2011.2.11(金・祝)曇
大雪の情報だったが、うっすらと雪化粧というだけで助かった。南部の方は積雪があったようで、皆が喜んでいる報道を見て複雑な気持ちになる。
前回、明治期に邪神として排除された神社の文献などと言っていたが、読み直してみると明治期ではなかったので訂正する。「古代の朱」(松田壽男著)の中の「水がね姫の変身」という項にあるのだが、水がね姫とは朱砂の女神ニウズヒメのことである。朱砂の採掘を生業としていた村人がやがて農民に変わってしまい、一体何の神さまか分からなくなったという話だ。そのために「不祥の淫祠」として丹生神社ごと消滅させられたという事実である。正徳二年(1712年)ということだから、明治期の神社明細帳、廃仏毀釈とは無関係である。
ところが明治政府により国家神道が形成されるにあたって、神仏混淆では具合が悪いので仏教部分を神社に変えたり、祭神を変えたりした事実はあったと言われる。
丹後風土記残欠に関する加藤晃氏の論文(2011.1.20参照)の中でも明治新政府による廃仏毀釈、国家神道の形成のために、村の氏神にいたるまで古事記等の神話体系の神々を祀ることに偽造されていった、という風に書かれている。上林の中小の神社において祭神が過去の天皇になっている例がいくつかある。これらは明治期のやむにやまれぬ理由があるのかも知れない。特に聖神社のように江戸時代の天皇を祭神としているのは何かあると勘ぐりたくなるのである。
祭神が藤元善右衛門氏というのはともかく、大蜘蛛の霊も祀ってあり、別名大蜘蛛神社というのは政府に報告するのはまずかったのではないだろうか。
しかしこのことは神社明細帳に「御加宜神社、祭神仁孝天皇、云々」と実際に書かれているのか、あるいは村の人や神社関係者がそのことについて認識しているのか確認してからでないとどうこう言えないことである。
順次確認調査していきたいが、なによりも知りたいのは、末社二社祭神不詳とあることだ、なんとか調べる手だてはないものか。つづく
(大唐内のこと(36)は2011.2.10)
【作業日誌 2/11】
ガーデンシェッドドア作製、飾り窓切り抜き、塗装
借りてきた電動糸鋸で板を切り抜く。
今日のじょん:「おとーさん大変、芝生がえらいことになっている」てんで行ってみると、雪解けで出てきた芝生に縦横無尽に溝が掘られている。獣のようでなく、これはきっとモグラだろう。本来は土の下に掘るものを、積雪があるので表面で良かったわけだ。じょんは知らん顔しているが、これも雪の被害だなあ。
うへー、なんじゃこりゃあ。