晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続々・青葉山縦走 11/16

2014-11-16 | 山・峠

2014.11.16(日)晴 金閣炎上

 1950年に放火によって金閣寺が焼失したことはご存じのことと思うが、と書くところだが実はあまり知られていないことかもしれない。金閣寺は誰でも知っているがこの事件についてはあまり知られていないようである。わたし自身もこの事件を知ったのはそう古いことでは無い。かといっていつ、何で知ったのか解らない。三島由紀夫の「金閣寺」は知識として知っていただけで、読んだことはない。
 水上先生の「金閣炎上」を知ったのは実に上林に越してきてからである。水上先生もこの事件について書いておられるのだという不思議な気がしたのだが、書かれた動機のひとつが、高野の分教場に勤めているときに大それた事件を起こした修行僧、林養賢の少年期に会っているということである。
 先日渡辺淳先生にお会いしたとき、「高野の分教場はまだ残っているのでしょうか、水上先生が林少年に会ったというのは本当のことだったのでしょうか」と訪ねてみた。
 「分教場は随分傷んでるが残ってますよ、先生が会ったというのはそう書いておられるのだから事実でしょう」これを聞いて高野分教場に何としても行ってみたいという気になった。実は今回山行の目的の大部分はここだったのだ。
 青葉山東峰から眼下に分教場を見つけたとき、一挙に6,70年の時代が遡り、そこで国民服で教鞭を執っている先生と着物にわら草履の子供達の姿が目に浮かんだ。その建物は赤い屋根といかにも校舎という感じの建物だった。

 青葉山を下ると一目散に分教場、旧高野分校跡を訪ねる。丘を越えてたどり着いたそこは蔦や蔓が絡んで屋根まで這い上り、屋根は一部がめくれあがり、板壁は腐ったところがトタンに変わっていた。しかしそれでも何十年という風雪に耐えよくぞ残っていてくれたかと思う。中を覗くと農機具小屋となっていたが、教場を思わせる部屋も残っていた。
 教場の裏で水上先生と林少年が出会ったという風に思っていたが、後日知ったのは、出会ったのは青葉山の裏ということだ。となると一体どこで、どのような理由で出会ったのだろうかとても気にかかる。

青葉山の裏、内浦湾
まず「金閣炎上」を読んでみることにした。読めばその辺りの シチュエーションは理解できるだろう。そしてその場所が解ったら是非とも行ってみたい。青葉山の裏というからには、青葉山の北側になるのだろう、高野教場は南麓にあるのだから。
 青葉山の裏とはどんなところだろう、そこから青葉山はどのように見えるのだろう。思い出せば青葉山の裏、県道21号線は自転車の練習で何度も走っていた。舞から塩汲峠を越え難波江から田ノ浦に至るコースはアップダウンにとんだいい練習コースである。ただ競争することが目的なので、周りの景色も青葉山の様相も網膜に映っても記憶に残ることは無かった。水上先生と林少年の出会いの場所が解ったら、そこへ自転車で行ってみよう。自転車なら景色も季節も感じることが出来るし、青葉山だってじっくり眺めることも出来るから。

林少年の生まれは左上にかすんでいる正面崎の向こうにある成生(なりう)である。
おわり

【今日のじょん】いくぶん軟便はつづいているが、食欲も戻ってきた。今日は久々の好天で舞ちゃん、サリーちゃん、ナナちゃん、ゆきちゃんと女の子ばかし来じょんしたんだが、自重して遊べなかった。

舞ちゃんは人なつっこいのだ。

おしゃまなサリーちゃんも田んぼや畑を走り回ってすっかり田舎犬になったぞ。

コメント (1)
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