2012.2.21(火)曇 朝の気温-3℃
では根本的な防獣対策ってなんだろうと考えるとこれがまた難しい問題になる。というより首長でも議員でも無く、しかも農業者でも林業者でも無いわたしがこのブログで何を語ってもどういう意味があろうというのだ。豆狸のつぶやき、ごまめの歯ぎしりにしかならない。でも現行の政策、対策を批判する以上対案を出さないというのは橋本大阪市長にも叱られるだろう。というわけで、予言者として本格的な防獣対策について述べてみたい。何十年か後にこういうことを言ってた人がいたのだなあと気付いていただければよいことだ。
2010.12月、イノシシの害で路肩が崩されてしまった。
昔は獣がいなかったのか?
皆さん昔は猿や鹿などいなかったとおっしゃる。鹿はどこから来た、猿はどこから来たなどと他地方のせいにしたりしている。ちょうどペストはどこから、インフルエンザはどこからなどと同じように、、。確かに農村に育ったわたしも子供時分に猿や鹿は見たことが無かった。イノシシだけは山で見かけたし、猟師さんが天秤棒で担いで降りてくるのを見たことがある。
学生時代になって登山をするようになると山中で鹿も猿も見かけた。
焼畑についての本で壮絶な獣との戦いを読んだことがある。里には獣など居ないときの話である。つまり、昔から鹿も猿も熊も猪も、明治以前には狼さえも居たのだ。だけど特別のことが無い限り人里には降りてこなかった、ということではなかろうか。
なんで人里に出てくるようになったのか?
この問題を食物で理解しようとする傾向がある。ひとつは人間が獣達の領域に侵入し、彼らの生活の場と食べ物を奪ったという考え方。これは一見当たっているように思えるが、はたしてそうだろうか。住宅開発、工業用地開発などが進み、獣達の居場所である山地を奪っていったように思えるが、それは市街地近郊のことではあるまいか。むしろ山地では廃村や過疎化で人間のすみかを獣達に返しているのが本当では無いだろうか。人間対獣の領土問題とすれば実は獣が勝利しているといえるだろう。
人間が広葉樹を伐採し、針葉樹を植林したがために獣達の餌が無くなったという意見がある。それがために山に広葉樹を植林したり、団栗を奥山に撒いて獣の餌にしているというような活動がなされていることも聞いた。これは理屈にかなった意見だと思う。
イノシシは毎夜出て来て、木の根を掘っているようだ。(2011.9月)隣地で。
わたしが自転車で東北、北海道を訪ねた年、2006年は熊の出没が例年の3倍とかでどこにいっても大騒ぎであった。山中のブナの実が不作であったことがその理由だそうだが、その翌年などはそれほど出没していないのだ。つまり普通に実が成れば獣達も充分に山で生活できるというわけだ。それにもし里に出てこれないとしたら、彼らは餓死したり、子供が出来なかったりで個体数の制限がなされるのだと思う。
そんな意味で針葉樹植林による餌の減少というのが人里に降りてくる決定的な理由だとも思われない。つづく
【作業日誌 2/21】
バイクハンガー作製
郵便受作製
地図収納箱作製
今日のじょん:朝は寒いけど昼間の気温は高いようで雪は一気に解けてきた。じょんも暖かいのだろう、うらめしじょんが始まった。