇、雪

 雪解けの記事を書いたらいきなり雪が降ってきた。そろそろ大唐内や有安に行けるかなと思っていたらこれだから、やはり行動は3月になってからか。
 大唐内の聖神社の祭神は藤元善右衛門氏である。和泉市の聖神社が発行する「聖さん」という広報紙には、大蜘蛛を退治した救難の英雄、貢献者であるから「聖」とは聖人信仰の現れだろうと書いている。また大蜘蛛の霊を鎮める大蜘蛛神社という別名もあり、故屋岡町の白髭神社の分霊を合祀したという説もあるようだ。
 ところが神社明細帳に基づいて各地の神社を紹介しているサイトを見て仰天する。大唐内の聖神社は、「御加宜神社」、祭神は仁孝天皇(にんこう)となっているのだ。写真を見ると確かに聖神社だし、住所も間違いないようである。神社明細帳とは明治時代に神社の社名や祭神、祭事、由来等々の情報を報告するよう内務省達が出され、京都府に保管されていると言うものである。総合資料館にでも行くと閲覧できそうだが、今すぐに確認できそうにもない。
 もし神社明細帳にそのように記載されているとしたらこれは一体どのようなことなのだろうか。Img_1727
 
写真は確かにこの神社だけど、名は御加宜神社とある。


 御加宜(みかげ)神社は舞鶴市に弥加宜神社、滋賀県の三上山にある御上神社などと同様の神社となるのだろうが、これらは天御影命を祀り、金属に由来する神さまである。三上山は俵藤太の百足退治の舞台でもある。ところが祭神は仁孝天皇というのだから、ちと怪しげな雰囲気がしてくる。仁孝天皇とは寛政から弘化に生きた天皇で、つまり1800年代の江戸時代の天皇である。
 神社明細帳が作成された目的や意図はよく解らないのだが、少なくともそれまでに種々雑多あったところの神社や寺院を整理し、社寺取扱規則に合致したものを明細帳に記載し公認したもののようである。文献を見ているとこの時期にいわゆる邪教、邪神などとされて公認されなかった神社や寺院があったようである。言ってみれば明治政府による宗教の統制、干渉への第一歩と言うべきものではなかろうか。つづく
(大唐内のこと(36)は2011.2.2)

【作業日誌 2/10】
ガーデンシェッドドア飾り窓枠作り

今日のじょん:先週かみさんがキツネを目撃した。キツネは数が減っており、イノシシやシカの子供を襲うので益獣だそうだ。害獣だ益獣だと人間の都合ばかりで申し訳ないのだが、確かにじょんのび村の近くに居るようだ。今夜は降雪が予報されている、夜になってじょんが強烈に吠えた。少しするとギャーという鳴き声、やはりキツネらしい。Img_2290 Img_2291
 これが2月3日に現れた狐の足跡、もちろんじょんの反応も著しい。

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