晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

園芸の先生 6/15

2009-06-15 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.15(月)曇

 何とも涼しいというか寒い日が続いている。生活には楽だが、もう6月の中旬だぜ。昨年の今頃はいかばかりかとブログを遡ってみる。結構カラッとしたいい天気が続いており、似たようなものだ。生姜の芽が出てきたとか、梅の実がふくらんできたとか結構気ぜわしい話題が載っている。生姜畑の用意もしなければならないし、梅肉エキス作製の用意もしなければならない。
 一年間野菜を育ててきて一番大切なことは播種や苗の植え付けの時期だということがよく解った。時期がぴったり合うと、すくすく育ち収量も味もいい、これを間違うと全然育たなくて、葉っぱばかりで実や根が採れないということとなる。農家には農家暦なんてのがあったり、残雪の形で種蒔きをしたりしてきたのがよく解る。地域によって気候も違うのだから、各農家にはその家独特の暦があるのだろう。それは記録されているものもあれば、頭の中にインプットされているのもあるのだろう。私の場合は一応一年間の記録がこのブログにあるから参考にしているが、最も手っ取り早くて確実なのは近所の畑を見ることである。幸いじょんの散歩で日に一回は近所を歩くので観察ができる。種を蒔いた場合は大抵種の袋を立ててあるので、何が撒かれたか解るし、条蒔きか点蒔きかなんてことも観察できる。苗の場合は大体なにか解るし、解らない場合は聞くしかない。
 成長に合わせた育て方も観察しているとよく解る。最近気になっているのは、トマトの上部にビニールが掛けてあることだ。掛けてない畑でも、掛けられるように準備してある。何のためだろう、病気予防かと思うが聞いてみないと解らない。
 もう一つ気になることがある。オクラの茎がスパッと切られていることで、これで3本目だ。幸い沢山種を蒔いていたので、間引きすべき苗を植え替えて間に合っているが、昨年のように苗一本だけを育てていたら、それまでだ。Img_2490

すっぱり切られていて、がっくり来る。


昨年もオクラではないがネギの苗が切られていたことがある。お客さまに尋ねると根切り虫じゃないかと言われるが、なんで根切り虫が茎を切るのだ。大体根切り虫ってどんな虫なのだろう。原因がわからないので予防のしようがない。切った葉を巣に使ったりするのなら解るけど、そのまま放っているので余計不思議だ。大体寄生宿主を殺してしまうとは寄生虫の仁義にも反している。とんでもないやつだ。こればっかしは園芸の先生も教えてくれない。

【作業日誌 5/15】
店多忙

今日のじょん:夕飯の時錠剤を混ぜて食べさせられている。昨日までうまく食べていたが、今日は一個残してしまった。少し残ったドッグフードと一緒にやっても上手に吐き出す。大好きなジャーキーに混ぜてもジャーキーだけ食べてしまう。この薬なんぼかかってると思とんねん、金勘定になってきた。いくみちゃんが持ってきたチーズのスティックに埋め込んでやると、さすがに変な顔しながら呑み込んでいた。

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野外洗顔 6/14

2009-06-14 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.14(日)曇

 タイトルにすると変なのだが、要するに歯磨きや顔洗いを外ですることである。田舎の家では当たり前のことであって、家の裏にある井戸のそばで洗面器に水を汲んで洗っていた。ところが子供心に貧乏くさくて、田舎くさくて嫌であったのを憶えている。都会暮らしをするようになって家の中の洗面所で歯磨きをするようになったとき、無上の喜びを感じたものだ。もちろん栓をひねればすぐにきれいな水の出る水道や、火を熾さなくても使えるコンロ、風呂たきをしなくてもレバー一つで沸くお風呂も感激ものであった。今では都会も田舎も同様に便利な生活をするようになったが、歯磨きだけは外でする方が気持ちがいいのだ。あれほど嫌がっていた野外洗顔がここにきてとても楽しいものとなっている。というより室内の狭い洗面所で歯磨き洗顔することが窮屈で堪らないのだ。最初のうちは手ぬぐい、歯ブラシ、歯磨きを持って表に出ていたが、面倒なので表に歯磨き置き場を作った。といっても牛乳箱のおもちゃをぶら下げただけであるが、ベンチに腰掛け出勤であわただしい車の列を眺めながらガシガシ歯磨きするのは最高である。Img_2491




【作業日誌 6/14】
出店用看板造り

今日のじょん:マーブルと遊べないせいか元気がない。芝生ランニングもマーブルと遊んでくたくたになってるときの方が激しい。興奮状態が続いているためなのか。早く治して元気になってくれい。

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蛍現る 6/13

2009-06-14 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.13(土)曇

 昨日はカラッとしていたが、今日は蒸し暑い。上林では「蛍出てますか」というのが挨拶になっている。一週間ほど前からちらほら出ていたようだが、いよいよ本格的に出てきた。風のない、気温の高い、湿度の高い夜、八時頃が最適の環境だそうだ。今夜、綾部温泉の帰りが調度その時で、念道の停留所に車を駐めて、上林川を眺めると居るわ居るわ、念道橋のあたりから少し下流にかけて、幻想的な光景が広がる。橋の上に行けばもっとよく見られるのだが、真っ暗で気味悪い。じょんのび村にも出てるかなと、車のライトを消す。じょんのび谷の桐の木の付近や堰堤のあたりに、数は少ないが、でかい蛍が現れた。土曜日はほたる祭だ。真剣に準備しなくちゃあ。Img_2404
じょんのび村の蛍スポット。


【作業日誌 6/13】
本日休養日のため作業無し

今日のじょん:胸のプニュプニュのところに湿疹ができて、掻きむしるものだからえらいことになっている。病院で毛を剃られ、飲み薬も貰って、かさぶたになってきているのだが、痒いみたいだ。アレルギー体質みたいで、先生も「こういう犬は湿疹ができやすいですよ」と言われてたそうだが、こういう犬とはどういう犬なんだろう。
自慢の胸の毛を剃られたせいか、薬のせいか元気がないように見えるのだが、食欲は充分で心配なさそうだ。Img_2489

情けない顔で丸まっている。

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続百足地獄じゃ 6/12 

2009-06-13 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.12(金)晴れ

  さて、我が家に現れる百足は何という種類なのだろう。調べてみるとトビズムカデという種類のようだ。オオムカデ目という日本では20種近い目の一種で大きさも最大、有毒である。
その生態や侵入予防法は昨日書いたとおりだが、我が家ではさっそく忌避剤をベランダ下に撒いた。ところがこの忌避剤、天然成分ということでどうもイマイチ迫力がない。しかも家の周り全部でなく南側部分だけである。いかに天然成分といえども、犬が舐めたらやばいかなあというのがあるので、周囲全部に撒けないのである。ホームセンターで
忌避剤を探していて気付いたのだが、アリ用、ムカデ用、ダンゴムシ用とかいろいろ出ているのだが、よーく成分を見るとまるっきり同じなのだ。ここで昨年の11月5~7日のカメムシいるいる大実験を思い出して欲しい。ハチ、カメムシ、ムカデ、ハエ、カなどの殺虫剤が似たようなのや同じ成分なのがあり、結局どれを使ってもカメムシに効いた、遂にはクレ556でも殺虫効果があったというなんともばかばかしい殺虫剤の話である。忌避剤はもっとたちが悪くて、同じ成分のものを商品名を替えて売ってるのだ。これって絶対一本買えば済むものを何本も買ってる家庭があるのではないか。ものを買うのに慎重な我が家でも、同じものでタイトルの違うものを2本買っていた。こんな腹立たしいことはない。Img_2488

右の二つ、アリ用とダンゴムシ用は同じ成分である。


さて、実際にムカデが現れた場合、我が家では各部屋に殺虫剤(ハチ用でもムカデ用でもカメムシ用でも何でも同じ)を置いておき、シュッと一吹き、これでムカデは動かなくなるが、これを火箸か割り箸で摘んで瓶に入れる。ムカデは見た目は頑丈そうだが割合簡単に動かなくなる。昔からお湯が一番効くと言われているが、これは本当だ。どんな場所でもお湯でやっつけると言う人もいたが、後始末が大変だ。野外の場合はお湯で対処している。
 もう一つ言い伝えで、一匹いたら必ずつがいが居ると言われている。確かに我が家の2匹は日は違えど同じ場所にいた。でもこれは根拠のないことのようだ。ムカデがおしどりじゃあるまいし、夫婦で居るはずがない。ただ現れる場所は似通ってくる、条件があったところに何匹もいるということか。
 もう一ついい伝えで、ムカデを油に漬けておくと火傷の薬になるとか、ムカデに咬まれた時に効くとか言われている。これは民間療法で通っており、市販されているものもあるそうだ。もっとも私は使う気はしない。
  そして最後に咬まれたときのこと、毒液を出す、氷で冷やす、抗ヒスタミン剤を塗布するなどと言われているが、いずれにしても救急病院に行くことだ。
とりあえずは、床下と倉庫を燻煙して虫退治をしよう。

 【作業日誌 6/12】
薪割り(今冬収集分終了)

今日のじょん:フェラリヤや九種混合ワクチン、フロントラインを貰うため舞鶴の動物病院に行く。嫌いな自動車も嫌々ながら自分から乗り、菅坂の急カーブにもめげずに酔うことなく行けるようになった。少しずつ大人に変わっているのかな。
診察室に入るなり、先生に「ハーネスの付け方が違ってますよ」と言われた。いやープロの先生でも知らないことがあるのだ。かみさんがインターネットで買ったこのイージーウォークというアメリカ製のハーネス、そう一般的でないようだ。かみさん「これで合っているんです」と言ったものの心配だからもう一度パンフレット見直していた。Img_2486

引っ張り癖のあるワンちゃんこれで解消。

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百足地獄じゃ 6/11

2009-06-12 | 日記・エッセイ・コラム

2006.6.11(木)曇

 先日百足発生の記事を書いたが、大発生かどうかは解らない。言えることは昨年家の中で見かけることは一度もなかったが、今年は既に3匹、倉庫で2匹捕獲している。今日は倉庫の作業台の上で一匹、居間の私の席で一匹捕獲した。特に居間で出てきたのは、12cmの大型で、先日出てきたのと同じ場所で、いつも昼寝をする場所である。Img_2483
でかい方が家の中で捕獲したもの。12cm

こうなってくると百足対策を講じなくてはならない。放っておくととんでもないことになりそうだ。噛まれた人の悲惨な状況を見聞きしてきた。顔の上を這っても触ったり動いたりしなければ噛まれることはないと地元の人に聞いた。それってそんなことできると思う?あのでかいのが顔の上這って平気でじっとしていられるはずがない。熊に出合ったら目をそらさずに後ずさりする、といっしょだ。
敵を知り己を知らば百戦危うからずということで、その生態を調べる。土の中や腐った木の下などに棲息しているのは承知の助だが、なぜ家の中にやってくるかだ。まさか人を噛むために入ってくるわけではない。やはりエサのようだ。クモやゴキブリと言った小動物、昆虫を求めて家に侵入するらしい。家より野外の方がこういった虫などは居そうだが、捕獲しやすいとかひょっとしたら美味であるとかなど彼らの理由があるのだろう。彼らの好むところは、狭いところ、湿気の多いところ、虫の多いところでこれらの要素を除けば侵入しなくなるという理屈だが、これがなかなか困難な問題である。狭いところ、それじゃあ百坪の部屋ならいいのかというとそうでない、物が一杯置いてあったら駄目なわけだ。狭くてもいい、物がなければいいわけだ。却下。
 湿気の多いところ、これは少しは対処できそうだ。以前私は酔っぱらって帰ってきて、顔を洗おうと水道の栓をひねったところ、排水口から得体の知れない物が飛び出してきて、棒状に立ち上がりくねくねと踊るのだ。マジでエイリアンが出てきたのかと思いぞっとして酔いも吹っ飛んでしまった。百足って湿気の多いところが好きなくせに水そのものには弱いみたいだ。
 水回りや床下など竹炭や乾燥剤を撒いて湿気を少なくすることは可能である。石灰がいいというのを聞いたことがあるが、殺虫効果や忌避効果はありそうにないが、湿気を少なくする効果はあるかも知れない。
 次にエサとなる虫やクモを駆除する。これはある程度できそうだ。要するに殺虫剤、燻煙剤で駆除すればいいわけだ。つづく


【作業日誌 6/11】
ワケギ掘り出し
青紫蘇種蒔き
芝生土運び

今日のじょん:たんぼ道に除草剤が散布されたり、獣除けの電柵が設置されたりで散歩コースが少なくなってきた。そうでなくても草が茂ってきて歩けないコースが増えている。去年はどうしてたんだろうと考えると、まだじょんは来ていなかったのだ。最近行ってない清林寺コースや公民館コースを復活させなければ、、、、。やっぱ散歩は雪道が一番楽しいんでないかい。
Img_2269
春は田んぼの中散歩できたのになあ。

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四十腰、五十肩、六十指 6/10

2009-06-12 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.10(水)雨

 本当は四十肩五十腰と言うそうだが、最近は腰は三四十、肩は五十代が一般的である。五十肩なんて他人事だと思っていたら、2006年秋からなにか肩がだるくて動きにくい、だんだんきつくなって冬には完全に五十肩となった。これは自転車旅行中のことで大変苦労した。自転車走行にはそう問題なかったが、痛みで夜寝られないとか、ちょっと触ったら飛び上がるほど痛いこともあった。東北、北海道など回っているときなど毎晩温泉に浸かり、治療したが何の効果もなかった。温泉の入口には効能書きが掲げてあり、必ず五十肩は書いてあるのだが、、、。
「そんなもん毎日入らなあかんで」
「いやあ、お湯は変われども毎日入ってるんですけど。」
結局旅が終わった2007年の秋に知らない間に治った。皆が言うように五十肩は一年で自然に治るようだ。ただし、人によっては何度も再発するそうだ。いやもう二度とこんな思いはたまらんのでなんとか再発しないように笠次先生のプログラムを温泉に行くたびにやっている。そのおかげか今のところは大丈夫である。
 四十腰は私の場合三十腰だ。岩登りの訓練にと柔軟体操をやっていてぎっくり腰になって以来、二十数年のお付き合いだ。痛くて動けないようなことは起きなくなったが怪しげな腰痛は年に数回起きる。
 困っているのは六十指である。まだ六十にはなっていないが、昨年の秋以来いわゆるバネ指になり、最近では夜中に疼いたりもしだした。老化も原因かと思うが、昨年以来の力仕事、特に穴掘りや畑仕事など握って力を入れる仕事がつづいていたのが原因と思われる。先日農村労働組合のチラシが入り、振動障害の特殊検診を受診しましょうといって労働省指定振動工具の一覧が載っている。チエンソー、刈払機、ディスクグラインダー、インパクトドリル、ハンドグラインダーなど結構使ってるよね。尺骨神経麻痺なんて強烈な病気も載っていて、うーむやばいなあという感じである。Img_2482
 あと数十年使わなきゃいかん腰、肩、手指、保つかなあという不安がなきにしもあらずである。少なくとももう一度やりたかった岩登りは断念である。往年には指立て伏せ、指懸垂もしていたんだぜ。

【作業日誌  6/10】
倉庫の整理

今日のじょん:レインコートはいつものように雨降ってじょん固まるになっている。大好きな散歩なのにレインコートが嫌でサークルから出てこない。無理矢理着せると固まって動かない。お尻を押してやると動きだして、後はいつもどおりにオシッコしたりうんPしたり、仕上げの芝生ランニングはレインコートのままでやるので面白いったらありゃしない。Img_2478

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続草・虫・蛇 6/9

2009-06-10 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.9(火)曇

 昨年の6月にも同様のタイトルで記事を書いている。夏の風物詩といったところか。現実にはそんな風流なものではなくて、困ったものである。そのいずれもが昨年より脅威を増している。特に蛇はヒマラヤ杉騒動で庭中材木と枝を積んだものだから、拾ってきた薪と合わせてその生息地が格段に増えた。雪が解けて以来それらの焼却と整理を続けているのだがまだまだというところである。
 実際マムシ以外の蛇は気味悪いだけで、そう害があるわけでないのだけど、かといって駆除するわけでないので増える一方だ。大体ヘビの天敵は何なのだろう。鳥、特に大型のトンビや鷹などは蛇を咥えて飛んでいるのを憶えている。自転車旅行中でも東北で二回目撃した。ところがだ、上林のトンビは他に美味しいものがあるのか、蛇を捕る根性がないのかトンと見たことがない。鷹なんて姿も見たことがない。カラスでも蛇を捕るそうだが、これも見たことがない。カラスならいくらでもいるのだが、、、。イタチ、テン、キツネ、ヌートリア、ネズミはどうだろう。こいつらも蛇を食いそうだが、どうもそれ以上に食い物がありそうだ。
 てなわけで今年も草、虫、蛇には苦労しそうだが、大体草が多いから虫が増え、虫が多いからカエルなどの蛇のエサが増え蛇が増えるわけだ。殺虫剤や除草剤のせいでミツバチが減っているといわれている。有益なものは減って有害なものが増えると言う図式は一体何なのだろう。有益無益たって人間の勝手だから、それは単に自然の摂理なんだろうか。

【作業日誌 6/9】
ヒマラヤ杉焼却
薪割り

今日のじょん:きょうはじょんのシャンプー日である。「じょんじょんシャンプ~、じょんシャンプ~」などと歌いながら、気楽そうにやっているが、これが段々きつくなってきた。「お金持ちになったら、連れてって洗ってもらおな」なんて言ってるが、どうも一生家で洗ってやりそうだ。シャンプー前に体重を測る、17,8Kg、見事に変わらない。
あれだけ食っても太らない訳は、強烈な運動とりっぱなうんPである。Img_0871

快食快便

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草、虫、蛇 6/8

2009-06-10 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.8(月)曇

 妙に寒い日が続き、衣替えしたくてもできない。京都にいるときはゴールデンウィーク中にはしていたのでやはりこちらは寒いのかなと思ったりするが、天気予報の気温をみると南部でも低温の様子だ。なんでも5月はじめの頃の気温だとかで、アイスコーヒーが売れない。昨年はどうだったかなとバックナンバーをくってみるとやはり雨の時は気温が低いようだ。ただ晴れると相当暑い、気温差の激しい季節みたいだ。
 ところが夏のトリオ、草虫蛇だけはしっかりと頑張っている。田舎の人には当たり前のことだから都会の人だけ読んでいただきたい。
草、昨年も苦労したが、今年は昨年の比ではない。なぜって昨年は土がかえされていたり、真砂土が入ったり、重機で削ったりした後だからしれているわけだ。同じ頃の昨年の写真を見ても可愛いものだ。北側の山の斜面や谷の中は例年通りである。Img_0602_2 Img_2367

左が昨年5月8日、右が今年5月8日、まだ草の少ない時期だが一年の違いがよく解る。

大体屋敷全体を草刈りすると丸二日かかる。芝刈りは丸一日で片手間にやってるとその倍も3倍も掛かるのでつらいものがある。刈り取った後も大変だ。山と積んで乾いたら燃やそうという魂胆だが、表は乾いても中はじっとりとしていて、その中に虫はわくわ蛇は入るわ臭いはするわで最悪。焼却してもぶすぶすとくすぼって最初の枯れ草などもう2週間ほど燃やしている。
 虫、百足の発生が多いようだ。実は入居から一年間、百足を家の中で見ることは無かった。さすがに気密性の高い近代的な家だと感心していたら、今年はもう2匹出現、小屋でも2匹、畑ではもう数え切れないぐらいの出現、これって多すぎない?
生まれて18年間わらぶき屋根の農家に住んでいたけど百足で悩んだことは無いのだ。居るには居たような記憶があるが、あまり気にもしていなかった。ところが今、こいつが寝床に入ってきたらとか、靴の中に居たらとかやたら気を使っているのだ。
 服を着るときは払って着る。
 靴を履くときは中を確認して履く。
 手袋をはめるときは確認してはめる。
 シャッターを開けるときや置いていたものをどけるときは確認して行う。
 布団を敷くときはよく確認して敷く。
これ小原家の家訓とする。 
 蛇は明日につづく。

【作業日誌 6/8】
薪割り
雑草燃やし

今日のじょん:涼しい日が続くせいかよく食べる。朝のぽんぽこぽんで胸肉ジャーキー一切れ、一時止めていた朝食も復活でドッグフードに牛乳なんかかけて食っている。昼はおとうおかあの昼食からご飯何ぞをちょこっと貰う。夕食前のビヤタイムにはきびなごとビスケットなどのお菓子を少々、夕食はしっかり食べて、本ちゃんの食事時はおかずを少々おねだり。はっきり言ってかみさんよりじょんの方が沢山食ってるぞ。それでも体重は一定、そのわけは明日。

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ブログ見てます。 6/7

2009-06-08 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.7(日)曇、雨

 今日は仁王門登山レースの開催日である。参加してみたい気持はあるのだが、店を休めないので参加できない。早朝からもの凄い数の車が府道を遡ってくる。参加者が九百数名とか新聞に載っていた。乗り合いされているとしても、応援の人などもあるからそれくらいの車が通ったのだろう。予告看板も立てたし、今日はレース帰りのお客で忙しいぞと思いきや、それらしいお客さまは一組だけであった。どーもランナーというのは帰りにカフェで一服していこうなんておしゃれな人はいないようである。そういえば私自身がマラソンやってるとき、中華料理店には寄ったけど喫茶店には寄った憶えがないなあ。
 それは兎も角、終りがけに気持ちのいいお客さまが来じょんされた。夫婦で遠方から来じょん目的に来られたわけだが、ブログを見て来られたということであった。我が晴徨雨読もアクセス数が増え、遂に7万回を超えたみたいだ、誠にありがたいことである。来じょんされたお客さまに「ブログ見てるで」と言われると恥ずかしさもあるがやはり嬉しいものである。ところが今日のお客さま、バイク好きで吉右衛門のブログから晴徨雨読にたどり着いたんだって。「へー吉右衛門のブログ見てる人いるんだ」「いやー結構見てる人いますよ」「わからんもんやなー」なーんて好きなこと言ってるが、よかったねえ吉右衛門、しっかり書けよ。そろそろ十座間会しやなあかんな、その前に一輪車拾いにいかない?

【作業日誌 6/7】
店多忙で何にもできず。

今日のじょん:村上さんから竹原君のかつての修業先やまうちのうどんをおみやげにいただいた。つけ麺にしていただいたが、麺はこしがあって美味しいがつゆがちょっと塩っぽくて、弟子の竹原君の方が美味しく感じた。食べているとなぜかじょんが欲しがって、やたらあご乗せじょんを繰り返す。一本長いのをやったら、人間が呑み込むようにするすると食べてしまった。そんなことってあるのかなあ。村Img_2476 上さんごめんなさい。

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鮎解禁 6/6

2009-06-08 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.6(土)雨、曇

 上林川鮎の解禁日である。念道橋の上手の瀬のところで3人ばかし釣っている。上林に来て初めて鮎の釣りをみた。ニュースで見る各地の釣り場では多くの釣り人が競って釣っているが、ここ上林川ではひっそりしたものである。釣りのことはよく知らないのだが、地元の人の話を聞くと鮎が減っているということだ。といっても放流している稚魚は変わらないだろうから、育たないと言うべきなのか。その理由も温泉の排水とか、雪の量が減っているからとか噂に上がっているが、本当のところは解らないというのが現状のようだ。
 私自身は子供の時はよく雑魚釣りをしたが、あまり釣りは好きでもないし得意でもない。友人の中に鮎釣りの好きな者が結構いるので、習おうと思えば習えるのだが、今のところ時間的にも経済的にも難しい。上林に行ったら鮎釣りしよーなどと思ってはいたのだが、いざ来てみるとそういう雰囲気にはなっていない。ただ、食うのは大好きで、昔、常照皇寺の橋の下で捕り立ての鮎を20匹ぐらい食べたことがある。それはかつて自転車の練習で京北町477号線を走っているとき、常照皇寺の下の橋の上で休憩していたら、「小原さ~ん」と声が掛かった。驚いて下を見ると数人の釣り人が盛んに鮎を釣っており、炭火が熾してあって、ビールが冷やしてある。知り合いの職場のレクリエーションで釣りながら食うという宴会が始まっていたのだ。よくぞ車でなかったと感謝した。(自転車でも飲酒運転は御法度ですぞ)なにせ釣ったところの鮎をその場で焼いて食うのだから美味いこと美味いこと、後にも先にもこんな美味い鮎を食ったことはない。飲んで食ってべろんべろんで家まで数十キロを自転車で帰った自分も偉いが、その後どんなところで食った鮎もあの時の味には勝てない。あの味が忘れられないので、いつかは自分で釣ってみたいと思うのだが、、、、、。

Img_2468

今年初の自作夏野菜えんどう豆、ご飯に、卵とじに美味しいのだが2本の苗では収穫量が少なく使いようがない。来年はもう少し株を増やそう。右は前川さんに貰った山椒で作ったちりめん山椒、昨年の反省を活かし、カリッと硬く、唇のしびれるような私好みに仕上がった。

【作業日誌 6/6】
薪の積み込み

今日のじょん:夜中に吠える。最初窓際に行って「ウー」と唸り、それから訴えるように私の方に来て吠え、また窓の方に行って吠えるのである。なにか呼びに来ているようで、慌てて外に出てみるのだが何も見あたらない。でも犬、猫、アナグマなどなにかが家の周りに来ているのに違いない。
                  
Img_2469Img_2473
昼間徘徊していたネコ、右は芝生広場を全速力のじょん。毎日これをやっており、羊飼いのボーダーコリーよりも迫力がある。

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郷土の歴史 6/5

2009-06-08 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.5(金)曇、雨

 七五三掛考を書き終えてほっとしているところだが、この間興味のない人にはつまらないブログになっていたかも知れない。本来はここまで調べて各地を回ってみたかったのだが、それは物理的に無理である。生涯旅を続けるならば可能かも知れないが、そういう旅もまた面白くないのかも知れない。定住しても訪れた先のことを思い起こし、新しいことを調べて、意識だけがその地を訪れるのも旅といえるかも知れない。
 旅の途中では下調べをするわけでなく、またどこを訪ねるかも決めていなかったから、新しい街に入ったらまず資料館や博物館を訪れることにしていた。その地域の歴史を垣間見ることがその地域を理解するには一番手っ取り早い。考えてみればそれまでの人生では資料館や博物館などを訪れることはほとんど無かった。旅行に行って暇つぶしに入ることがあっても決して印象に残ることは無かったが、なぜか海津市の輪中の博物館は印象に残っている。
 そんなわけで綾部の資料館を訪れてみたいのだが、一日ゆっくり行きたいのでその機会がいまだにない。その前哨戦として旧三和町役場の郷土資料館に行く。もっとも所用があって行ったわけで、それを目的に行ったわけではない。
 かみさんと一緒だったのと時間がないので郷土資料館の見学はしなかったのだが、代わりに資料や小冊子を数冊買ってきた。
地域の歴史を記録する・江戸時代の記録と「三和町史」
三和町を領したおとのさま ー江戸時代の領主と村ー
懐かしのアルバム ー写真で綴る三和町のあゆみー
學校 ー写真で綴る三和町の学校史ー
の4冊である。大変面白い内容で3冊を一気に読んでしまった。写真集は読むというより見るということになるが、古い写真を見るのは大変興味深く、面白いものだ。特に自らが見知っている場所や建物が写っているのは特別である。Img_2475

三和町史も欲しかったのだけど、ちょっと高額で手が出なかった。


昔の写真と言えばやはりなにかの行事に記念撮影するのが多く、人物が並んでいるだけでつまらないものも多い。せめて周囲の景色や装束などを見て楽しんでいるのだが、幾人か見知った人物が登場してくる。これは驚愕である。こういう写真集に知った人が写っていると言うことはいかに自分が歳をとってきたかということである。ひょっとしたら親父やおふくろも写っているのではないかと探すが、それはよく解らない。写真を見て思うことは、かつての村には多くの子供と若い人がいることである。これが本来の村の姿なんだろうなあ。

【作業日誌 6/5】
薪玉切り

今日のじょん:上林川鮎の解禁にそなえて念道川下流100mほどが葦が刈られユンボで道が造られた。堤防沿いの道が草だらけで気持ち悪いのでこの河原の道を歩いてみる。まだ他の犬たちも歩いていないようでにおぎ回ることもないが、初めて通るところってずっと尻尾下げたきりで怖いみたい。

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続々七五三掛考 6/4

2009-06-06 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.4(木)曇

 もう一つ七五三掛の地名を見つけた。鳥海山の登山道上にあるものだ。象潟からでも吹浦から登っても御浜(7合目)を過ぎ約一時間で七五三掛に到着する。私は登っていないのではっきり言えないのだが、地形から見るとこの地点は外輪山の一画のようで、富士山で言えば吉田口や須走から火口の縁にたどり着いた所のようなものではないか。それから火口の縁をいわゆるお鉢回りをして剣ヶ峰や浅間大社に行くという感じで、鳥海山の場合も外輪山ルートを辿り頂上や大物忌神社にお参りするのだろう。そうすると、七五三掛というのはやはりここから神聖な場所という意味合いが強い。
 月山や岩木山、八甲田山や秋田駒に登りながらなぜ鳥海山に登らなかったかと今では悔やんでいる。膝の調子や天気の都合もあるが、皇室のどなたかが登山されたという記事を見て嫌気がさしたというのもあったような気がする。(2006.9.10参照)
やむなくインターネットで鳥海山の登山記を探して読んでいるが、ほとんどが役所の決裁文書のような文面で、面白くも何ともない。今から思えば私自身沢山の山行記を書いたがなんともつまらない文だったと思う。特に登攀記はガイドブックそのままで、時間やルートが記録されているだけである。もっと心象風景や同行している仲間のこと、周りの景色や山の生活のことを書けば良かった。
 話がそれてしまったが、あるブログに「七五三掛」というタイトルでスキー山行の記事が載っていた。七五三掛の地名考証なども少ししてあって面白く読んでいたが、「七五三掛というところは外輪山と谷との標高差が最も少ないところで云々」という文章があった。要するに七五三掛は外輪山上の鞍部なのだろう。登山道が通っているのでそれは千蛇谷へ乗り越す峠と言ってもいいのではないか。ここではっと気がつく。十王峠も鳥海山の七五三掛も神聖な場所へ入る入口なのだが、どちらも稜線上にある鞍部なのである。それは下方から見るとそれこそ馬の鞍のように山稜が垂れ下がった形なのじゃないだろうか。それは注連縄の中央部が垂れ下がっている光景とよく似ている。このことに気付いたのは実は3日前の深夜のことである。我ながら興奮して眠れなかった。結界、神聖な場所への入口などと決めつけているが、ひょっとしたらその峠の形状から七五三掛の地名が来ているのかも知れない。私は秘かにそう信じている。
 山形の七五三掛、長野の七五三掛、鳥海山の七五三掛、小諸の七五三掛城、他にもこの地名はあるかも知れない。いつか現地をこの目で見てみたい。 完
Img_0107 Img_0243 Img_0301




旅行中に出合った注連縄二つ石大明神(2006.8.3、琵琶湖)、旗挙八幡宮(2006.8.14、木曽町)、佐良志奈神社(2006.8.19、千曲市)

 【作業日誌 6/4】
薪玉切り

きょうのじょん:先日毛抜けについて書いたが、いつまでもいくらでも抜けるので怖いくらいだ。マーブルお母あがじょんちゃん痩せたなあって言ってたんだって。痩せたように見えるぐらい毛が抜けているのだ。Img_2445

痩せてそ~?

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続七五三掛考 6/3

2009-06-05 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.3(水)雨、曇

 小諸七五三掛城の注連掛郭がその地形から名付けられていることにはっとした。地名というのは伝説や言い伝えから付いているのがよく観光ガイドなどに載っているのだが、実はよく考証すると地形から来ているものが圧倒的である。そもそも地名とは、地図も文献も無い時代にその土地を口承で表そうというのだから当然その地形を表す地名とならざるを得ない。山形の七五三掛が単に結界を示すだけでなく、この地方の地形を表しているのではないかと考えてみる。この地の歴史を辿っていると、833年に空海が注連寺を建立「七五三の注連」を残して、この地から奥を女人結界とする、とあった。やはり七五三掛の地名はこれに由来しているのかとあきらめかける。しかしこれはあくまで伝説と思い、地形説を追求する。同じく年表に大綱の大日坊が地滑りのため移転したとある(昭和11年)。今日の七五三掛の地滑りだけでなくこのあたり一帯の地盤が弱いのだろうか。そうすると崖崩れが多く、四面崖の状態があるやも知れない。グーグルやヤフーの航空写真で一帯を見るが、他の地域とそう変わりない。また、精度が低くてはっきり解らない部分もある。どうも四面崖というのは七五三掛には当てはまらないようだ。
 もう一つの七五三掛地区は長野県北安曇郡池田町滝沢にある。地図で見ると松本市の北、西に大天井、常念などの北アルプスの山を望む大糸線(現北アルプス線)沿いの町である。学生時代に後立山連峰に登るため、夜行列車で良く通ったところだが、西は雪に輝く白い山々で、東は名も知らない緑の山だったことを憶えている。七五三掛という地区がどこに当たるか確定はできないのだが、大体の位置で山形の七五三掛との類似点を探す。北アルプスの山々は昔からの人々にとっては残雪が農耕の指針となったりするが、日常の生活にはそう関わりないと思う。そうすると東側の山々が主に生活の場面となっていたとして探索する。東に八代峠という大きな峠がある。少し北には四人峠という峠があり、いずれも犀川に至る。少し下れば会田、青柳、麻績とつづく善光寺参詣道にいたる。もちろんその先に善光寺があるわけだ。善光寺は修験の湯殿山とはすこしおもむきは変わるが、むりやり共通点を探るとしたらこうなるのではないか。つづくImg_0308

善光寺(2006.8.19)私は千曲川に沿って行った。

【作業日誌 6/3】
赤紫蘇植え付け

今日のじょん:聞きたくない。
じょんは自分の夕食の後のみんなで食べる夕食?が大好きである。ご飯やおかずの一部をやるのだが、沢山やるわけにはいかない。しつこくあご乗せじょんをするので「おわり~ん」と言うのだが、その時すっと顔を背ける。聞きたくない、聞こえてないよと言ってるつもりなんだろうが、何度言ってもそうするのでこれほど面白いことはない。

 

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七五三掛考 6/2

2009-06-04 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.2(火)晴れ

 昨日七五三掛の事を書いたが、しめかけとは何とも印象的な地名である。小説月山の舞台となった注連寺(ちゅうれんじ)もよく見るとしめでらなのだ。よほど注連縄がこの地に関係が合ったのか、地名として残ったのである。注連縄は神社の鳥居などに掛かっており、極当たり前のものだが一体どういう意味があるのか、何のためにあるのかとなるとよく解らない。注連縄、七五三縄、標縄、〆縄などと記するそうだがもっとも一般的なのは注連縄で、中国の死霊との結界を示すものだということだ。標は領域を示すもの、〆も同様に占有を示すものということだ。問題は七五三である。この数字が何を表すかは私には理解できなかった。様々な説があるが概ね注連縄の製法から来ているようである。面白いのは熊野の花の窟神社のお綱掛け神事に由来するというものもあった。同神社は自転車旅行中に偶然訪ねた神社で180mもの綱は日本最大の注連縄とも言える。(2006.12.12参照)Img_2171

この岩壁の上から海に掛けて御綱掛け神事が行われる。


 小説月山の一つの主題とも言える十王峠は六十里越街道の道中にあり、出羽三山への信仰の道でもあった。十王とは死後の審判をする閻魔大王などの王であり、この峠が俗世界と神霊の世界を分ける結界とされていたと考えられる。そうすると七五三掛の地名がよく理解できるわけだ。
 重要な街道であった六十里越街道も新道(現国道112号)の開通に伴いだんだん使われなくなり、特に脇道となってしまった七五三掛、注連寺は訪れる人もなく寂れてしまった。そういった時期に森敦が月山を執筆した様である。過去においても現在も隆盛を極める注連寺がなぜ破れ寺であったのか不思議に思っていたのだが、当時(昭和26年頃)はそういう状態であったようだ。
 七五三掛という地名はいくつかあるようだ。鳥海山の登山道途中にもあり、長野県北安曇郡池田町にもある、長野県小諸市には七五三掛城址もある。七五三掛城は有名な懐古園の南方にあり写真で見ても驚くような断崖の上の城址である。郭には注連掛(しめかけ)、物見廓、猪乃丸などがあり、注連掛は「四面崖」から来ているといわれている。   つづく

【作業日誌 6/2】
枯れ草燃やし
畑土運び
予告看板ニス塗り
キュウリ、トマトの支柱立て
杉丸太防腐剤塗装
出店用看板造り

きょうのじょん:Img_2467

寝てるときに口がむにゅっとなって面白いので写真に撮ったのだが上手く撮れずに面白くなくなった。

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七五三掛 6/1

2009-06-02 | 日記・エッセイ・コラム

2009.6.1(月)晴れ

 西日本はそろそろ梅雨入りがどうかという季節である。近畿北部は中南部に比べて一年中天候はよろしくないが、この時期だけは勝っている。梅雨前線が南に発生してじとじと雨が降っても、こちらはカラッとした晴天に恵まれる。暑くもなし寒くもなし、虫や蛇の出現もまだ少ない、最高の季節である。
 さて最近表題の七五三掛がニュースに上がっている。しちごさんかけ?ちゃんと読める人は少ないと思うが「しめかけ」と呼ぶ。山形県鶴岡市にある七五三掛が強烈な地滑りの被害を受けているという報道が連日なされている。この地は映画おくりびとのロケ地となり少し知られたかなと思うが一般的には特に関西人にはなじみの低い所である。実は私が一番行ってみたいところはこの七五三掛である。なぜってそれは小説月山の舞台となった村だからだ。自転車旅行をしていた私は東北ではまず月山を訪れたかった。鶴岡から梵字川に沿って南下し、朝日町、田麦俣、旧112号線をたどって月山志津温泉に入った。月山道路は自転車通行不可ということで旧道の山坂道を走ったわけだが、これが幸いして最高の自転車走行ができた。Img_0480 Img_0486

梵字川から出羽三山方面、右は旧国道

翌日月山に登るわけだが、その様子は本ブログ2006.9.5月山死の彷徨に詳しいが、この時の文が旅行記の中で一番感動的な文だと思う。月山で感動的な旅をしていながら、常にあの小説月山の舞台になった所はどこなんだろうと考えていた。Img_0502

何しろ30数年前に読んだ小説である。堪らなくなって文庫本を買い読み直したのは、新庄だったろうか酒田だったろうか。そこで七五三掛の地を初めて知る。小説に出てくる地名と地図を見比べる。すぐ近くを通っていたのだ。小説に出てくる、落合の鉄橋も渡っている。七五三掛に行くにはここから大綱の方に行くわけだ。私は月山ダム、田麦俣方面に分かれてしまった。地図を見ると注連寺、十王峠など小説の雪景色が浮かんでくる。きっとまた来るぞと思って今日に及んでいる。果たして生きている間に行けるのだろうかなどと考えているうちにこのニュースである。画像を食い入るように見つめる。夏の景色なんだけど、そこに雪が積もっているように想像する。月山の映像も映った。積雪が少ないと報道されている。そのことが地滑りの要因とも言われている。それにしてもひどい地滑りだ、村自体が無くなってしまうんじゃないかと心配している。どうか災害が止まって、復興されるよう祈るばかりである。

【作業日誌 6/1】
枯れ草燃やし
畑土作り

今日のじょん:じょんのうなり声のことを書いたが、夜にはっきりワンと吠えて、私の方に訴えるように寄ってくることがある。すぐに外に出るも何もなく、一体何だろうと思っていた。今日それが判明した。アナグマである。数日前からかみさんが目撃していたのだが、どうも近所に出没しているそうである。きょうは昼間からこいつが徘徊し、鳶口を持って追いかけ回したのだが、結構でかい。この時じょんがいつもの反応をしていたようだ。夜、花壇に入ったり、センサーライトを点けたりするものが居て何だろうと思っていた謎が解けた。道理で犬猫の糞が無いわけだ。じょんはそれを察知して知らせていてくれたわけだ。えらいぞじょん。

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