晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

両墓制(6) 2/24

2011-02-25 | 歴史・民俗

2011.2.24(木)曇

 現在ではおそらく日本のどこでも大方が火葬となっているのだろうが、ついこの間までは土葬であった。私の父親も座棺で土葬された。ではその前はどのような葬方だったのだろう。ヒマラヤなんかで聞かれる鳥葬や樹上葬、沖縄や奄美で見られるような洞窟などに安置する一種の風葬のような方法があったのではないかと思っている。ただこの方面について不勉強で思っているという根拠は、「北山を歩く」(澤潔著)の衣懸坂の記事である。当時北山の文化や民俗に興味があったわけではないけれど、MTBツーリングで北山の峠を巡っていたのでその参考にと読んでいたものである。この項で樹上葬や風葬といったものが古代葬方としてあったことを知ったのである。沖縄の葬方については既に知るところであったので、やはり火葬土葬以前にそのような葬方があったのだろうと思うようになったわけである。実はこの「北山を歩く」は三巻からなり、北山の歴史や文化、民俗について書かれているのだが、葬制墓制についてかなり高い頻度で書かれているのである。そんな意味で今、再度読み直しているところである。
 古代葬方が本州においても風葬や樹上葬といった形であったとしても、果たしてそれが主流であったかどうかは疑問である。日本中のあちこちでそのような葬方がなされていたとしたら、山は遺骨だらけになりはしないか。私は日本中の山を巡ったが、遺骨になんぞ会ったことがない。こんな単純な疑問がわくのである。
 墓の語源はホウリカといわれる。やはり元々は放るようにして捨て置いたものだろう。これが両墓制の埋墓の起源なのではないか。そして時代が下がって、仏教の影響もあろうし、祖先の霊をうやまうという信仰などから詣墓が作られてきたのではないだろうか。
 綾部市における両墓制の分布は上林と東八田地域とあり(綾部市史上巻)、若狭大飯、舞鶴大浦地域に分布すると言われている。丹波六郡では船井郡28地区、桑田郡13地区、多紀郡7地区、氷上郡8地区、天田郡1地区となっており(磯貝勇)全国的には近畿地区に最も多く分布されるという。
 ニソの杜も両墓制のひとつの形態という説もあり、海人族に関連する習俗という考え方もあるようだが、上記の分布を見る限りではそのようには思えない。
 とにかく上林には顕著な習俗であり、もっと解明したい事柄ではある。

【作業日誌 2/24】
南京櫨剪定、昨秋できなかったのだが、今頃良いのかな。
ガーデンシェッド、化粧板張り
薪割り

今日のじょん:隣の裏庭が鹿に襲われた。荒らされるというよりはきれいさっぱり食べられてきれいになっている。雑草だけこんな感じで食ってくれれば良いのにね。じょんもあきれ顔。Img_2406 Img_2407

コメント
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