晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(20) 畑地名-2 9/4

2013-09-04 | 上林地名考

2013.9.4(水)雨

 高浜町日置(ひき)
 高浜町の日置については同じく青郷内にある小和田が小畑ではないかということを書いたが、もっとストレートに畑が見つかった。日置の東2,5Kmぐらいのところに若狭湾から畑川が南に登っている。やがて牧山の東面に吸収されるのだが、その周囲の細長い地域が畑である。福井県の資料は手持ちが少ないので、畑の詳細はわからないが、地形的には従前に紹介済みの畑と全く同じでこれほどまでの一致に驚いている。次回訪問時にはこの谷に入ってみよう。
Dscn2327




日置神社は元々三松との境付近に在ったという、日置には春秋分の日没が吉坂峠に、夏至の日没が青葉山に落ちる場所があるが、、。

 篠山市日置(ひおき)
 篠山マラソンのコース上で帰路は峠を下りてきて踏
ん張りどころが日置辺りである。手前に籠坊温泉の案内看板があったように思う。日置の東に国道372号線を挟んで北に畑井、南に畑市の地名があり、真ん中に波々伯部神社(ほうかべじんじゃ)という古い神社がありしかも畑市には蛭子神社がある。日置近隣の畑地名としては間違いないが、今まで見つけてきた畑とは地形的には随分違う。
 日置の西に目をやると、対岸に畑川が見つかり、和田、畑宮、奥畑などの地名が続きやがて畑川は畑山(595m)に遡る。兵庫県の資料も無いので詳細は後ほどとして、これぞ探していた畑である。

 綾部市八津合町日置谷(へきだに)
 さていよいよ地元の日置についてだが、こちらばかりは地図だの辞書だのは必要ない。地元だからわかるのだが、畑という地域は無い。近隣ということで中上林地区の字を拾うと、下から高畑、中畑、大畑、広畑、小畑、奥小畑、畑川、御用畑、高畑、畑尻、木和田とある。畑地名がいかに一般的なものかと感じる。一般的な地名ほどその解読は困難である、様々な意味があるからだ。しかし地元の強みですぐにどの畑地名が本命かわかった。
Img_4299



畑口川、この上の右岸に日置殿町がある。

 畑川(大町)、畑尻(市志)である。つまり上林川最大の支流畑口川(はたぐちがわ)の流域こそ畑なのではないだろうか。
 「上林風土記」(上林風土記編纂会)に次の文章がある。
 
 

 
(前文略)実際にこの合流点の遊里寄りには「畑川」の小字名も残っている。古く「はた」と呼ばれた地域→そこを流れる畑川→合流点の畑(川)口、これ流域全体の呼び名として「畑口」(畑河内)となり、さらに畑口川に転化した様子がうかがえる。(P19)
 また上記の論証として以下の事柄を書いている。
 室尾谷神社について、明治16年の神社明細帳では「畑川」にハタゴとルビをふっている。
 水梨十二者権現の鰐口には「上林畑川内水梨村」とある。
 「丹波負笈録」に、上林谷の内畑河内と云所あり 谷奥北より指込なり 其村数 遊里・清水・虫・辻・水梨・市野瀨・市志七ケ也

 実に明快に畑口について書かれている。遊里から上七ヶ村が畑河内(はたごうち)であり、やがて畑口(はたぐち)川という風に変わっていったのだろう。つまり小字の畑川は川そのものは畑川と呼ばれていて、その源流が市志の畑尻なのではないだろうか。Img_3654
 



畑口川源流の市志集落

  畑口川流域が日置に隣接する畑地名の谷だとすると、実に今まで紹介した日置と畑の関係と一致することに驚く。
 さらに気になることは、遊里に日置殿町の小字があることである。上林の日置は日置谷(八津合町、日置と日置村中)と日置殿町(五津合町)の二ヶ所あることになる。
 一応調査対象とした日置については、すべての地域に畑地名の谷が隣接していることがわかった。立地、地形的なことの他に共通点も見いだしているが、これだけのサンプルで判断できるものではない。ましてや現地を訪ねていないところも多く、調査したい事項も多い。もう少し範囲を広げて調査し、現地も訪ねてみたい。
つづく

【今日のじょん】連日雨が続いているが、断続的に強く降っていて不安な情況である。朝少しあがったので川の様子を見に行く。過去の大雨よりは水位は低いが、向山に土砂崩れを発見する。一時的とはいえ強烈な雨が影響しているようだ。P1010058
P1010057

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする