2011.8.18(木)晴、にわか雨
丹波のマンガン鉱山では朝鮮人労働者の強制連行は無かったという風に書いている。ただ、亀岡のタングステン鉱山に強制連行された労働者が丹波のマンガン坑で働いていた、あるいは九州や北海道の炭鉱から逃げてきて働いていたなどということはあったそうだ。このことに関しては田中氏はかなり執拗に書いておられる。つまり本書は戦時中の強制連行、強制労働、劣悪な労働条件等を告発するものでなく、マンガンに泣き笑いし、じん肺に苦しみながらも自分たちの生きた証の丹波マンガン記念館を開設し、「わしの墓はマンガン記念館や」と言い残して逝った貞鎬氏の物語として書かれたものではないかと思ってしまう。そうすると「ぱらだいす」と題した意味も納得できる。
所用があったので貞鎬さんの眠る京都東山区の万寿寺を昨日訪れた。第一日赤病院の真向かいにあるこのお寺は臨済宗の禅寺だが、戦時中から住職が朝鮮人ということで、日本に墓を作らない朝鮮の方々の遺骨を納骨堂に預かっているということである。納骨堂の入口にハングル文字で「納骨堂の中の兄弟たちよ、統一した地上の極楽、わが祖国に眠れ」と書いてあるそうだ。万寿寺は一般公開されていないので納骨堂などには入れないが、本堂の後ろにあるようだ。
重文の鐘楼と本堂の庭、納骨堂はこの後ろか。
住職は不在の様子だったが奥さんとおぼしき方が重文の鐘楼やお寺のいきさつなどお話下さった。丹波マンガン記念館のことを話していると、「再開なすったそうですね」とおっしゃっていた。再開に向けて運動はなされているようだが、再開したとは確認していない。
二代目館長の龍植氏の「丹波マンガン記念館の7300日」という本が出ている。目次を見ると、強制連行、差別からの解放、加害の歴史などという文字が見え、明らかに田中氏とは違った趣旨で「丹波マンガン記念館」を書いておられると想像する。また、歴史の歪曲を糾すという題で「マンガンぱらだいす」の第三章を批判されている章もある。この本を読まずしてマンガン記念館を語るわけにはいかないようだ。
これ以上の論評は「丹波マンガン記念館の7300日」を読んでからすることとしたい。
【作業日誌 8/18】
薪割り
今日のじょん:阪神の成績と一緒で夏の勢いがすっかり無くなってきた。三年目に出来上がった看板と同じく、三年目にドッグランどを完成したい。チャンスはこの秋しかないわけだ。そろそろ着手しなきゃあ。
今のところ右手の支柱4本だけ、じょんだけならホースで仕切っとけば出ないかなあと思ったが、そう甘くはなかった。