2011.8.27(土)晴
さていよいよ本題の丸山に入ることとなった。小唐内からの丸山の偉容を見たとき、この山は何かあるなという直感がした。それは異様といってもいいのだろう。丸山だから丸いのだと言えばそれまでだが、あまりにも丸いのだ。この山が古代の人々にとって精神的にも物質的にも大きく影響しただろうという予測は誰しも抱くのでは無かろうか。でも具体的にどのような影響があったのか、つまびらかではない。
私はこの山が聖地として存在するのではないだろうか、つまり葬地であり祭祀の場ではなかろうかと予測を立てた。その理由はその特異な山容とサンドラ岩という桟俵に似た岩塊が存在することである。
古代の葬送については意見が分かれるところであるが、権力者が古墳に葬られたことを持って庶民も同様の葬られ方をしたとは考えにくいものである。ましてや古墳時代以前の葬送については、遺棄葬が主体であったと私は考える。最初は野生の動物よろしくどこでも捨ておいていたのがやがて、他界観、霊魂観、死穢感等が芽生えるに至って一定の場所、例えば山であり、谷であり、洞窟、海岸、島といったものが葬送の場所となったのでは無かろうか。霊魂が山に還るという葉山信仰はじめ、山に行くということが死んで見送られるということと同義になっているのはこのことではなかろうか。沖縄のグソーや両墓制の埋め墓はこのなごりと言っていいのではないか。
神社と墓地は忌み嫌う対称であるが、本来は先祖の眠る地が聖地となるのは当然で、もともと古墳の中に神社が祀ってあるのと同じ感覚なのだろう。両墓制のはっきりした地ほど、神事に葬儀は嫌うようである。沖縄などでもこの傾向は強い。両墓制が死穢の観念から成立しただろうという説は肯けるものがある。
丸山というのが単に丸い山というのみでなく、神社や墓地の存在する聖的な山ではないかと実例を調べているところである。繞谷丘陵というのは河川の水流によって作られる丘陵でその形状から丸山と呼ばれるところが多いが、神社、墓地があるケースがほとんどである。なお、解りやすいように今後環流丘陵と呼ぶことにする。
南丹市日吉町胡麻にある丸山は典型的な環流丘陵だが、訪問時時間切れでなにかがあるか調べられなかった。ところが帰り道の京丹波町下山丸山は環流丘陵ではないが、山上に春日神社がある。
胡麻の丸山と下山の丸山の麓。(7.15撮影)
上林の著名な環流丘陵である弓削丸山、志古田丸山腰には前者は秋葉神社が後者には地域の墓地が存在している。 つづく(大唐内のこと(72)は2011.8.24)
弓削の丸山と志古田の丸山腰にある不思議な石碑(大乗院とある)、墓地はこの左手。
今日のじょん:迷い犬探して!飼い主の方は連日捜索しておられるようだ。赤い首輪、柴の雑種で老犬とのこと、どんなささいな情報でもじょんのびまで知らせて。
じょんも探しておるぞ~。