goo blog サービス終了のお知らせ 

晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

吉忠番 8/26

2011-08-27 | 上林地名考

2011.8.26(金)曇、晴

 「2010.6.3 雨読 地名の研究(2)」の記事で、武吉と吉忠について書いている。
実はこのことについて書いた当時から気になっていたことがあったので、このたび再度調べ直して訂正することと相成った。 
  その箇所は、「ちなみに吉忠は現在の忠町、武吉は武吉町に比定される。」というところと吉忠の読みを「よしただ」としているところである。
 正当は「ちなみに谷忠は忠町(ただちょう)と思われ、武吉は武吉町(たけよしちょう)に比定されている」となる。また吉忠の読みはいまのところ確認できていない。
 実はこの文章は綾部市史上巻「第五章 中世の村落」から書いた文章なのだが、吉忠と谷忠を読み違えていたのもである。吉忠という小字が睦寄町に存在することは知っていたので、忠町に比定するというのはおかしいなあとは思っていたのである。ところが「丹波志」の氏族の欄をみていると権頭子孫早稲谷氏 有安村、吉忠卿家臣子孫 八代村などという文書が出てくる。吉忠卿とは古い氏族のことらしいが、有安村、光明寺などが文中に出ることを見ると、睦寄町の吉忠がその根拠地であることは想像に難くない。
 綾部市史では上林に「番」という村の支配形態があったということで、谷忠番、久元番、同佃分、末包番、武吉番、上坂田分が文書に現れていると書いている。忠、佃、武吉は現在の町に比定されるがその他は不明ということである。
 さて柳田国男氏の「地名の研究」には「第五章 開墾と地名」に荘園を開墾した際に自らの名の一字をとったり、久、延、吉、則、貞、利、元、友、充、宗などの好字や国、末、福、冨、得など縁起を担いだ字などを組み合わせて二文字にして地名とした旨が書かれている。
 武吉、谷忠などはそれらが今日まで残っている例であろう。吉忠もおそらくそういった地名なのではないだろうか。従ってこれ等の地名の由来をこれ以上探っても何も解らないということである。Img_3575
 
上市場バス停附近


 さて、その吉忠とはどのようなところだろうと訪ねてみる。府道1号線から綾部温泉に入る道を過ぎ、少し行くと上市場のバス停がある。そこを左にとってすぐのところが吉忠である。読み方と位置の確認のため人影を探すが一向に見あたらない。少し行って作業をされていたご婦人に聞くと、ご主人を紹介していただいた。偶然シデ山山行に一緒だった岩鼻さんであった。いろんなお話を聞いて何かと参考になったが、肝心の吉忠については、「聞いたこと無いなあ」と意外な返事であった。つい隣にあろうとする小字が解らないのだ。ひょっとすると街道沿いにはなくて田んぼの中なのかも知れない。上林にはよくあることだ。私の住まいする小字、古川も近所の人でも知らない。面倒だから念道と言っているが、これはもともとの大字だから上林中知られるところである。まあ、それほど小字が多いということである。海人族の開いた村は地名の多いのが特色ということを何かで読んだが、そういうことなのだろうか。自治会長さんの家を紹介していただいたが、これもまた不在で確認できなかった。いづれ吉忠については読み方と位置だけは確定させておきたい。Img_3574

吉忠はこのあたりと思うのだが、、。


【作業日誌 8/26】
白菜播種

今日のじょん:シャンプー恒例の体重測定をする。なんと18.4Kg、400g超過である。普通夏って痩せるんちゃうんかい。寝てばっかりおるさかいじゃ。



 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする