2013.9.20(金)快晴
盃状穴存在の特徴
いくつかの寺社をめぐり盃状穴を探してきたが、存在するところにはいくつでもあり、無いところはもちろん皆無であるという傾向がある。これは盃状穴を穿つ習慣があるところと無いところがはっきりしていると言うことではないだろうか。ほぼ全国的に存在するわけだが、どの地域にもその習慣があったとは思われない。
また、多数存在するか皆無かと言うことなので、坂尾呂神社の盃状穴(2013.3.30)について悩ましい感を持っている。境内の中に石段のこの一角だけに4個、それも不完全な形であるのだ。何度も写真を眺めているのだが、再度訪れて結論を出したい。
坂尾呂神社石段の盃状穴
今までに発見した盃状穴はそのすべてが、集落の中心地にある。江戸時代には門前町であったり、宿場町であるケースが多い。村はずれや辺鄙なところには見つかっていない。また盃状穴のある所は人目につく、賑やかなところが多い。例えば神社や社務所の裏手といった人目につかないところには見つかったケースはない。
盃状穴を発見した壱鞍神社(左)八幡神社(右)そして善福寺ともに集落の中にある。
このことは盃状穴を穿つことが公認された行為であること、集落の中で日常的な風景として行われていたのではないだろうか。
善福寺の百段を超える石段について、盃状穴の存在は下部の20段に集中しており、特に最下段の4,5段に大きいものなどが集中していることはどう考えたらいいのだろう。
盃状穴を穿つことが祈りの一形態だとしたら、人々は一体何を祈ったのだろう。手水鉢の縁に穿たれたものは雨乞い、水乞いではないかと想像した。(南丹市八木町鳥羽八幡神社、園部町内林町八幡神社)
鳥羽の八幡神社(左)、内林町の八幡神社(右)手水鉢の盃状穴は強烈である。
一般的な石段や灯籠などに穿たれたものは、安産あるいは男児出産の祈りではないと想像している。祈りの主体が妊婦であるとしたら、善福寺の急な石段の上部に盃状穴が少ないのが理解できる。また、昔なら例え妊婦であっても昼間は忙しく働いていただろうから、夜に盃状穴を穿ったということも考えられる。そうすれば民家があって灯りのもれる最下段の部分は絶好の場所となるだろう。 善福寺終わり
善福寺の石段は急で、手前には両側に民家がある。
【作業日誌 9/20】
山内薪集め終了
草刈り(6-4)
軽トラ8往復お疲れ様。
【今日のじょん】プー助死す。
ありゃあ、道の真ん中になんだい?
近寄ってみると、イタチのプー助じゃねいかい、ナムアミダブツ。