2013.9.12(木)晴れ
以前に「日置氏の正体は?」という記事を書いた。(2010年1月10日~11日参照)この記事が検索サイトからのヒットが実に多いのだ。日置氏や日置に関する関心や興味が多いことが解ると同時に、誰もが納得のいかない状態にあるということも想像できる。
「日置氏の正体は?」の記事は、「古代の鉄と神々」(真弓常忠氏)Vs.「知られざる古代」(水谷慶一氏)のこと、つまり鉄の道と太陽の道の争いである。
この記事を書いた当時、わたし自身は鉄や金属が古代歴史の流れの中心にあったと考えていたので、真弓氏の主張に傾注していた。つまり太陽祭祀の道なんて夢物語で、権力はひたすら金属の発掘、開発に突き進んでいたと考えていた。
ところが歴史というか人間の営みというのはそれほど単純なものでなく、ましてや国家を建設しようかという人間にとっては事はそれほど単純でないということだ。
そして当時の自らのスタンスは常に科学的であって、スピリチュアルなものを排した説となるよう心がけていた。
金属というのはきわめて科学的な物質である。発掘をして精製して製品にする。その製品が食糧の増産はもとより、権力の維持発展に大きく貢献する。もちろんその生産の過程で宗教的なものは随所に現れるのだが、それは単に付随した所作と考えてもいい。
逆に太陽信仰に基づく謎のラインなどというのはスピリチュアルそのものだという考えが、その当時あったことは隠せない。
同じラインを「太陽の道」「鉄の道」と主張している。
しかし今一つの大きな転換がある。それはスピリチュアルなもの、呪術的なものに対する考えだ。もちろん現在の考えとしてはそういう考えに属するものではないが、古代の社会においてそういったものが社会を支配する要素であったことは誰もが認めることだろう。おそらく教科書にだってそう書かれているだろう
ところが史学にしても考古学にしても呪術的な部分には目を背けているのが現実ではあるまいか。そういった分野に目を向けているのは学者ではなく、素人の巷の研究者である場合が多い。中には度が過ぎてオカルトチックな内容になっているものもあり、宗教団体のパンフレットのような論文もある。
古代の政(まつりごと)は祭政一致というのは誰もが認めるところである。
考古学の論文などを見ていると、祭の方には随分無頓着なのに、出土物で用途がわからものなどには必ず「呪術や祈祷に使われたものだろう」という結果になっている。一体誰がどのような祈祷で使ったものか考察はされない。解らないものは宇宙人が持ってきたと言っているのと同じである。
現代人には信じられない呪術的なものスピリチュアルなものであっても、古代人にとっては重要な要素であったことを理解しないと、古代の謎は解けないと思うし、その解き方は科学的でなくてはならないと考えている。
3年前に書いた記事では、太陽の道を否定的に書いているが、現在では太陽の道はあり得ると思うし、実は鉄の道も同時にあるものと思っている。
そしてそれらは同じ権力、同じ氏族、集団によってなされたものと考える。
そのことを少しでも証明するために、「日置のこと」を書いていきたい。つづく
【作業日誌 9/12】
ジャガイモ(男爵)植え付け
大根播種準備
【今日のじょん】モモ姉さん来じょん
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ヒコヒコ。いつもいっしょやないけ~。