2013.3.20(水)雨
3月3日(日)に切った庭木を戴きに鳥垣に行く。馬場先と呼ばれる坂尾呂神社の参道石段の下東北側の畑とも空き地ともいえる切り倒した梨の木が積んであった。薪になりそうな部分を戴いて後片付けをしていると泥にまみれた10cmあまりの穴のあいた石を拾った。もちろんこの石、なにかあるなという思いがあったので、屋敷の庭に積まれている庭石もしっかり観察する。しかしそれらの中には似たような石は見当たらなかった。もちろん庭に散らばっている小石も同様で似かよったものは無い。
自宅に帰ってブラシで泥を洗い流す、濡れている間は黒っぽい感じだが、乾燥すると濃い灰色となる。径5mm~15mmの穴がいくつか開いており、全体には微小な穴が無数に開いている。
片面は割れた跡のような断面だが、そこの穴はモグラの穴のように横に走っている。つまり気泡が移動したような形状なのである。
表面は灰色だが、中は薄い黒色である。
表面に細かい砂状の物が付着しているが、これは欠けた断面には見られず、泥に埋まっている間に沈着したものではないだろうか。この砂粒のようなものは、清水鋳物師の鋳物滓に見られるセメント状の部分とは明らかに異質のものである。
そして全体にネオジウム磁石を付けるだけの磁性がある。
結論としてこれは自然石ではない。自然石でないとすればスラグの可能性が高い。磁性があることから見て鉄滓ではないかと考えるのである。
磁性があるから鉄滓だという論理が成り立つものか自信は無いのだけど、砂鉄なり鉱石が溶融して粘土等と反応すれば弱いながらも磁性があるのではないかと素人考えで想像してしまう。精錬滓だとすると一応鉄が出来上がっているのだから、磁性があってもおかしくないと思うのである。
逆に上林谷で他の鉱滓が出るとしたら、銅滓の確率が高いだろう。銅滓に磁性があるのだろうか、こうなると専門家に聞く意外にない。
これが鉄滓であるとなると、わたしが追い求めていた清水鋳物師による鉄滓のありうる場所以外の初めての発見となる。
上林川で初めて鉄滓を発見したとき、椀形滓らしき鉄滓を発見したとき、そして今回の発見はわたしのビッグ3の発見で、凄く興奮している。
鉄滓、鉱滓はその発生する場所に驚くほど多量のものがある。逸散したとしてもそれなりに存在するはずである。草壁川、古和木谷、上林川上流域、そしてそれらの支流域のいずれかに必ずあるはずである。
雲をつかむような状態から、一筋の可能性が見えてきた。小さな石ころが大きな夢を運んできてくれた。おわり
【晴徨雨読】176日目(2007.3.20)別府~宇佐
国東半島の磨崖仏は高校時代から行ってみたいところと憧れていた。なるほど立派な磨崖仏で感激するが、観光バスの来るような有名な磨崖仏でなく、村々にある苔むし、消えかかったような磨崖仏に惹かれるのは何なのだろう。
有名な熊野磨崖仏とひっそりとした大門坊磨崖仏、賽銭箱が威張っているが、、。
熊野磨崖仏から快適に山を降る途中、真木大堂に立ち寄って写真を撮っている。一体何のために立ち寄ったのか、何を見てきたのか一向に記憶に無いのだが、写真があるから行ったのには違いない。実はここに、現在研究中の盃状穴に関係する「燈明石」なるものが存在するのである。そんなことはいざ知らずチラリと寄って過ぎ去っているのだが、しっかり見ておけばよかった。
真木大堂
【作業日誌 3/20】
新型パソコン導入、移行作業が大変。
こんなに大きさ違うのだ。
【今日のじょん】:5才の誕生日である。といっても信太山の山中で生まれた野犬の子なのではっきりした誕生日はわからないのだが、観察を続けていたボランティアの方の言なので間違いないだろう。ハッピバスディじょんちゃんってことでストーブで焼いた焼き芋をあげたところ、随分気に入ったようだ。