2011.8.6(土)曇
鉱脈を探し出す鉱山師はまず第一に地名によって探し出す。古代に金属を採鉱していた地には鉱脈のある可能性が高いということである。若尾五雄氏の著書の中で読んだ憶えがある。古代の技術では鉱物を掘り尽くすことは出来ない。彼らは掘ることの出来なかった鉱物と地名をそこに残したのだ。技術が進めば自分たちが掘り出すことのできなかった鉱物を、自分たちの子孫がいつか掘り出すだろうと地名を残したのではないだろうか。放棄する坑道に地名を残すという行為はそれしか他に考えられない。千年以上の月日がたってその地名を頼りに、ハンマーを手にした鉱山師が谷に山に活躍したとしたら、人間のあるいは歴史の必然性というようなものをひしと感ぜられるのである。
私がマンガン坑の探索に行こうという桜井さんの案内に二つ返事で参加を決めたのは、その谷が「アシ谷」という谷だったからである。アソ、アシ、アサというのが朝鮮語の鉄を表し、浅原(あずら)が鉄の金工の地ではなかったかということを過去に書いた。(2010.2.4、8、9参照)その後浅原にマンガン坑の跡があると聞いて益々その念を強くしたところだが、鳥垣の「アシ谷」にマンガン坑跡があるとなるともう驚きである。
同じような風景の岩壁にどうやって鉱脈を見つけるのだろう。
昨年老富の方々に聞き取りをした際に鉱山師のことを少し書いた。(2010.12.27参照)渡辺さんが山で見かけたのも、酒井さんが列車で居合わせたのもマンガン鉱を探す鉱山師だろう。そういう人たちが上林の山や谷を闊歩していたという歴史の一ページでもある。
では古代に鉄が産出したとして、現代のマンガンとどう関係があるのだろうか。
たたら製鉄で刀など作る際に、マンガンを投入することによってより硬く、より鋭い刀が出来るということを読んだことがある。現実に大戦中採掘のマンガンは製鉄に使われていたそうである。ただ、鉄は古来から様々な呼び方があるのだが、マンガンはそれらしいものがない。マンガンはもちろん日本の言葉ではないし、満俺もそのあて字でしかない。もし鉄にとって必要な鉱物として古来から使われていたのなら、日本古来の呼び方があってしかるべきである。これは私の勉強不足で、知らないだけのことかもしれない。
若尾五雄氏の著書の中には「マンガン鉄」という書き方がしてあったが、鉱物図鑑を見てもこのような鉱物は見あたらない。同じ岩石の中に鉄、マンガンを含む場合はあるようで、マンガンの出るところ鉄や銅なども産出すると言うことだ。つまり古代に鉄を産出していた所にはマンガンの出る確率が高いということでは無かろうか。つづく
ズリの中、坑道最奥部、中間鏨の跡のあるところから採取。
【作業日誌8/6】
玉切り
今日のじょん:何でも怖がりがだんだんエスカレートしているようでつらいものがある。どうもゆらゆらと動く物が一番怖いようだ。省エネに貢献しているたてずも苦手なようで、尻尾下げてびびっている。