hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『夏旅2024』⑬〜湖南三山・善水寺へ

2024-08-29 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑬。長寿寺から善水寺に向かう。10km位離れているので30分ほどで到着。こちらの駐車場はあまりに広く、バスも何台も停められそうだが、停まっているのは3台くらいであった。掃除が行き届いていてすぐのところに寺務所はあるが、不在。やむなく呼び鈴を押すと遠くから女性が走って来てくれ、入山料をお支払いする。





参道に入ると左右に幾つもの建物があるが、まずは本堂を目指す。1366年築の入母屋造総檜皮葺の立派な建物で屋根の曲線が美しい。1954年に国宝に指定されている。靴を脱いで本堂に上がり、廊下を半周して中に入る。

ちょうど住職がいらして説明をしながら中を見せていただけることになる。須弥壇にはご本尊の薬師如来像(秘仏、重文、お厨子の中で見れない)をはじめ梵天・帝釈天像(重文)、四天王像(重文)、不動明王像(重文)、兜跋毘沙門天像(重文)、僧形文殊菩薩像(重文)、誕生仏像(重文)と表裏にわたり沢山の仏像が並べられている。

さらにこのお寺の名前の由来などのお話を聞く。縁起は奈良時代和銅年間(708〜715年)に元明天皇勅願により鎮護国家の道場として草創され、和銅寺と号した。日照りのため川の水が少なく窮していたところ、寺の東側にある百伝池の中より薬師仏を勧請された。雨乞いの祈祷を7日間行ったところ、大雨が降り、木材を流すことができた。また、桓武天皇が病気となられたときに平癒の祈祷を行い、水を献上したところ天皇の病気が治り、この縁をもって善水寺の寺号を賜った。


本堂と元三大師堂の間に池があり、美しい庭が設えているが、今も水が湧き上がっている。元三大師には慈恵大師良源の等身大の尊像が安置されている。東京の深大寺と同じであった。



ほかにも観音堂、行者堂、六所権現社なども境内にはある。因みに本堂以外の塔や仁王門などは1571年に信長により焼き討ちに遭っているが、本堂のみは逃れることができた。

私たち以外には参拝者もなく、じっくりと沢山の仏像を見ることができ、内容の濃い時間を過ごすことができた。常泉寺には入れなかったが、それぞれのお寺の歴史や中にいらっしゃる仏像の素晴らしさを堪能することが出来たのである。(以下、次回)

『夏旅2024』⑫〜湖南三山・長寿寺へ

2024-08-28 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑫、京都駅前のビジネスホテルで一泊、1階のコンビニで朝食を仕入れて、食後にスタート。

滋賀県に向かう。今年の旅行は三重→奈良→京都→滋賀→京都と周るのでたびも後半戦に入る。

国道1号線を走り、京都東ICから名神高速に乗車、まずは琵琶湖の眺めで有名な大津SAで一休み。ここからは琵琶湖の全景、特に近江富士とも言われる三上山(標高432m)がよく見える。

再び走り、栗東ICで下車、まずは湖南三山を巡る。滋賀県では湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)が有名だが、お寺の建物自体が全て国宝である湖南三山(常楽寺、長寿寺、善水寺)も注目されつつある。常楽寺まではICからは20分ほど、カーナビをあまり見なくとも標識が多数あり、迷うことはない。ところが常楽寺の前に着くと本日は休業とある。そうか、このお寺は前日までに拝観予約をしないと入れないのである。(その後、翌日拝観を狙って何度となく常楽寺に電話をかけたが、繋がらなかった。)やむなく、その先にある長寿寺へ。

こちらは無事に開いていて駐車場に車を停めて入山料を支払い中に入る。長寿寺は東寺(常楽寺が西寺)とも呼ばれ、奈良時代後期に聖武天皇の勅願により、良弁(ろうべん)が創建したものである。


歴史がある一方で沢山の花やオブジェが置かれていて楽しくなる参道。ウサギやクマのシルエットもあり、水琴窟も設えてある。



参道右手には県内で最大の石造多宝塔が聳えている。石だけで積み上げられていてよく風や地震などで崩れないなあと不安になる。

真っ直ぐ行くと本堂、鎌倉時代の建物であり、国宝指定されている。しかし、我々以外には参拝者もいない。本堂の横から中に入ると藤原時代に作られたと言われる本尊阿弥陀如来坐像(重文)と釈迦如来坐像が隣り合わせに安置され、その真ん中に厨子が置かれていて秘仏の地蔵菩薩が収められている。

屋根葺き替えへの寄付を行うと記念の木の板が貰えることもあり、1000円を寄付した。
面白いのは本堂裏にも仏像が安置されていること。こちらには聖観音像をはじめとした仏像があるのでお忘れ無く。



池の中には弁天堂(重文)、本堂を出て少し高くなったところには収蔵庫があり、3mほどもある丈六阿弥陀如来坐像が祀られている。その大きさには圧倒される。



境内のお隣に行く細い道を行くと白山神社、明治以前は神仏混淆が普通のことであった。白山神社の拝殿も室町時代に作られ、重文に指定されている。


さらに奥に行くと三重塔の礎石跡が少し登ったところにある。階段も草に埋もれ、転ばず登るのが精一杯であったが、何とか礎石までたどり着いた。気がつくと裏には大きな池、そのためか蚊の大群に襲われた。



参道を歩くと小さなお寺のように思えるが見どころ満載、全て忘れないようにしないといけない。ただ、真夏よりは紅葉の季節の方がいいとは思われるが。(以下、次回)


『夏旅2024』⑪〜『村上隆もののけ京都』展は素晴らしい!

2024-08-26 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑪、京都市立美術館の正式名称は『京都市京セラ美術館』、開館90周年を記念した企画展は『村上隆 もののけ京都』と名付けて開催中である。

村上隆氏のことを改めてご紹介する必要もないかもしれないが、氏は1962年生まれの日本を代表する現代美術作家でスーパーフラットを提唱、さらにこれに日本の伝統的な絵画表現とアニメ、漫画などを融合、政治や宗教などの面も加えた独特な作品を多く生み出している。





会場の入口には巨大な赤と青のオブジェが迎えてくれる。赤鬼と青鬼かなと思ったが、邪気を踏んづけている。東大寺南大門でも寺を守る阿形、吽業であった。





中に入ると洛中洛外図屏風が壁いっぱいに広がっている。よく見ると祇園祭の鉾やお花、ドクロと言ったいつものキャラクター、さらに風神と雷神もちゃんといる。
賑々しくて華やかな中に独自性が織り込まれた作品に圧倒される。



次の部屋は暗くなり四方に四神『青龍、白虎、朱雀、玄武』が現れる。



2015年に六本木で見た姿同様に思わず詳しくみてしまう。六本木で見た動くキャラクター『びゃっこー』と叫ぶ白虎のぬいぐるみはいなかったが。



(動く朱雀と玄武)

第3室は『ズザザザザザレインボー』が色とりどりで登場。第4室では村上流の『風神雷神図』、実にコミカルで可愛らしい風神雷神に目が釘付けである。


最後の部屋では歌舞伎十八番や大文字五山のキャラクター、舞妓さんなど京都らしい締めくくり。



さらに外に出ると大きな金色に輝く10mのお花がルイ・ビトンのタンスの上に飾られていた。

これだけの村上作品に出会えたのは9年ぶり、京都観光もいいが、見逃さずに来て良かったと思える企画展であった。ちなみに村上氏の展覧会は基本撮影可です。






『夏旅2024』⑩〜京都市内で墓参り

2024-08-25 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑩、石峯寺を出て京都市内に向かう。稲荷街道を通るが、JR稲荷駅あたりが伏見稲荷に向かう外国人の影響もあり、中々前に進まない。ようやく動き始め、墓参りツアーに切り替える。まずは西大谷霊廟に行くのだが、その前に腹ごしらえ。



八阪神社の門を出たところにある町家風の『美竹』といううどん屋さん。前日は三輪素麺だったが気にも止めず中に入る。小さなお店からと思いきや、奥が深い。広い部屋にきっちり詰まっているが、付いていることにクーラーのすぐそば。



何しろこの日の京都の最高気温は40℃、この涼しい中で私は冷やし五目うどん、相方はきつねうどんをお願いする。店内はインバウンドばかり、真ん中の8人席ではビールで乾杯して真っ赤な顔の男女が大盛り上がり。我々は小さくなって食べたが、まったりとした味付けはやはり京風であった。

そこから坂を登り、大谷霊廟を抜けて西大谷さんへ。ここには母方の祖父母の墓があるが、京都の人は墓参りを欠かさないのか、結構な人がいた。



車に戻り、父方の墓参り。浄土宗の本山である金戒光明寺そばの菩提寺に行き、卒塔婆を持って墓に行く。



1年ぶりだったが、墓が生垣にと思って植えた木に乗っ取られそうになっていた。これは秋にも木を切ってもらわねばと感じたが、ついつい忘れてしまう。



ようやく40℃の中の墓掃除と墓参りが終わったが帽子を被っているとはいえ、水を出したつもりだが40℃近いお湯しかでない水道など驚かされるばかりである。



次は南禅寺にでもと考えていたが、市立美術館の裏を通った時に大きな金色に光るオブジェを発見。連れ合いが村上隆の展覧会があるはずとスマホで調べると確かに『村上隆もののけ京都』という美術館開館90周年の企画展を開催中。

これを知って南禅寺は次回に回し、村上隆の展覧会に行くことに変更した。(以下、次回)

『夏旅8024』⑨〜浄瑠璃寺と石峯寺に足を運ぶ

2024-08-24 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑨、旅に出ると楽しみなのが朝ごはん。ANDOホテルではかなり朝ごはんに凝っている。

干物はえぼ鯛、納豆は私は食べないが大仏納豆だった。最後に飲むお茶もうまい。



ANDOホテル若草山を出て新若草山ドライブウェイを使い、さらに30分ほど車を走らせると浄瑠璃寺に到着。近いが、ここは府県境を挟んだ京都府木津川市にある。ここを訪ねるのは2016年夏、2020年秋以来である。





なぜこのお寺の名前が浄瑠璃寺なのか、気になっていた。『浄瑠璃』とは一般的には三味線を伴奏楽器として太夫が詞章を語る音曲である。しかし、元々の由来はサンスクリット語からの訳で清らかな青い宝石サファイアを意味し、薬師如来の浄土はこれにより装飾されているとされる。つまり、名前の由来は東方浄土の主である瑠璃光如来に因んだものである。



細い参道を歩くと簡素な門が現れる。門をくぐり、中に入ると宝池の辺りに出るが、この池がこの世とあの世との間の海を模している。



西に本堂(国宝)、東に薬師如来像を祀る三重塔が建ち、平安時代の浄土庭園の様式を残す。また、本堂には九体阿弥陀如来坐像(国宝)が安置されていて平安時代に流行った九体阿弥陀堂のスタイルを残す。



まずは池の周りを歩き、それぞれの場所から見える風景を楽しむ。素朴なナデシコやクサイアオイ、アザミなどが植えられている。 

次に本堂に入る。何回もこのお堂には来ているが、改修はされているとはいえ、当初作られた時と多分殆ど変わらない。両側に4体ずつ8体、真ん中の阿弥陀如来坐像のみ少し大きい。





印相は同じだが、異なる仏師が作ったとのこと。特に眼は開き気味の仏様もいれば、ほぼ眼を瞑られている仏様もいる。同じように見えるがよく見るとかなり違うのである。その周りには四天王像、さらに厨子の中には吉祥天女像がいらっしゃる。(以前に拝観したことがある。)

お参りするのは私と連れ合いの2人のみ、心行くまで拝むことができた。



池の反対側には三重塔、中には東方本尊である薬師如来像が安置されている(普段は見ることができない)。

ここに来るとまるで浄土の世界を見ることができるような気がする。昨年、九体阿弥陀像は東京の博物館で見たのだが、やはりこの地で見るのが勝る。日本全国でも九体阿弥陀如来が拝めるのは九品仏浄真寺(東京)くらいしかない。

次に向かったのが、伏見稲荷からほど近い石峯寺である。伏見区にあるのだが、途中の道は細く、さらに駐車場の場所がわからない。やむを得ずお寺に電話をして場所を教えてもらう。細い坂道を何度か間違えてようやく到着した。



石峯寺(せきほうじ)は1713年に黄檗宗萬福寺の6世千呆性侒により開創された寺院で山門が中国風である。このお寺は江戸時代の絵師伊藤若冲のゆかりの寺として有名である。若冲は1788年の天明の大火で自宅を失い、この寺に隠遁、義妹の心寂と暮した。85歳で天寿を全うしたが、五百羅漢石像や天井絵の制作に力を注いだ。若冲の墓も相国寺と石峯寺にあり、まずはお参りをした。



その後、裏山にある五百羅漢石像を見に行くがお釈迦様の誕生仏や釈迦が弟子たちに教えを解いている姿、十八羅漢、托鉢の姿、涅槃像と周りで悲しむ弟子や動物たち(涅槃図)などが竹林の斜面に多数あり、体中を蚊に食われながら見て歩いた。



単に素朴な石仏ではなく、表情も豊かで思わず笑いを誘うようなものもあり、時間を忘れてしまうほどである。



なお、1915年に本堂は一旦は焼失、再興後も1979年に放火で本尊とも焼失してしまい、今の本堂は1985年に再興されている。(以下、次回)


『夏旅2024』番外編〜なら灯火会に足を運ぶ

2024-08-23 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』番外編、奈良市のANDOホテルに宿泊した際にナイトツアーのお誘いを頂いた。奈良市では毎年8月5日〜14日の間にろうそくの灯りで照らす『なら灯火会(とうかえ)』が行われていて、近くまでバスを出してくれるというのである。
夕食を早めに取り終わり、19時にスタート、バスで大仏池の前まで連れて行ってくれる。そこから大仏殿の横を通り、南大門を経て奈良公園付近まで散策するのである。夜の大仏池の周りには鹿がたくさんいて草を食んでいた。


大仏殿の塀に沿って歩き、正面まで行くと門の両側の広目天と兜跋毘沙門天までライトアップされている。像が巨大なためか、昼間見るのとは異なり、大変な威圧感がある。





正面参道を歩き、南大門へ。左右に運慶作の阿形像と吽形像、大きな腕と足が凄い。
その先、屋台が並んでいて左の奈良春日野国際フォーラム方向に行く。浮雲園地にはたくさんの灯籠が灯されていて幽玄な風景を作りだす。蒸し暑いことも忘れてしばらく歩く。



まだ、時間があるため、奈良駅方向に向かい、奈良国立博物館の前の池の周辺も歩くが、灯籠の火が水面に映って美しい。

人出も多く、この日が初日ということもあり、観光客のみならず地元の若い人たちも夫婦や家族連れがたくさん出ていた。



バスに戻るのが21時となっていたが、空模様が怪しくなってきたのでバスに少し早く戻る。蒸し暑いところからクーラーの効いたバスは天国、定刻にバスは動いたが、ホテルに着くと大粒の雨であった。



まだまだ、会場は広かったようだが、夜の大仏殿や南大門の姿、浮雲園地や奈良国立博物館前の灯籠など、奈良の夜を堪能させてもらった。(以下、次回)

『夏旅2024』⑧〜談山神社と石舞台古墳

2024-08-20 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑧、聖林寺を後に談山神社に向かう。談山神社は多武峰の中腹に位置し、藤原鎌足を祀っており、また、神社本殿裏山で行われた蹴鞠の会で中大兄皇子と藤原鎌足が大化の改新のことを諮り、645年飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を討ち、中央統一国家成立という歴史的偉業がなされた事でも有名である。



とはいえ、山に築かれた神社は階段状に建物が立ち、入山料を支払うと石段が聳える。まずは階段を登り、左にらくらくコースとあるため、左に曲がる。



すると神廟拝所(重文)、この横にけまりの庭がある。ここで1600年前に蹴鞠の会が行われたのである。もう一つの受付の前を通り、末社・総本廟、総社拝殿(重文)に着く。



少し階段を登り、最も高いところにある本殿、拝殿に辿り着く。広々としたスペース、ここからの眺めは素晴らしい。





次にお隣にある十三重塔(重文)は鎌足の長子・定慧和尚が鎌足の供養のために678年に建立した塔婆。今のものは1532年に再建されたものである。木造十三重塔は世界で唯一のものである。



歴史的な出来事があった場所をゆっくり登りながら見ることができた。特に十三重塔は造りが素晴らしく、これを飛鳥時代に作ったとは、その技術力に感動する。ただ、35℃の中、参拝者は殆どおらず、やはり紅葉の頃に来るといいのだろう。




談山神社から明日香村までの県道は以前来た頃にはできておらず、このルートを使うには徒歩しかなかったが、2009年に県道155号線が開通し、回遊できるようになった。



石舞台古墳に向かう。大化の改新で滅ぼされた蘇我氏の馬子の墓ではないかと伝わる。30年前に訪れた時とは様変わり、立派な施設となっていた。7世紀前半に築かれた一辺50mの方墳または上円下方墳と考えられ、上に被せてあった土が失われ、巨大な石室が剥き出しとなっている。


石は総重量2300tもあり、大小30個の花崗岩を3段積みにした玄室は長さ7.3m×幅3.4m×高さ4.8mという巨大なもの。

ただ、前回訪れた時には私が古墳の知識がなく、とにかく石をどのように組み上げたかのみに興味を持ったのだが、巨大古墳にはこうした石室が備えられ、ただ、覆った土が何らかの理由で失われたということに初めて気付かされた。



史跡入口の解説板は実にわかりやすく、ためになった。せっかく明日香村まで来たのだから高松塚古墳を始め、見たい史跡は多くあったが、早めに宿に入るべく、後ろ髪を引かれる思いで奈良市に向かった。(以下、次回)


『夏旅2024』⑦〜三輪素麺&聖林寺

2024-08-19 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑦、大神神社を後にする頃、ちょうどお昼となったので参道にある『福神堂』というお店に入る。とにかく冷房が効いていてホッとする。

名物は三輪素麺らしく、煮麺、冷たい素麺、ぶっかけなどメニューも豊富、私は柿の葉寿司付きのぶっかけ素麺、相方は煮麺にする。店に入り出された冷たい麦茶が美味くてすぐにおかわり、おーたまらん。



メニューを見ているとかき氷がうまそうだが、これは我慢する。まずは柿の葉寿司が到着、2つ乗っているので相方と一つずつ分けて食べる。鯖が美味い。



続いてぶっかけ素麺、具は真っ赤なトマト、錦糸卵、ネギ、みょうが、椎茸である。まずはトマトをガブリ、冷えた味が堪らない。麺は普段食べる素麺に比べて細く、やや甘めのスープともよく合い、ツルツルと胃の中に消えていく。椎茸の煮物が味にコクを出し、実に美味かった。



相方の煮麺もえのきだけとワカメ、かまぼこ、椎茸の具と素麺の相性がいい。特にえのきだけが煮麺の具としてこれだけ活躍することに驚いた。

腹も膨れ、炎天下駐車場に戻るが、さすがにかなり元気を取り戻した。

聖林寺まではわずか2km、あっという間に到着する。駐車場も数十年前に訪れた時と全く変わっていない。違うのは駐車場にいたおじさんがいなくなったことくらいである。



細い階段を登ると小さな本堂が見える。入口で入山料と駐車場代を払い、中に入る。



本堂の前に鎮座するのはご本尊子安延命地蔵尊。丸いお顔が可愛らしく、優しく子育てを見守っていただけるお顔、立派な石仏である。他にも如来荒神、毘沙門天、阿弥陀三尊などが祀られている。

次に伺うのは本堂から少し階段を登ったところにある観音堂。こちらには十一面観世音立像(国宝)が安置されている。760年代に東大寺の造仏所で作られたと言われている乾漆像。そのスタイルは実に素晴らしく、私が最も美しいと思っている仏様である。

収蔵庫も2年前に空調完備の素晴らしいものになっていて、裏からもお像を見ることができる。何度お目にかかっても素晴らしいお像であった。

本堂横にはこのお像に感動したフェノロサが寄進した厨子も置かれていた。下には車輪もつけられて可動式となっている。


また、本堂から外を見ると眼下に奈良の山々や山の辺の道を見ることができる風景も全く変わっていなかった。(以下、次回)


『夏旅2024』⑥〜大和神社、黒塚古墳、箸墓古墳、大神神社

2024-08-17 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑥、夜都伎神社を後に広い車道まで戻り、大和神社に向かう。山の辺の道からは少し西側に大和神社(おおやまとじんじゃ)がある。駐車場に車を停めて両側に大木が並ぶ参道を5分ほど歩くと本殿に到着。





祭神は日本大国魂大神、八千戈大神、御年大神であり、古代より続く神社。戦艦大和の守護神とされ、境内には戦艦大和資料館もある。



隣には高龗神社(たかおかみ)が祀られていてこちらは水を司る神様、他に朝日神社・厳島神社・事大神社・増御子神社などが並んでいた。社務所で御朱印を頂くが、戦艦大和の付いた交通安全のお守りも頂いた。



黒塚古墳に向かうが、この辺りはとにかく道が狭く、わかりにくい。ようやく古墳の前には着くが、今度は展示館の駐車場を探して右往左往。ようやく見つけて車を停めたが、展示館は月曜日休館。



やむなく古墳を見に行く。全長は130mの前方後円墳で周りの堀は青々とした水をたたえている。古墳に登るとあたりの風景がよく見え、気持ちがいい。




どのあたりに石室があったかは頂上に示されていた。1998年に卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣鏡が三十三面も発掘されたと聞いていたのだが、その関係資料が見ることができず残念であった。



国道を走ると箸中の交差点、これを左手に曲がり箸墓古墳を探すが、ここも駐車場がなく、Uターン。近くの田んぼから眺めることにする。卑弥呼の墓とも言われ、全長は280mの大型の前方後円墳を眺めた。



昼近くなってきたので今回の山の辺の道終着である大神(おおみわ)神社へ。国道をしばらく行くと左側に大きな鳥居があるのでこれを左折、すぐに第1駐車場。これが近いのかと思い停め、炎天下歩き始めるがその先に2、3、4と駐車場が続き、一番神社に近いのが第6駐車場。これに気づかなかったものだから、相方にブーブー言われる。

JR桜井線三輪駅を越えると第二鳥居、この先は参道工事中のため、踏切の先は歩かざるをえない。自動車のお祓い場を越えてさらに行くと石段が見えてくる。



長い石段を登り、ようやく拝殿に到着。この神社の御神体は三輪山であり、本殿はない。



日本で最も古い神社であり、明治以前は三輪明神、明治以降は三輪神社と呼ばれている。拝殿は徳川4代将軍家綱が寄進した立派なものである。



境内には『巳の神杉』、これは御祭神の大物主大神が蛇に姿を変えられたと日本書紀にある。蛇神は大神の化身として信仰されている。この蛇が出入りするためにこのように呼ばれている。

左側にある社務所はクーラーの効いた立派な建物で入口には『なでうさぎ』がいる。神社では卯の日を神縁の日としてお祭りをしている。このうさぎはかつては一の鳥居の大灯籠の火袋を守っていたもので身体の悪いところを撫でると治ると伝わっており、思わず足を撫でた。(以下、次回)

『夏旅2024』⑤〜山の辺の道を僅かに歩く

2024-08-16 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑤、天理駅前のホテルに一泊、朝はホテルで軽く朝食を取り、7時半に出発。山の辺の道に行くことにする。もちろんてくてくと道を歩ければ良いが、アンテナショップでアドバイスされた通り、あまりの暑さに車と徒歩を組み合わせることにした。

まずは石上神宮にお参りする。石上神宮は歴史の教科書にも出てくる日本で最も古い神社の一つで古事記や日本書紀にも記述がある。創建は崇神天皇7年と言われ、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地を決め、『石上大神』として祀ったことによるとされる。

その後、色々な事象が起きたようだが、日本書紀に書かれた神社は当社と伊勢神宮のみであり、日本最古の神社であると言われる。文化財としては祭器として使われたであろう七支刀が有名で4世紀に百済からもたらされたらしく、国宝に指定されている。

駐車場に車を置き、参道を歩くと立派な鳥居、扁額には『布都御魂大神』とある。さらに行くと境内にはお使いと言われている立派な鶏が多数出てきて、まだ朝早いため時の声を上げるため少々うるさい。



境内に犬を連れて散歩する人もいるが、ニワトリもきにしていない。宮司もなれたもので箒で砂利を掃除していてこれを避けながら先に進む。



本殿の入口が左に出てくる。まずはこちらで手を合わせ、お参りする。社務所は後ろにあるが、まだ早いのか誰もいない。私が困り顔であたりを伺うと社務所のお隣の椅子にかけていたおじさんが神社の方を呼びに行ってくれ、無事に朱印を頂く。

社殿の裏には一段高くなったところに摂社拝殿(国宝)、天神社、出雲建雄神社、猿田彦神社などが固まっていて一つずつお参りした。



参道の灯籠を見ると可愛らしい5色の風鈴が付けられ(社務所にて1500円で販売)、意外に可愛らしい。鶏舎の後ろから山辺の道はスタートするのだが、あまりの暑さのため、取り敢えず車に戻る。



次に訪れたのは道の駅『なら歴史芸術文化村』、8時30分に到着。まだ、オープン前のため、車を停めて、『内山永久寺跡』を徒歩で訪れる。



内山永久寺は江戸時代には東の日光、西の内山永久寺と言われたほど栄えた寺院だが、1869年の廃仏毀釈の影響で廃寺となった。道の駅から500m程度歩き、すぐのところに跡地があると聞き、山の辺の道の雰囲気を感じようと歩き出す。しかし、もう30℃は越し、汗がたらたら。太陽光線を受けながらかぼちゃやスイカ畑の中を歩く。



無人販売所などの前を通るが、誰もいない。アンテナショップの人が夏は人が行かないから無理しないでと言われたことを思い出す。すると大きな池があり、池の横に『内山永久寺跡』の石碑があることに気づく。



江戸時代まではかなりの規模を持つ寺院だったが、今は石碑のみ。ただ、寺宝の一部は愛染明王像(国立博物館)などが残されていて、建物は先程見てきた石上神宮の出雲建雄神社の拝殿などとして残されている。松尾芭蕉の歌碑『うち山やとざましらずの花ざかり』などは残されていた。

再び、道の駅まで戻り、休息を取ったのちに先を急ぐ。左手には東乗鞍古墳や西乗鞍古墳がある。左に折れて一の鳥居をくぐり、細い道を左に行くと、夜都伎(よとぎ)神社に到着。

春日の四神(武甕槌命、姫大神、経津主神、天児屋根命)を祀る神社。二の鳥居の横に車を停めてお参りに行く。茅葺き屋根の拝殿は時代を感じさせる。



無人の神社ながら、朱印は箱に入れて置いてあり、参拝者が朱印帳に押すシステム。秋葉原で一度あったが、珍しい。もちろん、御朱印代は賽銭箱に入れることにした。

周囲は田んぼ、のんびりした山の辺の道らしい風景が広がっていた。(以下、次回)