2014.11.3(月・祝)雨
「両墓制と他界観」(新谷尚紀著)の中で墓制の分類Ⅰとされているのが無墓制
で、「死体埋葬地点に一連の墓上装置を施すだけで石塔は建てない」というのが無
墓制である。(2014.8.13参照)
当時、両墓制の研究をしていたので、無墓制については関心を持たなかったのだ
が、無墓制が浄土真宗における火葬と相まって行われている墓制だということもあ
って急に読みたくなった本である。
「近江の無墓制と「ぼんなり」考」(志水宏行著)宝蔵館 2003年3月初版
府立図書館借本
無墓制というのはどのようなものか、また火葬の実態も垣間見られるのではない
かという動機で借りたのだが、この本は妙な縁があった。実は現在この本を読了し
ていないのだ。先日、京都の龍谷ミュージアムの大谷探検隊の展示に行って、帰っ
てきたらうっかりと借用期間が切れていることに気付いたのだ。あわてて図書館に
連絡すると、すぐに返却するよう言われる。仕方が無いから再度借りて読むかと
思っていたら、かみさんが「この志水って人龍谷の先生か?」と言い出す。
真宗の葬送墓制の事について書かれているから龍谷大関係の人かなと思い、著者
略歴を見ると確かに龍谷大の教授など歴任されている。しかも本書発行の前年同日に
逝去されている。
彼女の父親の友人であって、家にも訪ねてこられる仲であったから龍谷大の先生だ
とか闘病中であったこととか憶えていたようである。
つまり本書は志水先生が亡くなられた後に、周囲の方々が先生の遺志を後世に伝え
るため発行されたもののようだ。発行日がちょうど一周忌となっているのもそういう
意味があるようだ。
二週間たっても読了できなかったのは、中には哲学的、宗教的で理解が困難な論文
も混じっていたからだと思う。
葬送や墓制に関する民俗学的な論文は興味深くどんどん読み進められるのだが、哲
学的宗教的な部分はちっとも頭に入らない。こんな状況が、先生が身近にご縁があっ
たと知って急に変わるのだからおもしろい。特に本書の最後に龍谷大の学生向けに
された御逮夜法要公演の「人それぞれ」という公演記録は人間の生き方について
深く考えさせられる内容である。つづく
【今日のじょん】夜中にカメムシやカエルで騒いでいる場合ではなかった。
再三じょんのび谷がイノシシに荒らされて、じょんのび水道の水源がえらいことに
なっているのだ。とにかく修理の必要があるので偵察にゆく。結構音がすると思う
のだがなあ。ワオ!