2011.8.24(水)曇、晴
大唐内を取り巻く山並みを訪ねて、余すところ養老山(665.4m)と永谷坂峠から猪鼻峠間となった。もちろん猪鼻峠の関屋側、胡麻峠の与保呂(よほろ)多門院側、大唐内と市志(いちし)を結ぶ峠も歩いてみたい。歩いたからって何が解るわけではないが、歩かないと絶対に解らないこともあるわけだ。
丹波負笈録大唐内村の項に、「同村西ヘキハタ嶺市志村迄一里」とある。嶺はとうげと読み、これが市志に越える峠の名のようだ。国土地理院地形図でも村の中心部から西に向かう谷筋に道があり、林道を越えて畑口川に降り、市志に向かっている。この谷は木和田谷のようだ。よみは解らないが、キハタ嶺=木和田峠と見て良いのだろう。この谷の左岸には二つの杜があり、上部林道との間には鉱山跡(マンガン坑か?)があるそうだ。是非行ってみたいところである。
木和田谷入口。
丹波負笈録市志の項には「村奥大唐内嶺一里」とあり、市志では大唐内峠と呼んでいたのだろう。市志の山林小字にも木和田があり、位置によってはこれが大唐内の峠名の由来かもしれない。それにしても市志、市ノ瀬、市茅野と近隣の市地名は気になるところである。市志、睦志(元は虫)の「シ」というのも気になる。
例えば上林から若狭のおおい町を進むと野尻というかつて銅鉱山のあったところがある。その手前に父子(ちちし)という変わった地名のところがあり、ここには石灰岩を出す父子鉱山があったそうだ。父子はかつては静志、静石と呼ばれていたそうで、鍾乳洞で有名な京丹波町の質志(しずし)と同一の地名だと言うことだ。ということは「シズ」が石灰岩を、「シ」が洞穴や鉱山を表しているのだろうか。別子銅山なんて著名な鉱山もあることだし、あり得るような気がするのだが今のところそういう説はない。いづれ研究してみたい。
養老山については、与保呂では養老ヶ岳、市志では養老山、大唐内では高尾山と呼ぶそうだ。(京都の山)実際どう呼ばれているか確認してみたいが、今では変わっているかもしれない。語源は与保呂山ということだろう。
多分大唐内からはみることができないだろう養老山をなぜ高尾山と呼んだか不思議なことだが、峠を上り下りしてやっと見える山容からつけた山名かもしれない。市志や与保呂の人にとってはいつも見える当たり前の山だけど、大唐内の人にとっては、感慨深い山なのだろう。
【作業日誌 8/24】
ジャガイモ植えつけ、ニシユタカ1Kg
今日のじょん:昨晩久々にゴーヤを食ったと思ったら、朝になってえらい吐いていた。やっぱ慣れんことしたらあかんな。
今頃になってやっと成ってきたゴーヤ。