hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

ウポポイを堪能する〜夏旅2023⑨

2023-08-24 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑨、登別温泉を堪能した後、再び道央自動車道に乗り、白老ICに向かう。今回の旅の目玉の一つ、ウポポイを目指す。場所はJR室蘭本線白老駅からも徒歩圏内にある。



2020年に完成したアイヌ民族との共生を目指す施設で中央の国立アイヌ民族博物館を中心に数多くの施設が点在する。施設に入ってまず驚いたのがその規模の大きさ。

博物館までもかなり遠い。その前に池の前の広場でオリエンテーションが行われていたが、最後のムックリの演奏のみを聞く。

かなり以前、阿寒湖でアイヌの人から買ったことがある。リードのように竹をくり抜き、紐を付けて引っ張り音を出すのだが、これが難しい。博物館で私も買って練習したが、音がまるで違うのである。



民族博物館はアイヌ民族を理解できるような展示が多数あり、自然と共生し、全ての物に宿るカムイに話しかけ、獲物を捕らえ、火を起こし、布を作り、人が一生を過ごす。輪廻とも言える考え方を大切にし、祈りを捧げる。また、祈りと共に色々な踊りを皆で踊る。



バッタの踊り、モテる男の踊り、鯨の踊り、これらを全て実際の映像で見ることができる。他にもアイヌ民族の日本人による侵略やこれに対抗したアイヌの英雄などの歴史や地理など丁寧に見始めるといくら時間があっても終わらない。



アイヌ語の基礎知識。①主語と動詞の並び方は日本語に似ている、②しかし、否定辞や禁止辞は動詞の前に付けるなどをクイズ形式で学べるコーナーもあり、興味深い。 



ただ、残念ながら学んだがすぐに忘れてしまう。唯一、『イランカラッペ』が『こんにちは』の意味だけ覚えた。



隣の工房を訪ねると木の皮から繊維を取り、これを紡いで布を織る人、木を削って彫刻を作る人が実演をしていた。



特にオヒョウやシナの表皮の内側にある柔らかい部分を洗い、干して糸にするのだが、その手間のかかるのには驚いた。
アイヌの住居が並んだパビリオンに向かう。



建物は3つ並んでいて、その先では弓矢を撃つイベントも開催中。私も撃っては見たがどおしても右に曲がってしまい、的には当たらなかった。



別の家屋ではアイヌの衣装を着て写真を撮ってくれるイベント、これにはもちろん参加した。お隣の1番大きな家屋では囲炉裏の周りに座り、アイヌの話を聞くイベントにも参加。天井の高さが高いことには驚かされる。よく見ると囲炉裏では炭が起こされ、真夏の室内ということもあり、結構熱い。話は面白かったが汗が背中を伝うのは辛かった。

ここで一旦外に出てランチ、行者ニンニクで味付けしたザンギいりのカレーを食べる。相方は行者ニンニクそば、いずれも味はニンニクと変わらず、かなりパンチが効いている。

午後は体験ホールでアイヌの短編アニメを2つ鑑賞、弱い男の子が強く育っていく過程の話と太陽をきつねが盗もうとする話、大人が見ても面白かった。本当はまだまだゆっくりしたかったが、朝0930から午後0130まで4時間にわたり展示をじっくりみてウポポイを後にした。(以下、次回)

登別くま牧場へ〜夏旅2023⑧

2023-08-22 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑧、白鳥大橋をとおり、室蘭ICから登別を目指す。

北海道には何回も来ているが登別温泉に行くのは初めてである。登別ICを降りると左右に桜が植えられた立派な道を通過して上り坂を走ると温泉街に到着、これを右に曲がると『登別くま牧場』の駐車場になる。

その先からロープウェイが出ていて入場券を購入。JAFの会員証を提示すると1人400円も割り引いてくれる。ロープウェイのゴンドラはグループ毎に乗る形式でよく見ると駕籠のようなゴンドラに熊のオブジェが乗ったもの、私が乗ったゴンドラは大きな熊のぬいぐるみが真ん中に鎮座していた。

ロープウェイに7、8分乗り、到着すると目の前の展示室に入る。エスカレーターを降りる左側に俱多楽湖(クッタラ)の青い湖面が見えてくる。望遠鏡で見ると湖で遊ぶ人が見える。

降りるとヒグマの剥製だらけ。その中でもオスのヒグマが3mを超す高さに立ち上がっている剥製は迫力満点。小熊や母熊の冬眠するところなど多くの展示を見て歩くが動かないので飽きてくる。



建物を出て右手に歩くと小熊ばかりがいるスペース、この春生まれた小熊たちが戯れあっていて可愛らしい。



熊のおやつを自販機で買った後、オス熊の檻の方に行く。大きな熊がこちらを睨みつける。地下道を通り、人の檻というスペースでは直接オス熊に餌をやれるのだが、金属製の筒の先におやつを1ついれ、後ろから突くとおやつが熊の口の中に入る仕組み。向こうもよく知っていて筒の先端の方に顔を近づける。こちらも可愛そうなのでついついおやつをあげるのだが、貰っていない熊は不満そう。ボス熊の顔があまりの迫力でたじろいでしまった。



次はメス熊のスペース。彼女たちはこちらを向いて人間が座るように前足を手のように振る。うまくおやつを投げると口でナイスキャッチ。勾配になっていてうまく取れないとおやつが転げてしまう。1番下には水場があり、ここに陣取っておこぼれを待つ熊もいる。人間模様を見るようで始めは面白かったがだんだん虚しく感じてしまった。

他にもアヒルのレースやリスの檻もあるが、やはりヒグマがメイン、最後はステージで熊が宝探しをするショーを見てロープウェイに向かった。



宿泊は温泉街の巨大ホテル。サービスはまあまあだが、鉄泉・硫黄泉・ナトリウム泉と色々な泉質を楽しむことができる。さすがドリフが歌った『いい湯だな』の歌詞に出てくるだけのことはある。(以下、次回)

地球岬と旧室蘭駅舎〜夏旅2023⑧

2023-08-20 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑦、2日目は新冠のホテルに泊まる。夕日が美しい宿というキャッチフレーズであったが、夕食の際に見える海に沈む夕陽は確かに美しかった。


3日目は日高道に乗ろうと走る。日高厚賀ICの手前に牧場に馬が3頭遊んでいて思わず写メを撮る。



日高道は苫小牧東ICまでの60kmが開通済、これも無料である。70km/h規制で1車線ではあるが、やはり快適。その先、道央自動車道に入り、天候を見ながら室蘭を目指す。学生時代に地球岬を訪れたことがあったが、40年ぶりに行くことにした。登別室蘭ICで降り、自動車専用道路を経て15分ほど、街中からわずかに走っただけだが、見事な海岸線と270度の展望が開ける。



地球岬の由来はアイヌ語の『ポロ・チケプ(親である・断崖)』であり、これが訛ったもの。しかし、丸い水平線を見ていると地球の形を実感できることからなかなかのネーミングと思う。もちろんここでも灯台カードはゲット。



室蘭は製鉄と石炭の街と言われる工業都市だが、天然の良港と地球岬や測量山、絵柄岬など複雑な地形が素晴らしい。

白鳥大橋の袂にある道の駅『みたら室蘭』でランチ。園地と港の前にある眺望のよいくじら食堂で蕎麦と名物の焼き鳥を頂く。



室蘭の焼き鳥は肉は豚肉、玉ねぎを挟み、豚丼のタレのような味付け、博多のバラによく似ていた。



次に旧室蘭駅まで足を伸ばす。漆黒の重厚な駅舎と静態保存されているD51型機関車。旧駅舎は明治45年に建てられた北海道で最も古い木造建築物。中には観光案内所があり、ベンチは昔の客車のボックスシート。古い鉄製の駅名表示板は迫力があった。



また、D51は昭和15年の苗穂工場製、昭和49年まで廃車となるまで、函館・長万部・岩見沢・名寄などに配置され、道内を270万キロ走り続けた猛者である。



今は綺麗に塗装し直され、静かに余生を暮らしていた。(以下、次回)




日高本線廃駅を巡る〜夏旅2023⑥

2023-08-18 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑥、襟裳岬を離れて再び海岸沿いの道を走る。帯広駅から来た時に使った帯広広尾道も苫小牧方面向かう際に使う日高道もかつての国鉄広尾線と日高本線に並行して走る。鉄道を廃止してせっせと自動車専用道を作るのは鉄道ファンとしては複雑な気分である。



襟裳岬付近の公共交通機関はJRバス(道南バスと共同運行)日勝線で広尾〜襟裳岬〜様似は3往復、ちなみに広尾〜様似を120分で結ぶ。バス停は白い教会のような造りで山本コータローが歌った『岬めぐり』のバスは今もちゃんと走っている。

また、様似〜浦河〜三石〜静内の鉄道代替バスも5往復あり、様似〜静内を120分で結んでいる。



まずは日高本線旧様似駅を目指す。日高本線は2015年1月に厚賀〜大狩部で路盤が高波により流出、この復旧に多額の資金が必要となるため、2019年に廃止が決まり、2021年4月1日に鵡川〜様似間116kmは廃止された。



様似駅は日高本線の終点であり、今も駅舎はそのまま残され、バス停も前に設けられている。また、駅舎に面したあたりの線路は残されていて再びディーゼルカーがやって来そうであった。



旧浦河駅はまだ取り壊されてはいないが、跨線橋も今にも壊れるかと思われるほど損壊、中心駅だった面影はない。



静内駅は対照的で、綺麗なまま保たれ、バス営業所も併設。駅舎内にはお土産物屋やサクラユタカオーの原寸パネルも置かれ、地元の人に多数会った。ディーゼルカーは来ずとも街の中心である。

ただ、これ以上廃駅を巡るのは相方に難を示され、今夜の宿泊地新冠を目指す。新冠の道の駅『サラブレッドロード新冠』にはレコード館も併設、また、ハイセイコーの銅像や新冠産の名馬のプレートなどが飾られている。



競馬の知識がほぼない私でも知っているキズナ、ナリタブライアン、ビワハヤヒデなども新冠産馬であった。(以下、次回)






襟裳岬逍遥〜夏旅2023⑤

2023-08-16 05:00:00 | 旅行
夏旅2023⑤、襟裳岬の風の館で岬の風景を見たのち帰ろうとすると『えりも風体験』で風力体験ができると呼び止められ、早速会場へ。



ここは前方から風が送られて来て10分間体験できる。1番前に行くと風速25m、後ろに行くと徐々に弱くなり、1番後列は風速10mとなっている。初めは15mあたりにいたが、これでも鉄のバーに身体を寄せないと後ろに行くほど。25mになると前にいる男性の帽子やパンフが飛んでいくほど。



外に出て、まずは灯台に向かう。この灯台は高さは13.7mとそれほど高くはないが、場所が絶壁の上にあるため、海面からはかなりの高さがある。付近は霧の名所ということもあり、海上安全のために1889年に作られた。今は完全に無人だが、QRコードから灯台カードも取得できる。

灯台を回ると襟裳岬の歌碑、1つは吉田拓郎・岡本まさみ作で森進一がヒットさせたものだが、島倉千代子も別の襟裳岬を歌っていたので2つ並んでいる。



さらに下に降りるように岬の先端に向かう遊歩道を歩いて行くとかなり先まで行くことができる。但し、その先も岩礁が2km、海中まで含めると6km先まで繋がっているらしい。



先端まで歩き、再び戻ってくる。崖の上には先程訪れた風の館がよく見える。足元にはエゾカワラナデシコやツリガネニンジンなどが咲き乱れる。




ちょうど昼となったので岬の土産物屋兼食堂に入る。この店が今では絶滅系の懐かしさ、おじさんとおばさん、おばあさんなどが経営。昔見た『幸せの黄色いハンカチ』で高倉健が入ったような(山田洋次監督)映画に出て来そうである。



メニューも寿司カウンターもあり、高いものはウニ丼や握り寿司、安い物はカレーやうどんなど麺類まで揃っている。私はいつもの通りカツカレーを注文、相方はラーメンにした。するとまずラーメン、タラバガニの爪まで入った豪華版。私のカツカレーもちゃんとカツは揚げたて、美味かった。土産物屋には活きた蟹や貝、海老などを販売、日高昆布もピンからきりまで並んでいた。(以下、次回)


昆布漁と黄金道路〜夏旅2023

2023-08-14 05:00:00 | 旅行
夏旅2023④、2日目は帯広を朝0730に出て広尾→襟裳岬→様似→浦河→新冠と225kmの長丁場を走る。

帯広広尾自動車道に乗り、終点の忠類大樹ICで下車、その少し先にある道の駅コスモール大樹で一休み。このあたりの道の駅は人が集まる場所らしい。ここまでが40kmw程度、広尾町を通り、黄金道路に向かう。


黄金道路とは広尾橋から襟裳岬までを結ぶ国道336号線の愛称である。断崖絶壁に作られた道で江戸時代より作り始め、本格的に着工したのが昭和2年、しかし難工事のため、完成したのは7年後である。そのため、黄金が敷き詰められるほど莫大な費用がかかった道路から黄金道路と呼ばれるようになった。



広尾橋からは左に海が広がり、右は断崖絶壁が続く。5分ほど行くと左側に滝が見えてくる。フンベの滝と呼ばれ、フンベとはアイヌ語で鯨が取れる浜という意味である。地下水が地上に表れ、落下する珍しい滝で冬には氷柱となるらしい。、



ここで海を見ると小さな舟が3艘、沖で昆布を取っている。これを舟に載せて、岸まで引き寄せると女性がこれを束ねる。さらに道路近くまで持ってくると軽トラに引き上げる滑車を付け、荷台まで引き上げ、載せる。これを石を敷いた場所まで持って行き、広げて干すのである。昆布干しの様子は見たことがあるが、昆布を取る現場を見たのは初めて。時の流れるのを忘れて暫く見ていた。



トンネルや隧道が続き、時々海が見えるようになってくるが、5キロ近くあるえりも黄金トンネル(2011年完成)をくぐるとようやく開ける。40年ほど前に同じコースを路線バスで通ったが、トンネルが増え、かなりスピードアップしている。



開けたところにある望洋台という小さなパーキングに車を置き、眺めるが雄大な海に沿うように道がつけられているのが分かる。

百人浜という砂浜が出てくる。名前は江戸時代末期にこの浜に南部藩の船がたどり着いたが、何とか生きて上陸下にも関わらず、100人以上が飢えと寒さで亡くなったという悲しい物語に由来する。ここまでは岩礁ばかりなのだが、海水浴もできる砂浜でオートキャンプ場もある。ようやく襟裳岬に到着、駐車場は昔のままであった。



襟裳岬は風が強くて有名だが、これを逆手に取り、風の館という観察施設ができている。

中に入ると岬を観察できるように一面広いガラス窓となっていて風に吹かれずに岬を見ることができる。望遠鏡も備えてあり、早速眺めたが、この日は海霧が出て突端までは見えず、海鵜は確認できたが、アザラシを見ることは出来なかった。(以下、次回)


神田日勝と北海道拓殖鉄道8622号〜夏旅2023③

2023-08-12 05:00:00 | 旅行
夏旅2023③、六花の森を出て自然な庭園で有名な『紫竹ガーデン』にも寄る。ここは紫竹昭葉という個人の方が始めた庭園でNHKで取り上げられてから有名になった。



ただ、紫竹さんは21年にお亡くなりになったが、今もそのご意志を継いで営業している。入場料を支払い、中に入るとその花のボリュームに驚かされる。



今の季節は白、ピンク、赤、紫がかった赤など多種の百合を中心に、紫のクレマチス、白く大きなカシワバアジサイ、赤いバラ。



変わったところではスモークツリーなどがこれでもかというほど咲いていた。



ただ、時間もあまりなく30分ほどで次はもう1人の農民画家『神田日勝』の記念館に向かう。約1時間車を飛ばし、然別湖に近い鹿追町に到着、神田は鹿追町で育った画家で農業の傍、農耕馬や牛など日頃からなれ親しんだ題材をモチーフに絵を描いた。



ただ、彼のタッチは何回も変わる。若い頃は茶色を中心とした重厚な自画像や馬の絵であったが、30歳の頃には海外に目を向けたカラフルな情熱が迸るような絵や前衛的な絵になった。しかし、その後自らの絵に行き詰まりを感じ、新聞紙に囲まれた中に絶望にくれる自画像『室内風景』を描いた。

『馬』という一頭の黒馬をキャンパスにしたベニヤ板に描き始めるが、頭部は描き終わり、胴半分を描いたところで亡くなり、絶筆となった作品が展示されていた。

後ろ足や臀部は鉛筆書きのアウトラインのみ。衝撃的な作品は『半分の馬』と東京で行われた作品展で話題となった。この絵と彼が育った土地を見たくなりお邪魔したのである。



彼の足跡を追ってかつて農場があった場所にも行ってみた。ここには今は何も残されていないが、遥かに広がる農地、そこには数えられないほどのとうもろこしが風に揺れていた。



また、鹿追町には軽便鉄道である北海道拓殖鉄道が走っていた。この鉄道は地元の有志が金を出し合い、国鉄釧路本線の新得まで伸びていた。



鹿追駅は鉄道会社の後進である拓鉄バス車庫のすぐ裏に当時使われていた蒸気機関車2両のうち、8622号(8620形式、昭和3年製)と拓鉄の名前の入った無蓋車が残されていた。



私はお隣の瓜幕町にある瓜幕駅跡まで足を伸ばした。公園となっている駅跡には『足寄までの延伸を企図したが叶わなかった。昭和43年に全線廃止となったが、地元住民が鉄道の地域開発に果たした功績を残すためこの石碑を設けた』趣旨の文字が刻まれていた。


この2つの鉄道遺産をこの目で見ることができたことはよかった。









六花の森と坂本直行〜夏旅2023②

2023-08-08 05:00:00 | 旅行
夏旅2023②、旧広尾線愛国駅を出て広尾方面に車を走らせる。周囲にはとうもろこし畑やじゃがいも畑などの風景、また、ポプラ並木を見て北海道に来たことを実感する。


帯広市のお隣中札内村の道の駅『なかさつない』に到着。アグリパークを標榜しているだけあって物産販売所にはとうもろこし、ズッキーニ、ピーマンなどの野菜をはじめ果物や植物などたくさんの種類を扱っている。



本来はここの開拓記念館内にある蕎麦屋にてランチの予定だったが、既に廃業。やむなく『畑のキッチンあんてぃ』で豚丼を頂く。ただ、さすが帯広、タレが美味い。

次の目的地は地元有名製菓店『六花亭』の工場に隣接する『六花の森』である。六花亭の包み紙を描いたことで有名な農民画家『坂本直行』氏の絵画展示館と野草の庭園で受付で1000円を支払い入場。



十勝六花とは『かたくり、しらねあおい、おおばなのえんれいそう、えぞりゅうきんか、はまなし(はまなす)、えぞりんどう』を言う。

六花亭の包み紙にはこれらを中心にとりどりの花が描かれているが、建物の1つ『花柄包装紙館』の壁紙は全て原画と包装紙が貼ってある。



また、坂本氏は北大山岳部創生メンバーの1人であり、農業を続けながら日高の山を描き続け、亡くなるまで創作活動をしていた。



この絶筆が置かれた『直行絶品館』や彼の作品を飾っている『柏林』、デッサンが飾られた『デッサン館』、山の絵が並ぶ『直行山岳館』など8つの建物が庭園に点在しており、これらを自由に見て回ることができる。



特に『坂本直行記念館』には彼の描いた日高山脈の絵、成り立ちなどが並んでいる。ここでは六花亭のビスケットとコーヒー(サービス)を頂きながらゆっくりくつろぐことができる。



また、庭園の山野草もコウライナンテンショウ、キキョウ、ツリガネニンジン、ノカンゾウ、エゾアジサイ、ギボウシなど数多くの花が咲き乱れ、自然の川がサラサラと流れる何とも心地よい場所である。



もちろん、出口には六花亭の売店とレストランが併設されていてスイーツを食べ、お土産を購入することができる。私も思わず花のポストカードを購入した。(以下、次回)


幸福駅と愛国駅〜夏旅2023①

2023-08-06 05:00:00 | 旅行
夏旅2023① 、コロナもあり、夏休みの旅行も4年ぶり。今回の夏の旅行は昨年断念した襟裳岬をメインとしたコースに再チャレンジをすることにした。



計画は5月中旬より練り始めていたのだが、7月に入り持病の腰からくる左脚痛が激しく、何とか間に合わせた格好。我が家を0600に出て羽田空港まではタクシー、40分で到着してしまう。フライトは羽田0800→帯広0920を予約、定刻通り到着。空から今回の目玉である襟裳岬が見え、感動する。


帯広空港も晴天、かなり温度も高い。10時にはレンタカーに乗り、まずは近くにある国鉄広尾線(廃止)幸福駅跡に向かう。



幸福駅は1973年のNHK新日本紀行で紹介されると人気は全国区になり、2つ隣の愛国駅から幸福駅の切符がブームになるなど多くの観光客が押し寄せた。しかし1987年に広尾線は廃止、今は駅跡が交通公園となって残されている。



幸福駅の由来は『幸震』村と入植した人々の出身地が『福井県』であったため、この文字を1字ずつ取って付いた名前のようである。



当時放送された新日本紀行はyoutubeで見たが、雪深い無人駅に降り立ったNHKスタッフが1週間のロケを行ったもの。その間の出来事は1人の娘が狩勝峠近くに嫁に行くこと1つだけという内容に妙に感動した。



現在はホームと復元した旧駅舎、さらに当時使われていたディーゼルカーキハ22が2両展示してある。今も観光客は結構集まっていて、由来を知らない中国人観光客も多く詰めかける。駅の廃止はされても今も切符は売店で販売され、私のように買う人も多い。



2つ隣の愛国駅跡も交通公園として残されていてこちらのホームには19671(9600型)機関車が静態保存されている。こちらはあまり人もおらず、静か。



新しくなった後の駅舎には広尾線が開通した際、また廃止された頃の写真がたくさん貼ってあり、さらに昔の出札の切符入れや通票に使う閉塞器など懐かしい道具も数多く展示されていた。



奥にひまわり畑があると書いてあったので見に行くが、あまりに沢山のひまわりが咲いていて、人はいないが賑やかな雰囲気になった気がした。








京都にちょっとだけ行ってきました。

2023-07-11 05:00:00 | 旅行
7月に入ると京都は祇園祭一色となる。週末も15日からの3連休を中心に身動きが取れないほど混み合う。観光客にはいいのかも知れないが、私のように墓が京都にある人間に取ってははた迷惑な話である。今年は母親の3回忌ということもあり、3連休前に法事を済ませることにした。

土曜日の朝の新幹線は家族旅行とインバウンドで混んでいる。早めに切符を取り、しっかり駅弁を買って乗り込む。以前はせいぜいチキン弁当くらいしかなかった。



しかし、今は東京駅が全国駅弁大会を毎日開催しているかの如く、有名駅弁を楽しめる。私は山形駅の『牛肉ど真ん中』、少し高いがボリュームと味を兼ね備えている。
名古屋を過ぎたあたりで駅弁を食べ、あっという間に京都駅。何しろ2時間20分しかかからない。



京都駅ではすんなりタクシーに乗り、黒谷へ。なぜかお経も30分程度、早めに法事も終えた。


少しだけ観光にと選んだのは京都市京セラ美術館、以前は京都市立美術館だったもの。開設は1933年、初めは昭和天皇即位の礼を記念して作られたため、『大礼記念京都美術館』と呼ばれていた。日本近代絵画、特に竹内栖鳳のコレクションに優れ、浅井忠、上村松園、村上華岳など多数保有している。

また、建物は1933年に作られた物をベースに2020年にリニューアルオープン、京セラがネーミングライツを購入、この資金を用いて地下1階にガラスリボンと言われている全面ガラスのエントランスを設置、そこから階段を登り、本館に入るように変更した。



一方で古い部分は塗り直し等を施した上で残されていて登録有形文化財の中を歩いていることを実感させてくれるコーナーや中庭などが素晴らしい。



私は開催中のルノワール展ではなく、コレクションルームの『人間国宝 稲垣稔次郎ー遊び心に触れて』を鑑賞した。

というのはこの作家は私の母方の祖父(京都で表具師を営んでいた)が屏風や掛け軸に拵える手伝いをしていた縁があったためである。



稲垣氏の温かみのある京都の市井のデザイン、また、歴史上の出来事、竹や紅葉などのデザインをゆっくり楽しんだ。コレクションルームには上村松園をはじめ、浅井忠の名作、清水六兵衛の清水焼など幅広いジャンルのコレクションが展示されていた。

(虎)

(鵯越)

あまり時間もなかったが、ミュージアムショップなども冷やかし、京都駅にむかった。滞在時間約4時間、雨と蒸し暑さがなければ東福寺にも行きたかったのだが。午後7時、もう東京にいた。