2013.3.23(土)曇
奥武島(おうじま)について、葬送の地ではないかという記事を書いた。(2011.3.6参照)本書では祓い島の意と解いている。民俗行事の中に害虫や害獣を払って封じ込めるという所作がある。羽地にも同様の四月畦払(あしぶばらい)という行事があり、神職が鼠や害虫をヂャールマ島に流すという。ところがかつては名護市の奥武島に流していたものが、奥武島に人が住むようになって変えたということだ。
現在は羽地の向かいの奥武島、屋我地島、古宇利島と架橋されている。写真は運天港からなので屋我地島か。
そういう意味では南城市の奥武島ももとは無人であったのでは、と書かれている。
害虫、害風を封じ込めることと葬送の島は矛盾するものではない。現在では多くの奥武島、青島、大島などは有人となっているが、かつては無人であったのかもしれない。そしてその特徴は陸地に近く、小さな島であることだ。
南城市奥武島の地図、葬送や虫送りの島であったとしてもそれは無人の時代だとしたら、地名や旧跡にそれらしいものがあるはずがない。地名などは人が住んで初めて付くものだから。
「地名を歩く」(2013.2.27参照)で紹介した、今帰仁村のクンジャーは、汲み井という風に解かれていたが、本書ではクイジ、クンジ(後地)の意味ではないかと書かれている。運天港が前地で運天漁港が後地という意味だろうが、この方が信頼性がある。
さて本書の中に大変興味ある記事がある。原義の失われた語として、「あか」(久米島、慶良間島の阿嘉)、「ふな」(富名腰)、「てー」(汀間、天仁屋、勘手納)などを紹介している。
「あか」は崖、「ふな」は坂、「てー」は港ではないかということである。
「あか」といえば小樽近郊に赤岩山というロックゲレンデがある。もちろん強烈な岩場である。赤石岳や赤岳と言った著名な山も色彩の赤(赤石岳は赤石沢の鮮紅色の岩石、赤岳は酸化鉄の色)という説が有力だが、崖という意味があるのかも知れない。
「ふな」は湯舟、馬船など一定の説があるが、実は坂という意味にすると一致する地名が沢山あることに気付く。この事は別に一項設けたい。
「てー」は、例えば天満などはどうだろう。伝馬船は港の中で使われる船だし、「てー」の意味が生きているのかも知れない。
このような死語となった言葉も面白いが、本土で死語となった言葉が沖縄や北海道のアイヌ語で生きているとしたら、これほど興味深いことはない。沖縄地名を調べることによって、解らなかった地名の意味が解ってくるかも知れない。おわり
【作業日誌 3/23】
薪割り
【晴徨雨読】179日目(2007.3.23)杖立温泉~熊本市
杖立温泉から中津江、上津江、菊池などを通って熊本に到る道は、金属関連地名の続く道で、鯛生金山などは是非立ち寄ってみたかった。少し離れるがトンカラリンの遺跡もこのあたりだろう。しかしホイルの修理は第一である。いつ壊れるかとヒヤヒヤしながら熊本に行くことしか考えていなかった。そして熊本のクシサイクルさんで実に親切に、しかも旅先とて安価にてホイルを作って頂いた。
本当に親切にして頂いたクシサイクルのクシさん。
【今日のじょん】:ワンワン運動会を前にして、気になることが起きてきた。右前足に傷があるみたいで、昨日から血が付いているのだ。朝の練習時に出ているので力を入れたときに出るのかもしれない。普段なら「そのうち治るよ」なーんて言ってられるのだけど大会をひかえて調整が難しい。朝飯も妙な恰好で食っている、何か変でしょ。