2012.2.7(火)曇、雨
吉野満彦氏が亡くなられた。わたしが岩よ雪よと山に登っている頃の世界的なクライマーである。スポーツの世界でそれぞれに達人というかスーパースターというか雲の上の人というのはいるけれども、どれも同じ人間だと思われるのだが、クライマーだけはとても同種の人間とは思われないのである。植村直己さんだって、エヴェレストやマッキンリー登ったりされてるときは同じ世界にいる人という感じがしていたのだが、冬のグランドジョラス北壁をやられてからは遠い世界の人のように思えた。それはクライミングが命の危険に直接関わっているということなのか、あまりに厳しくて辛いからなのか解らないが、登山を止めてトライアスロンを始めたとき、「こんなに楽なものなのか」と実感したのは確かである。精神的な負担がまるで違うのだ。
「山靴の音」と訃報の記事
吉野氏は凍傷で足先をほとんど無くしていながら、日本人初のマッターホルン北壁を登られるのを皮切りに世界の岩壁でめざましい活躍をされた。
手元に氏の書かれた「山靴の音」という画文集がある。登攀の文もあるが、誌と絵とエッセーなどが詰まっている。ロマンチストという言葉だけでは物足りない。
雪山と孤独
僕はもうなんの刺激をも
感じなくなった
あんなに街にいる時は
たまらなく
雪山を恋していたのに
あんなに街にいる時は
たまらなく
孤独を求めていたのに
僕はなんで
こんな余分な神経の負担を
しなくてはならないのだ
コンクリート作りの
雪山だって
いっこうに
もうかまわないのだが
40年ほど前にRCCⅡ(第二次RCC)の誰かと、山岳部の誰かと都内でしたたかに呑んだことがある。どういういきさつか知らないのだけど、RCCⅡの重鎮と言われる方のお家に泊めて貰った。吉野さんなのか奥野さんなのか、はたまた別の方なのかまるで記憶がない。都内の古くて大きな家だったことは憶えている。泥酔して眠りこけている枕元で妙な声が聞こえる。襖の向こうで鉄アレイを振っているのだ。「この敷居をまたぐ毎に100回ずつ振ることにしているんですよ、こんど滝沢第三スラブをやろうと思っているのですよ」季節は真冬のことだった。雪崩の巣である滝沢スラブをやるなんて、またそのためのトレーニングが尋常じゃない。
怠け者で臆病者のわたしにはやはり別の世界と思われた。
山で逝くことなく、天寿を全うされた吉野さんのご冥福を祈りたい。
今日のじょん:雪がザラメになってきてボッソンボッソンもぐるのだが、随分慣れてきて、走り回れるようになってきた。ところが慣れないのが屋根からの雪で、今朝も超脅えていてゴミ箱荒らしをやっていた。