2013.3.17(日)晴れ、曇
2012年5月26日清水の鋳物師井関家のたたら場を訪問する。(2012.5.26~28、「上林の鋳物師をたずねる」参照)
井関八左衛門の末裔である井関先生が生前にたたら場周辺で集められた鉄滓を見せて頂いた。上林川念道付近で採集したものと色、形状は同一である。違いといえば、表面のガラス質の有無と大きさである。予想はしていたのだが、反面がっかりする。全然別物だと採集した鉄滓の出所を探す楽しみがあるからだ。
参考に典型的な鋳物滓1個を頂いて保管している。
井関氏から頂いた鉄滓と上林川で見つけた鉄滓。ガラス質による表面の光沢の違いが判る。
鋳物滓といっても実はどのようなものか解っていないのが問題だ。鋳物、鋳物師に関する本をいくつか読んでいるのだが、それでもよく解らない。鉄滓について書かれている部分は極わずかなのである。鋳物滓の現物を見たこともない。
清水に鋳物師が居てそこから出てきた鉄滓だから鋳物滓なんだろうというだけのものである。近世の鋳物師が鉄製品を作る場合には地金という鉄を搬入して溶かし、型に流し込んで作るというものである。鉄滓が出るとしたら地金を溶かす際や型に流し込んだ際にあふれ出る溶けた銑鉄ぐらいしか考えられないのだ。
そうすると、あのセメント状の部分は一体何なのだろう。溶けた鉄と粘土が反応したものと考えられるのだが、鋳物の場合型と溶鉄が反応してできるのだろうか。
地金と思われる鉄塊を撮ったのだが、下に写っているのはコンクリートではない。鉄滓の一部である。溶鉄と型土が反応したものと思っているのだが、、。
鉄を溶かす際に鉄の炭素濃度を変え、用途に合った性質にするため鉄の精錬が行われているのだろうか。そうするとこれは精錬滓といえる。
などとげすの勘ぐりしか出来ないことに悲しい思いがするが、いずれ本当のことが解ってくるだろうという希望がわたしを押してくれる。
とまれ念道周辺で採集した鉄滓は上流清水の近世鋳物師井関氏のたたら場から出てきた鉄滓だと断定して良いだろう。
そうだとしても謎はまだまだ拡がっている。つづく
【作業日誌 3/17】
ウッドデッキ階段完成
耐火レンガ集め
檜皮むき
【晴徨雨読】173日目(2013.3.17)延岡~佐伯
延岡から佐伯に向かう国道10号線沿いはなんとも印象の薄い所である。日豊本線と並行して北上するのだが、何の変哲も無い山間地といったところである。じっくり滞在すれば何かと素晴らしいものが見つかるかもしれない。佐伯の街も天空の佐伯城や麓の武家屋敷などは風情がある。さりとてもう一泊という気にはなれなかった。
佐伯城から番匠川。
【今日のじょん】:腰ひけ二題。
初めて渡る鉄板の橋、ポールの脇のぽんぽこぽん。腰引けてまっせ。